今もし何かに興味関心を持って、それを知ろうとして本を読んでいる人がいたら、すぐ読んでいる本をとじて、先にこの本を読んでください。絶対皆さんの役に立ちます!
『小論文 書き方と考え方』という書名なので苦手な(?)小論文を上手に書くためのハウツーものと思うかもしれません。もちろんこの本を読めば間違いなくうまく書けるようになります。でもそれは、例えば句読点の打ち方や1文の長さなどを教えてくれるからではありません。
この本がなにより教えてくれるのは小論文にまとめる力、つまり知力とでも呼べるものの鍛え方です。
著者はこう問いかけます、私たちはなぜ「書く」ことと出会うのかと。自分にある刺激のようなものが与えられ、自分の中に感想・意見のようなものが生まれれば「書く」ことができるのでしょうか。そうではありません。
思っていることを簡単に口に出すことはできない。でも、それをできれば表現したいという「感じ」がある。それが大事なのだ。そのとき、人はすでに「書く」ことの入り口に立っている。
この最初に持った「感じ」を生かし・鍛えてどのようにして他者に伝えられるようにできるか、多くの素材(例文)を使いながら解き明かしたのがこの本です。
最初の素材はマハティール首相とイギリスの少年が「マレーシアの森林破壊」についてやりとりをしたものが取り上げられています。マハティール首相といえば先日、政界に復帰し、世界での最高齢(92歳!)のリーダーになったことでも話題になりました。素材の内容は森林破壊をやめようという少年に対して、マハティール首相はマレーシアの社会の実情、その歴史を説いて正面から反論しました。詳細は本書を読んでいただきたいのですが、この実例で重要なのは、少年の「一見正しそうな常識論」に流されることなく論を立てたマハティール首相の姿勢です。
マハティール首相はこの常識論に、「でも~」という思いを持って反論しました。著者はこの「でも」という接続詞の重要性を指摘します。
首相は自分が常識論を前にして抱いた異和感をそのまま心の中に積み残すのではなく、それを「でも~」という文脈で切り返すことで表出しはじめたのである。「書く」ということは、このようにして始まる。("異和感"という表記は著者の意向です)
なぜ「でも」が重要なのでしょうか。それは立ち止まることで常識("空気"でもいいのですが)に流されないようにし、また自分の感覚・考えを持つにはなにか「根拠」となるものが必要だということを自覚するようになります。さらにこの「でも」という言葉は私たちに「別の角度から見る」ことに気づかせてくれます。「現実を多面的に見ることによって異和感の根拠」をつかむことができます。
でも(!)この「でも」という言葉は自分の考えを打ち出すだけではありません。
常識論に対する異和感を論じるということは、常識論を無視したり非常識に陥ったりすることではない。
「格差社会」を素材とした章でこのことが実践的に説かれています。社会政策や社会制度について、ひとつずつ「でも」を対置して、自分の考えがより普遍的になるようにする方法が説かれています。この論旨の進め方を詳説した箇所は、私たちが考えるということはどのようなプロセスなのかを明らかにしています。思考のダイナミックスさを目の当たりにしているような叙述です。
ここにはさまざまな事象(制度)を検討することを通じて自分の考えをより強化し、普遍性が持てるように心がけるということです。「比較」「相対化」というプロセスです。他と比較することで「自身を相対化すること」にもつながります。
人は自分の考え方や生き方を相対化することにより、今までとは違う考え方や生き方を選び直すきっかけをつかむことがある。(略)国家や国境の壁が限りなく低くなっているグローバル世界の中では、自己の相対化を避けることはできない。私たちは相対化をかいくぐってみずからの考え方や文化を鍛え直すことが常に求められている。同時にそれは私たちが常識論に縛られずに考えるきっかけを与えてくれるものでもある。
これは「思考停止」にならずに考え続けようということです。常識論や社会通念、空気といったものへの「無批判な追従は、自分で考えることの放棄」にほかなりません。権威や権力への追従にもなりかねません。これでは怠惰のそしりをまぬがれないでしょう。
さらに現代社会を論じるときには、「歴史的な視点」を持って「相対化と比較」をおこなう必要があります。本書で「素材E」として取り上げられた箇所で具体的に「歴史的な視点」をどう持つかが説かれています。
自分の異和感から始まった「考えること」が目指すものはいうまでもなく「自分の言葉」を持つことにつきます。自立です。無批判な追従、それは他者だけでなく、自分自身に対してもですが、無批判な絶対視に陥ることなく、考え続けること。そして、自分の言葉に普遍性を持たせること、それは自立して生きるということにほかなりません。
「書く」ことを通じて論理的思考が生まれ、論理的思考が普遍性のある言葉を探り当てる。それによってはじめて私たちは現実に飲まれることを拒み、自分の異和感を他の人に届けることが可能になる。
多くの素材に沿って自分の考えを組み立てていく方法を微に入り細を穿(うが)って解き明かしたこの本は自分の考えを持とうとする人には必読書といえます。
そしてこの本は「書く」ことの意味についてこのような著者の実に感動的な文章で終わっています。
私はそれを「自分の言葉を持ってリアルに生きる」と言っている。
小論文の書き方から始まったこの本は、生きることの意味へと私たちを誘っています。この本はまさしく、現代人へ向けた新しい『君たちはどう生きるか』です。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の2人です。
note⇒https://note.mu/nonakayukihiro