「 80年前の本」が、いま250万部も売れている理由
古典的名著、『君たちはどう生きるか』のリバイバルヒットが続いています。漫画版が200万部、原作の新装版を合わせて250万部を突破。戦前に書かれた啓蒙書が、21世紀の今、これほどまでに人気を集めたのはなぜでしょうか。『君たちはどう生きるか』のコミカライズを手がけた漫画家・羽賀翔一さんと、同書への深いリスペクトのもと、2016年に『ミライの授業』を上梓した投資家・著述家の瀧本哲史さんが語り合います。
源流を同じくする二冊の本
瀧本哲史(以下、瀧本) 漫画版『君たちはどう生きるか』、大ヒットですね。200万部はすごい。おめでとうございます。
羽賀翔一(以下、羽賀) ありがとうございます。まだあまり実感がないのですが……。
瀧本 むしろ、私のほうが喜んでいるかもしれないですね(笑)。というのも、原作は私も子どもの頃から大好きだったので。『ミライの授業』でも、巻末のおすすめ書籍リストで書名を挙げました。
羽賀さんによる、今回の対談の「特別描き下ろし漫画」
羽賀 紹介文で、「『ミライの授業』は21世紀の『君たちはどう生きるか』をめざしました」と書かれていますよね。
瀧本 はい。ご存じないcakes読者のために説明すると、『ミライの授業』は、私が全国の中学校を訪れて開講した特別講義、「未来をつくる5つの法則」を下敷きに書いた本です。コペルニクスから伊能忠敬、ビル・ゲイツまで、古今19名の偉人のエピソードを援用しながら、「未来をつくる」ためのさまざまな考え方、行動の仕方を提案しました。形としては「偉人伝」に近いですが、たとえば「戦場の天使」看護師ナイチンゲールが、じつは統計学に強い社会起業家だったことなど、単なる偉人伝にはとどまらない内容であると自負しています。
羽賀 14歳向けと書かれていますけど、大人が読んでも面白い本ですよね。読んでみて、僕はまさに「これは現代版『君たちはどう生きるか』だな」という印象を抱きました。
瀧本 ありがとうございます。私にとって『君たちはどう生きるか』は、『ミライの授業』の源流です。そういう意味では、原作を源流とする新しい作品を書いた羽賀さんとも、響き合うものがあるかもしれません。今日はそのあたりのことをお話できたらいいなと思っています。
名著の条件は「時代を超えられる」こと
羽賀 瀧本さんが、『君たちはどう生きるか』を初めて読まれたのはいつでしたか?
瀧本 小学四年生のときかな。岩波文庫で読みました。
羽賀 はじめから面白く読めましたか。
瀧本 そうですね。最初は「印象的な本だな」と。その後、日中戦争がはじまった当時の時代背景なんかも理解しつつ読み返していくうちに、どんどんそのすごさがわかるようになっていきました。たぶんこれ、誰が読んでもわりと面白いと思えるタイプの本なんですよ。だから、折に触れては人にすすめてきたのに全然読んでもらえない(笑)。昔の本だし、そもそも岩波だしっていうので、まず「難しそうだ」と思われてしまうんですね。
羽賀 そうイメージしてしまうのはよくわかります。
瀧本 でも今回、羽賀さんの描かれた漫画版のおかげで、この本の真価が伝わりやすくなったと思います。いちばん大切な、本質的なメッセージだけが摘出されているのが素晴らしい。羽賀さんの描いた漫画パートと、原文を一部抜き出した形の文章パートのふたつで構成されているのもいいですね。文章を読み慣れていない人であっても、漫画パートにならとっかかりを感じてくれるんじゃないですか。
漫画パートの間に「おじさんのノート(文章パート)」が入る構成
羽賀 そうですね。「文章部分を飛ばして漫画だけ読みました」という声も多く聞きました。でもそういう方も、また違うタイミングで文章部分を読んでくださるんじゃないかと。
瀧本 うん、これは読まれますよ。本棚にずっと置いておいて、ちょくちょく読み返すのに向いた本です。これは名著の条件でもある。
