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2018.05.22

レビュー

伝説の捜一刑事が執筆!「國松警察庁長官狙撃」オウムから中村泰への23年

「売られた喧嘩は買う」。市井ではよくこんな言葉を耳にする。いや、そんな庶民の集まりだけの話ではないのかも知れない。たとえば、某企業家に挑発された検察。乗っ取りを企てられた企業、跳ねっ返りに牙を剥(む)かれた某組織。そして、天下国家を守る警察までもが、「売られた喧嘩は買う」のかもしれない。

挑発を受けると人は闘争心を刺激され、非合理的な道を歩むことさえ起きる。

この本はなかなか取り扱いの難しい本だ。その内容があまりにもショッキングであるからだ。

本書は23年前に起きた「警察庁長官狙撃事件」のその後を追ったノンフィクションである。しかも、それは第三者による、取材した事実を積み重ねたルポルタージュではなく、実際に捜査に従事していた捜査第一課元刑事の、23年にもおよぶ地道な捜査の記録から吐き出した衝撃の告白である。

國松孝次警察庁長官は、1995年3月30日、足立区の自宅マンション前で、何者かによって狙撃された。重症を負ったが幸運にも一命は取り留めた。当時の世相は、地下鉄サリン事件などによってオウム真理教が注目され、この警察庁長官狙撃事件も、確かな確証もないまま、あたかもオウム真理教による犯行が既定路線であるかのように報じられていた。

連日連夜、テレビや週刊誌がオウム真理教の一連の騒動を伝えた。世間はオウム真理教を恐れ、憎み、徹底的に吊し上げ、教祖の醜態とともに塀の中へと永遠に葬り去ろうとしていた。

無理もないかもしれない。オウム真理教の滑稽さやずるさや奇妙な真面目さを小馬鹿にしながらも、己を含んだこの時代の闇をまざまざと見せつけられるようで、だれもが落ち着かない時を過ごしていた。その末に起きたのが、警察権力のトップである國松孝次長官への狙撃事件である。だれもが我を失うかのような瞬間だった。

だがそんな時代のムードのなかで、世論に流されず事件に対し真摯に向き合い、地道な捜査を続けてきた刑事たちがいた。

◯犯人は、約21メートル離れた地点から、歩いている人間を背後から確実に狙撃するだけの射撃技量を有する者
◯犯行に使用した銃は、コルト社製のパイソン型長銃身拳銃
◯犯行に使用した実包は、フェデラル社製の357マグナム仕様のナイクラッド・ホローポイント弾

犯人が狙撃した地点には、朝鮮人民軍記章(バッジ)、少し離れたFポートのピロティ内には、韓国10ウォン硬貨(コイン)が、何かを物語るように遺留されていた。

些細な情報を端緒に強制捜査を繰り返しオウム真理教に迫った。だが、警察庁長官狙撃事件に関してオウム真理教による犯行であると裏付けるものは何も発見できなかった。

警視庁幹部の「配慮」もあってか、著者はオウム真理教捜査から一般の凶悪事件の捜査へと異動させられた。

はたしてオウム真理教の関係者のなかに、こうした(襲撃時の)条件を充たすだけの信者はいるのだろうか。あるいは、オウム真理教団の教義上、第三者のスナイパーに暗殺を依頼することがあるのだろうか。

「正直な思いとして、このころ、警察庁長官狙撃事件とオウム真理教を結びつけることに、何となく違和感を覚えるようになっていた」と、著者は記す。

やがて執念の捜査にひとりの人物が浮かび上がる。稀代のテロリスト中村泰である。

この男が國松長官を狙撃した犯人なのか。地道な状況証拠の積み重ねと取り調べによる供述。刑事、容疑者、検察、公安部、警察庁幹部。犯行を匂わせたり相手の出方を伺ったりを繰り返す容疑者。捜査に関する現場と幹部の間の軋轢。その詳細は本書を読んでもらうしかない。

公訴時効を前に一進一退の攻防が続く。そして、最後に、著者である元刑事の前に浮かび上がってきた「宿命」。

警察庁長官狙撃事件の捜査を担当した公安部では、発生以来、歴代の錚々たる幹部がオウム真理教の犯行と見て捜査を進めてきたのだから、最後までオウム真理教の犯行と見て捜査を尽くさなければならない。

著者は立ち尽くす。

著者が「中村泰を取り調べた日数は、足かけ7年の間に通算二一五日間に及び、その間私が作成した被疑者供述調書と中村が作成した供述書はあわせて五〇通近くとなり、その供述に対する裏付書類は一〇〇〇通を優に超えた」。

本書の最後にある奇妙な記述を見つけた。

(容疑者である)中村には理解できないかもしれないが、警察庁長官が暗殺されようとも、その仇討ちのために捜査を加速させるような発想は、警察にはない。何の罪もない一般市民が被害に遭ったときこそ、警察は強力に捜査するのである。

挑発に乗せられた軽薄な意地ではなく、身内をやられた古臭い義侠心でもない。歴代のトップが行った「見立て」を覆すことは、その人間の権威、ひいては組織自体を自らが貶(おとし)めることになる。わかるようでわからない、まさに(この事件が背負った)「宿命」である。

結局、この事件は公訴時効を迎えた。2016年に警視庁を勇退したあとも著者は、中村との面会に出向き、捜査の最終仕上げを試み、またそれを本書に刻み込むべく奮闘した。

「売られた喧嘩は買う」。どうやら日本の警察権力はそうわかりやすく単純なものじゃないらしい。迫力のノンフィクションと静かなる結末。まるで良質の映画を観たような気がした。

レビュアー

中丸謙一朗

コラムニスト。1963年生。横浜市出身。『POPEYE』『BRUTUS』誌でエディターを務めた後、独立。フリー編集者として、雑誌の創刊や書籍の編集に関わる。現在は、新聞、雑誌等に、昭和の風俗や観光に関するコラムを寄稿している。主な著書に『ロックンロール・ダイエット』(中央公論新社、扶桑社文庫)、『車輪の上』(枻出版)、『大物講座』(講談社)など。好きなアーティストはジム・モリスンと宮史郎。座右の銘は「物見遊山」。全国スナック名称研究会代表。日本民俗学会会員。

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