こんな思いを抱いたことはないでしょうか。
──国家や公的機関、大企業、権力者たちは、われわれには嘘の説明を信じさせて、裏で何かよからぬこと、われわれの権利や利益や正義を損ない、自分たちだけ都合のよいように何もかもを進めているのではないか。社会は私たちのあずかり知らぬところで、私たちの望みを無視して勝手に動かされているのではないか。──
誰もが持つことがあるかもしれない、ある意味で真っ当な疑問です。この懐疑は社会への批判の入り口であると同時に、ときに陰謀論への架け橋になることがあります。
懐疑的精神が陰謀論に踏み外すのはどのような場合でしょうか。
──陰謀論はわれわれの安寧が脅かされているという「真実」を明らかにし、邪悪な敵の一方的な攻撃に対する抵抗の必要性を訴える。──
安寧が脅かされていると感じても、その原因として陰謀論者が主張することが「真実」そのものである保証はありません。彼らの「真実」は信念として語られていることが多いからです。邪悪な敵というのも「自らが作り出したにすぎない『仮想敵』」に過ぎないのです。
「正しい『われわれ』とまちがった『彼ら』という二分法」が強固な信念と化し、「いっさいの対話を拒否する」という排他的な思考や態度になっていきます。そして「防衛」と称して『彼ら』を「攻撃」する。暴力は正当化され、反対するものは敵とみなされる、「こんな人たち」とひとくくりにされ、『彼ら』の排除や時には死すらも肯定される……。
この構造はヘイト・スピーチ、ヘイト・デモと同じものです。つまり陰謀論を考えることはいま目の前にあることを考えることであり、自分が考えている「正しさ」を検証することでもあります。
この本ではオウム真理教の分析から陰謀論の世界を紹介しています。オウム真理教が主張した「陰謀論的世界観」、彼らは「歴史上の出来事から日常の細々(こまごま)した現象、身近で起きた小さな出来事にいたるまで、およそあらゆるもの」を陰謀に関係したものとして解釈しました。その解釈の詳細は読んでいただきたいのですが、ここで重要なのは、彼らの主張に一定程度説得力があることです。だからこそ陰謀論の世界へと人を導くことができたのです。
さらに著者は陰謀論を語るときに必ず出てくる「ユダヤ陰謀説」、著名な秘密結社である「フリーメーソン」「イルミナティ」について、なぜ生まれたかその組織、参加者、歴史、意味を解析します。これら3者については数多くの本が出版されていますが、この本ほどコンパクトにわかりやすく取り上げたものはないと思います。
グローバリズムのもと陰謀論はさらに“進化”と“深化”を遂げています。グローバリゼーションの背後には「世界統一政府の樹立」という陰謀があるとみているのです。この目的のために形成された一大ネットワークは「新世界秩序」と呼ばれています。
──世界中のさまざまな集団や出来事が、複雑に錯綜(さくそう)しながら、ひとつの大きな「陰謀」のもとに収斂(しゅうれん)する。世界は陰謀で満たされているのだ。すべてを陰謀の産物とみなすだけで、あるいはそのことによってのみ、世界のあらゆることは正しく把握できる。新世界秩序陰謀論とは、このような総合的陰謀論である。──
この新世界秩序陰謀論には従来の陰謀論と異なった特徴があります。
──新世界秩序陰謀論は、陰謀集団は世界支配を企んでいるというよりも、すでに世界をほとんど支配していると主張する。(略)世界、そしてわれわれはすべて、過去から現在にいたるまで、新世界秩序の陰謀の手のひらのうえでコントロールされているのである。──
これは究極の陰謀論といっていいように思えます。
──社会に対する不満や不安、世界の実情の把握の困難さや先行きの不透明さなどに関する漠然とした感情は、世界が現在のようにある意味を一身に背負う存在、つまり告発すべき敵としての陰謀勢力を想定することで、明確な方向性を獲得する。──
インターネットの普及の中で陰謀論の勢いを止めることはできません。なぜなら陰謀論者の考えにかなう傍証・解釈が増える(発見される)ことがあるからです。たとえばネット上で時折見かける「田布施システム」などの根拠付けをみるとそれが分かると思います。
陰謀論の発端には社会の矛盾があります。それがもたらす不安・不幸・不満等があります。社会に対する懐疑的精神が、時に陰謀論を呼び寄せることがあります。陰謀論は「わかりにくい現実をわかりやすい虚構に置き換え、世界を理解した気」にさせてくれるからです。
多くの情報にさらされる中で陰謀論に足元をすくわれないためにはどうすればよいのでしょうか。重要なことは「陰謀論には自らに対する疑いがない」ということです。
社会を考える場合に「正しい『われわれ』とまちがった『彼ら』という二分法」に陥らないこと、「自分に対する反論を自分自身で考える」こと、それが陰謀論に陥らないことになるのです。
──陰謀論はわかりにくい現実をわかりやすい虚構に置き換え、世界を理解した気になれるのだ。──
そのような“わかりやすさのワナ”“自己肯定のワナ”に陥らないことが重要なのです。
この本は陰謀論というスリリングでストーリーに満ちた世界を知るだけでなく、「正しい懐疑精神」とは何かを考えさせてくれる、読書の秋にうってつけの、中身の濃い1冊です。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。 note⇒https://note.mu/nonakayukihiro