羽賀 名著、ですか。
瀧本 読み手が歳を重ねても、時代が移り変わってもなお正しい。それが名著です。たとえば『君主論』※1ってあるでしょう。あれは、16世紀イタリア政治のボロボロぶりを前提に、「早くこういう、まっとうな君主に出てきてほしい!」という主張を記した本です。それだけ聞くと時代色の強い本なのに、21世紀の今読んでも、政治論として非常に優れている。だから名著なんです。本は常に時代に即して書かれるけれど、いい本は必ず普遍性を持っているんですよ。 ※1 1532年、ニッコロ・マキャヴェッリによって書かれた政治学書。君主としてのあるべき国家統治の仕方、力量の示し方などを説いた。
羽賀 なるほど。
瀧本 『漫画 君たちはどう生きるか』もまた、原作とともに新たな名著として残っていくはずです。最近は「読み終えた本は即ブックオフ」みたいな人も多いですけど、一冊の名著をずっと本棚に置いておく、そういう本との付き合い方も若い人には忘れてほしくないですね。
「で、君はどうする?」のために「物語」がある
羽賀 『ミライの授業』と『君たちはどう生きるか』の共通点は、僕は構成かなと思ったんです。『ミライの授業』は一見偉人伝ですけど、一章は「小さな違和感」の話、次は「地図」の話、「逆風」の話……と物語をイメージさせる構成になっていますよね。そして、最後に「ミライのきみたちへ」という読者へのメッセージで終わる。ここが『君たちはどう生きるか』と似ているなと。
瀧本 羽賀さんのご指摘は正しい。章構成だとか、全体のテイストみたいなものについては、『君たちはどう生きるか』から強い影響を受けています。特に、最後に読者への——「YOU」へのメッセージをつきつける手法ですね。読んでいる間は本のタイトルなんて忘れているんだけど、最後の最後に「ああ、そういえばこの本ってこういう本だったんだ!」とハッとするような、そういう読後感って何か突き動かされるじゃないですか。
羽賀 急に、やじるしがこちらに向くとハッとしますよね。
瀧本 ええ。『君たちはどう生きるか』も『ミライの授業』も、つきつめれば「で、君はどうする?」というだけの話でしょ(笑)。でも、それを問うためには前段階として、心を動かしある地点まで連れていくための「物語」がなきゃいけないんです。人間は、ただの情報の羅列には心を動かされません。
羽賀 それは、僕も担当編集者さんから言われます。人間は、理屈と感情、両方刺激されないと納得しないって。
瀧本 理屈と感情両方を刺激するもの、それが「物語」なんですね。そして、物語の原型は神話です。おおざっぱには「旅立ち・試練・帰還」の三段階を経るのが神話の構造ですね。人が「おもしろそうだ」と思う物語には、大抵この構造が潜んでいます。私も著書の多くで意識してきました。
『ミライの授業』には、読者の感情を刺激する寄藤文平さんのイラストが満載
羽賀 『君たちはどう生きるか』のコペルくんもそうですよね。世界に目を向け、学校で試練に立ち向かい……と。
瀧本 吉野さんの場合も、まず伝えたい理屈があったはずです。でも、それを当時の大人に言ってもまったく相手にされなかった。だからこそ、いかに子どもたちにそれを伝えるか、という部分で苦心されて、物語という手法を有効だと考えたのでしょう。
岩波書店にはできないアレンジ?!
羽賀 そういえば、『君たちはどう生きるか』を漫画化するとき、最後のメッセージを入れるかどうかは編集者さんと一緒に悩んだんです。漫画の場合、著者の一人称で進むわけではないので、これが誰からの言葉なのか曖昧になってしまうかもと……。最終的に、やはり「YOU」へのメッセージは必要だと思って、吉野さんのお名前を併記した上で添えることにしたんですが。
瀧本 漫画ならではの悩みどころですね。そういえば羽賀さんは、今回どんなことに注意して原作をアレンジしていったんですか?
