議員の不祥事、スキャンダル、傍若無人な振る舞い、さらには基本的人権・国民主権を軽視・無視する暴言など国会議員の資質・人格を疑わせるような言動が後をたちません。国会の質疑を見ても政権におもねる与党議員の発言を聞いていると「質」もなければ、行政チェックに不可欠な「正当な疑義」などどこにもありません。
かつては自民党内の派閥がある種の「研修機関」だったこともありました。その派閥が政治家を鍛え上げていました。もちろん派閥の悪影響の部分を忘れてはいけませんが、少なくともいまより党内の自浄能力を作っていました。もっともそれは党内の実権を握るための権力闘争でもあったのですが。
政治家の劣化を象徴する議員の不祥事ですが、彼ら彼女らの多くは「〇〇チルドレン(時には〇〇シスターズ)」と呼ばれる議員たちです。小泉チルドレン、小沢シスターズ、安倍チルドレンなどですが、チルドレンという呼称が定着したのは小泉郵政選挙からでした。
このチルドレン現象を生んだのは現行の小選挙区比例代表並立制によるところが大きいでしょう。実際、小泉元首相はどこかのインタビューで選挙に勝つために(大量の当選者を出すために)この小選挙区比例代表並立制を最大限に利用したといっていました。もともと小泉元首相は小選挙区制に反対していたのですが……。このあたりの事情・真情は『YKK秘録』や『テロルの真犯人』にも書かれていたと思います。
この本でも中選挙区制から小選挙区比例代表並立制になったことによって選挙の姿が大きく変わっていったことが語られています。「公示日までが選挙戦の肝」というように普段から涙ぐましい活動をしている秘書は選挙の実相を教えてくれます。後援会の実力を教えてくれるなど、実に生々しいレポート(!)です。
こうして当選した議員も当選すれば秘書を軽んじ「下僕」扱いをするようになる人が多いそうです。「選良」という言葉がありますが、その身分にあぐらをかいているのでしょうか、
今どきの国会議員は、「自分が偉くなった」ように感じるらしい。偉い自分だからこそ、特別扱いに値するのだと。
国会議員は「自分の力でなる」ものではなく、「選ばれてなるもの」ものだと思うが、資質のない人間が国会議員になると、おかしな勘違いをしてしまうようだ。
このような勘違い(自己肥大)議員を生むようになった原因はどこにあるのでしょうか。
それは政治家への道が「容易」になったことにあります。
今の時代、「政治家になりたい」と思ったら、やることはシンプルだ。インターネットでどこかの党の公募情報を見て、記載されている手続きを進めていけばいい。期限までに履歴書など書類を提出して審査を受け、何度かの面接をクリアすれば、党の公認候補となれる。やることは一般的な就職活動と何ら変わりない。
「公募制度」には大きな問題があります。かつてはこのように「簡単に」議員になることはありませんでした。著者がいうように「『政治家になりたい』なんていうことを言おうものなら、周りから、『生意気だ』と言われる」雰囲気があったのです。
政治家を志す人はどうしていたのか、地元の人から信頼を集めて、「私たちの代表として立候補してください」と推挙されるのを待つしかなかったのだ。それでも一旦は、「私では力不足です」と断るのが常識とされた。
欠陥が露わになってきたこの公募制度は今後どうなるのでしょうか。
今どき私の知る自民党の職員は、「公募制度は間違いだった」と認めている。しかし今さらやめるわけにもいかないようだ。もともとは政治の質をあげるという大義で取り入れた公募制度。これをなくしてしまうと、「世襲議員を優遇するのか」という声がでかねない。
議員劣化をもたらしたのは公募制度だけではありません。雨後の竹の子のようにいっときやたらに産声をあげた○○政治塾なるものも同様です。(いうまでもなく公募出身議員や政治塾出身議員のすべてが困り者だというわけではありません)
「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人だ」といったのは故・大野伴睦ですが、「ただの人」にならないための議員、秘書の活動(?)のすさまじさは、この本のあちこちからうかがい知ることができます。
重要な国会質問の作り方、部会と呼ばれる議員の集まり、表面では有効に見えても隙あらば足を引っ張るような他の議員の振るまい、秘書間で流れる噂の真相追究……。国会内、議員会館内のやりとりだけではありません、選挙の時の事務所、運動員、選挙カーの手配、陳情者とのやりとり、パーティーの領収書の手配の仕方までが詳細に語られています。支持者からの依頼には裏口入学や交通違反の取り消しなどの難題もあります。この本で教えてくれた裏口入学の口利き依頼(?)のかわしかたには苦笑してしまいます。どっちもどっちでしょうが……。
このような秘書の努力(?)、務めを正当に理解してくれる議員がどれくらいいるでしょう。「秘書にわからないことが妻にわかるわけがない」といわれるほどの絆であっても、必ずしも報われるワケではないようです。ある議員のことが記されています。著者が心から信頼し、新米秘書時代からその議員の最期まで伴走した人です。政治家としても、また秘書と二人三脚で走り続けた親分として最良の人です。著者が秘書を続け、また政治の世界に住み続けることができるのはその人の薫陶があったからでしょう。アホな議員が増えても著者が政治の世界に関わり続けているのはその人と出会えたからでしょう。
さまざまな議員の裏話が語られたこの本は良くも悪しくも今の政治家の姿を浮かび上がらせています。政治を就職先のひとつのように考えている人が増えているように見えます。彼ら、彼女らは「保身(=クビにならない)」のために権力者(党執行部や政府)の顔色をうかがっているように思えます。単に賛成の手を挙げるだけの「仕事」、時には聞き捨てにならない「ヤジ」をいったりもしますが……。
そういえば以前にもそのような振る舞いをする議員はいました。彼らは「陣笠議員」と呼ばれていました。
「日本の政界用語であり、議会(国会)や政党の決議を採決するにあたって大物政治家の『挙手要員』と成り下がっている政治家のこと。近世の合戦において兵士が陣笠をかぶっていたことから」(ウィキペディアより)
戦国時代の足軽や雑兵は兜の代わり陣笠を被っていた雑兵のような政治家。要は政党間あるいは派閥間で多数派を作るための「員数合わせ」のための存在です。数さえそろえばいい、というわけです。個性も主張も必要がありません。政治家の資質はどこにいったのでしょう。
政治家に必要な資質は情熱、責任感、判断力といったのはマックス・ウェーバーでしたが、この3つともに「上(=権力者)へ向かって」のものになっているように思います。
今どき政治改革とは、既存のシステムを変えることで、よりよい政治を実現させるものであるはずが、結局、耳障りのよい、小手先だけの政治改革でしかなくなってしまっている。
「小手先の改革」が生んだものは今の「小手先の政治(家)」です。そんな現状のレポートとしても実に面白い1冊です。劣化、劣化と思って政治に無関心になる前にぜひ読んでみてください。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の2人です。
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