浅川さんの遺著となったこの本は次のような文で結ばれています。
──小選挙区制時代に移行して、激しい抗争は徐々に姿を消しつつある。これははたしてプラス面と評価されるのだろうか。この答えは難しい。抗争ではなく“馴れ合い”現象が常態化すれば、自民党、いや政治全体が退廃することも懸念される。このような思いを込めて、自民党六〇年間の抗争劇を回顧した。抗争を回避して、上手に妥協していくのが“大人の知恵”なのか否か。その回答はこれからの自民党の姿に表れるのだろう。──
肉親などが争うさまをいう言葉に“骨肉相食(は)む” というのがあります。その言葉どおりの岸信介、佐藤栄作兄弟の争いからこの本は始まります。この抗争はその後の自民党の抗争劇の原型ともいえるように思えます。
この2人の抗争の間に政策論争というものは少しもありません。そこに存在したのはあまりに人間的ともいえる兄弟間の“自負心、嫉妬、コンプレックス”というものでした。
佐藤は自分たち兄弟についてこういっていたそうです。
──少年時代、我々は共に秀才と親戚筋から賛えられてきた。岸はピカピカ光る切れ味の鋭いカミソリと言われたのに対し、自分は少々サビついている大刀と喩(たと)えられた。これを武器にして戦えば、たとえ少々サビていても大刀のほうが有利になろう。──
兄の岸は「二キ三スケ」(東條英機、星野直樹、松岡洋右、鮎川義介、岸信介)の1人として満洲国を経営していました。革新官僚として名を馳せた岸は、その後、東條英機内閣に入閣したが東條と不和になり敗戦をむかえます。A級戦犯容疑者となるも釈放後は政界に復帰し、瞬く間に首相の座につきます。そこには強運もありますが、それ以上に「強い気迫と信念」があったといいます。それは「自分こそが正しいという絶対的な確信」と「これまでの経歴からして将来、自分は首相になる器だ」という自負心でした。
戦前は岸の後塵を拝していた佐藤ですが、戦後は吉田茂に抜擢され「すでに自由党の実力者として、政界では兄の先を行って」いました。「兄には敵わない」という幼少からのコンプレックスからはじめて解放されていたのです。そして戦後の岸の心にあったのはそんな「弟への嫉妬と焦り」であり、「あいつ(=佐藤栄作)には絶対負けたくない」という思いでした。
その後の2人の歩みはよく知られています。岸は石橋湛山の病気退陣という運もあり、弟に先んじて首相となります。しかしながら岸・池田についで首相の座を射止めた佐藤は兄を遥かに凌ぐ長期政権となりました。
では、この抗争劇がその後の自民党抗争劇の原型となっているのは次のようなところです。
1.政策論争、政策の違いがない。
2.自分だけが正しいという信念(?)。これも政策不在を生むもとになっています。
3.徹底した友・敵理論。
4.手段を選ばない多数派工作。
この本の登場人物はどういう手段であれ首相になること自体が目的でした。そこには自負心、選良意識が透けて見えます。時には運に恵まれ、ライバルが消えることから生まれた“選ばれし者”意識も見られます。
首相になってしまえば「自分だけが正しい」のですから、政策はそこから始めればいいということになります。政策のように見えるのはただのキャッチフレーズにしかすぎません。あるいは誰もが異を唱えにくい、経済的な発展をいうようなものでしかありませんでした。
「あいつには絶対負けたくない」「あいつだけは許せない」と闘志を燃やす者、さらに田中角栄、竹下登、福田赳夫たちのように一度は首相の座を降りたものの首相への再登板をはかる者たち、この本では政局を巡る抗争が生々しく描かれています。昨日の敵は今日の友、YKKのように、友情というものも権力を握るための手段でしかありませんでした。
──ここで改めて結党六〇年を過ぎた自民党の党内抗争劇を回顧してみると、ほとんどすべての抗争が次期首相の座を巡ってのものであり、政策論を巡る抗争劇はきわめて少なかったことがわかる。──
あの「自社さ」野合政権を思い出せばわかるように、そこに政策というものはうかがえません。「自社さ」政権は政敵を倒すために成立したと考えるべきです。
数少ない政策論争の色合いが見られたのは“角福戦争”のケースでした。
──例外を挙げれば、田中角栄と福田赳夫による「角福戦争」は、首相の座争いという側面もあったものの、田中が公共事業を主軸とする高度経済成長政策を継続させようとしたのに対して、福田が国家の財政赤字を危惧して安全成長策を主唱、政策面でも激しい論争を巻き起こしている。──
この権力を巡る政局を主導していたのは“派閥”というものでした。田中角栄がいったように「数は力なり」であり、派閥の領袖となり、他派閥の合従連衡で首相の座を目指していたのです。
小選挙区制になりかつての派閥の力が弱まった今の自民党は大きくその性格を変えていっています。
強くなった党本部では政策論が焦点になっているのでしょうか。どうもそうではありません。今の自民党のあり方を作り上げた小泉内閣のことを思い浮かべる必要があります。郵政民営化、構造改革というあの時の掛け声も政策論争をもたらしたものではありませんでした。
──小泉“一強”時代の郵政民営化を巡る抗争は一見、政策論争に見えるが、党内の「これは米国追従政策の一環だから反対」という声はほぼ封殺され、小泉が内閣支持率の高さを背景に押し切ったため、論争にまで至らなかったと言える。──
ここには今を見る上で重要な指摘があります。支持率さえあれば盤石だという思考です。これは一見正しそうに見えますが、実は支持率の実態は意外と危ういものです。世論調査が、質問の作り方である程度誘導できることは知られています。また、調査に利用するメディア(電話・SNS等)の差によって大きく異なることも想像できます。そのような支持率の上であぐらをかくようなことは思考停止・怠惰と同様です。
浅川さんはこんな予言を残しています。「抗争ではなく“馴れ合い”現象が常態化」していくのではないかと。まさしく今の自民党の姿そのものです。かつては党内の激しい権力闘争(派閥党争)が批判勢力を生み続け、少なくとも(主流派に)驕りをもたらすようなことはありませんでした。嫉妬、裏切りと生々しい権力闘争ではありましたが、そこには相手を打ち負かすために己を錬磨することもまたあったのです。それらをことごとくなくしてしまったのが小選挙区と党執行部独裁体制です。
生々しさもまた人間的なありようの1つだとするなら、今の政治はどこか血の通っていないものになってはいないでしょうか。自民党の抗争史、それを振り返ることは現在の政治が失ったものを教えてくれているように思います。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。
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