「それは政治の機微に関わることなのでこれ以上言うことは差し控えたい」。
旧聞に属する話だが、舛添要一前東京都知事が政党助成金不正受給疑惑で報道陣から(いじめにも近い)吊し上げを食らっていた時、彼はこんなことばを連発していた。
この文言のせいなのか報道陣からの攻勢はますます強まるばかり。そもそもこの「政治の機微」って何だ? たぶん複雑な事情がある「ややこしき事態」みたいなことを言いたいのだろうけれども、このことばを使えばそれで追及を免れる「一丁上がり」のことばなのかというもやもやとした気持ちが残った。
「機微」とは、辞書によれば「容易には察せられない微妙な事情」とある。単なる「真実隠しの言い訳」ではなく、政治や権力への情熱だったり、人の優しさや嫉妬だったり、また、思わず微笑みたくなるような人間の「愚かさ」だったりする。それが機微というわけである。
著者である岡崎守恭氏は、敏腕新聞記者として機微の渦巻く政界の渦中にいた。政治取材歴40年、「安倍晋三首相から数えて22代前の三木武夫首相から取材」という大ベテランである。
「『歴史』というほどの昔ではなく、多くの方の実際の『記憶』にまだ残っている昭和から平成への移行期に照準を合わせて、人間味のにじむ政治家の風貌と彼らが織りなした愛憎劇を手ざわり感が出るように綴ってみたい」。そう思い筆を取ったのが本書だ。
田中角栄、田中六助、竹下登、金丸信、小渕恵三、加藤紘一、森喜朗、山中貞則、中曽根康弘、宇野宗佑、藤波孝生、原健三郎、鳩山由紀夫などなど。そこにはたくさんの政治家の「かつて見えていた」顔が描かれた。なるほど、私もけっこうな数の政界裏話本を読んでいるが、はじめて知る素顔ばかりで、とても興味深かった。なによりも、単なる人物解説じゃないのがいい。多くの政治家から信頼を得た著者の取材力で、当時のエピソードがいきいきと描かれる。
昭和二二年に初当選したのはオレと中曽根、二四年は官僚で池田、佐藤、二七年は福田、大平が出た。あとは三〇年以降で、それ以前とは大学生と中学生だ」
これは田中角栄氏の言葉。ことのほか、年齢に伴う上下関係にこだわってみせる田中角栄氏の姿もなんだか新鮮だった。
政治家の、そして男同士の「好き嫌い」の表現もおもしろい。
竹下(登)氏の場合、最大の怒りの表現はおしぼりを絞る格好をして、「あいつはキュッだな」とやることだった。淡々と、さらりと口にするので、あまり気がつかないが、これはしばしば「一生、あいつは許さない」「生涯かけて成敗する」という意味なのである。
事務所に後輩の衆院議員がやってきて、理にかなわないことを頼んでいった。その席で「バカヤロー」とは言わない。相手が席を立ってドアを閉めてから一言。 「あれはポンだ」「ポン」まではリカバリーの余地もある。しかし「キュッだな」は深刻である。
政治家の他者評価は奥深く、そしてどこまでも面妖だ。「ポン」に「キュッ」。一見穏やかそうな顔をした「実力者」竹下氏の姿が目に浮かぶようだ。
「多くの方の実際の記憶に残っている過去」という意味では、加藤紘一氏が仕掛けた「加藤の乱」の話も興味深い。「加藤の乱」の「失敗」の遠因ともなる、加藤氏の権力争いを巡る世代選別法はおもしろい。
(旧世代と新世代の選別法の)第一は携帯電話である。 今ならばスマホかガラケーかという区分だが、その頃は携帯電話を持っているかいないかが基準だった。加藤氏の分類はなお緻密で、1携帯を持っていない人、2携帯を使っているが、秘書に持たせている人、3自分で携帯を使いこなしている人、にわかれた。
加藤氏は世論を吸い上げるのに徹底的にメールに頼った。あまたくる自分への支援のメールを多数を占める世論だと読み違えたのである。いまよりも「情報革命」の成熟度が低い、SNSなどの存在しない20年近く前の話である。
不勉強ながら、本書のなかで「ねじあげの酒飲み」という言葉を初めて知った。派閥の領袖、中曽根康弘氏と複雑な関係を見せていた「ヤマテー」こと山中貞則氏の項である。
世に「ねじあげの酒飲み」という言葉がある。酒を勧めると、「いやいやもう沢山」と断るが、「それではこの辺で」と引き下がってしまっては大変で、「そう言わずにもう一 杯」「どうぞどうぞもう少し」と注ぎ続けないと機嫌が悪くなる人のことを言う。(中略)山中氏に日本経済新聞の『私の履歴書』への登板を頼みにいったことがある。山中氏にもねじあげの酒飲みのようなところがあり、応諾してくれるかどうか心配だった。この話を聞いた中曽根氏が何と親切にも山中氏に推薦の手紙を書いてくれた。「『私の履歴書』も数々あれど、小生のはもちろん大したものではない。傑作は田中角栄氏と金丸信氏。貴兄が書けばこの二人と並ぶものになるでしょう」という有り難い内容だった。ところがこの手紙に目を通した山中氏はすぐにこれをベリベリと引き裂き、ごみ箱にポ イと投げ捨てた。「角と一緒にするのはぎりぎり許せるとしても、金丸ごときと一緒にするとは中曽根も焼きが回ったな」というのがその理由。 中曽根氏の厚意は一転、逆効果のようになってしまった。が、そこはねじあげの酒飲み、あれこれやりとりの末、結局は引き受けてくれた。
まさにこういうのを、(当事者しかわからない)「機微」というのだろう。
政治家とはめんどくさい生き物。国を動かす愛すべきキャラクター。
「機微」を楽しく読ませる。これがこの本の最大の魅力である。
レビュアー
コラムニスト。1963年生。横浜市出身。『POPEYE』『BRUTUS』誌でエディターを務めた後、独立。フリー編集者として、雑誌の創刊や書籍の編集に関わる。現在は、新聞、雑誌等に、昭和の風俗や観光に関するコラムを寄稿している。主な著書に『ロックンロール・ダイエット』(中央公論新社、扶桑社文庫)、『車輪の上』(枻出版)、『大物講座』(講談社)など。好きなアーティストはジム・モリスンと宮史郎。座右の銘は「物見遊山」。全国スナック名称研究会代表。日本民俗学会会員。