羽賀 セリフやモノローグではなく、絵そのものでキャラの感情や関係性がわかるようにしよう、ということには気を配りました。その上で、なるべく次のページを見たくなるようなコマ構成を考えて。1章の冒頭なんかもそうです。
瀧本 たしかにこれは、次のページが気になります。
羽賀 あとは、感情の変化を丁寧に描くよう気をつけました。たとえば、「コペル君」というあだ名をつけられるシーン。まずちょっと戸惑った表情、次にくすっと笑う、という順番にすることで、感情の流れを表現しています。僕はその、絵があまり達者な方ではないので、せめてそういう部分はしっかり描きたくて。
瀧本 昔、樹林伸※2さんに「漫画で一番大切な部分ってなんですか?」と聞いたら、「うーん、コマ運び!」って返されたんですよ。コマ運びって、つまり今羽賀さんがおっしゃったようなことですね。文字で説明するのではなく、ちゃんと絵で流れを作っていくということ。羽賀さんの絵ってたしかに華やかではないですけど、漫画としての要所はすごく抑えているというか、むしろ熟達している方だと思います。
※2 漫画原作者、小説家、脚本家。『金田一少年の事件簿』、『探偵学園Q』『クニミツの政』『神の雫』などヒット多数。
羽賀 そう言っていただけると嬉しいです。
瀧本 コペルくんのビジュアルもいいですよね。髪型とか格好とか、絶妙に現代的で。
羽賀 最初は坊主頭の予定だったんです。でも、それだと自分も感情移入しにくいし、ということは読者にとってもそうかなと……。なので、時代考証的には間違っているんですが、あえて現代的なビジュアルに寄せました。
瀧本 やっぱり最初は史実に寄せていたんだ。
羽賀 はい。じつは当初は、時代情勢のことなどももっと描き込むつもりでした。たくさんリサーチしたので、わかったことは全部詰め込まなきゃと思ってしまって……。でも、直していくうちに大切なのはそこじゃないと気づいて、編集者さんと相談しつつ、時代色の大半を思い切って削ぎ落としました。
瀧本さんも、『ミライの授業』でやはりそういったリサーチとか、取捨選択をされましたか?
瀧本 私の場合、この本のためだけの、新たなリサーチというのはほとんどしていません。材料の大半は、既に持っている知識だったので。むしろ、「蓄えたもののうち何を使うか」の判断が大変でした。自分が知っているもの、好きなものの全てを詰め込んでもいい本にはなりませんから。一緒に本を作ってくれたライターは『嫌われる勇気』の古賀史健さんなのですが、かなり専門的な話も好きで、中学生はもちろん全世代に通じるものが作れる人ということで、ライティングをお願いしました。その古賀さんと一緒に精査して、コンセプトに合った情報だけを慎重に残したんです。実際のところ、蓄えの中の1割程度しか使っていませんね。
羽賀 本当に、エッセンスの部分だけを使ったんですね。
瀧本 結局、時代を超えて残るのはそういう部分なんですよ。だから、羽賀さんがリサーチの大半を捨てたのも実に正解でしたね。単に史実に寄せるだけでは、「昔の本だな」で終わりだったと思う。もっとも本質的なメッセージだけを選び抜いたからこそ、普遍的な価値が多くの人に伝わったんです。こんな大胆なアレンジは、岩波書店にはできなかっただろうな(笑)。
羽賀 会社によって、違ってきますか?
瀧本 そうですね。そこは数多くの雑誌を作ってきたし、社名がまさに「雑誌」であるマガジンハウスならでは、と思いましたね。雑誌って、限られた紙面でどれだけエッセンスを伝えられるかの勝負なので。じつは『ミライの授業』も、雑誌畑が長い編集者(加藤晴之氏)が担当しているので、これだけエッセンスを凝縮した本ができたのだと思います。
羽賀 なるほど。そういう視点でこの2冊を読み比べてみても、面白いかもしれないですね。