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2018.03.06

レビュー

「首相も米軍も恐れた不屈の男」沖縄の神・瀬長亀次郎とは何者か?

国土面積0.6%の沖縄に在日米軍施設の70.6%が集中している、これが沖縄の現状です。かつて沖縄の復帰について佐藤栄作元首相(安倍首相の祖父岸信介元首相の実弟)がこう高らかに宣言していました。

沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって戦後が終わっていないことをよく承知しております。

ここ何年か安倍首相・自民党が“戦後レジュームの脱却”云々と言っていますが、沖縄の基地の現状を見るかぎり、少しも「戦後は終わって」おらず、脱却(?)すべき“戦後レジューム”などどこにもありません。もしあるとするならば沖縄に基地を集中させてきた日本政府の脳裏にしかありません。戦後が終わっていない証の1つとして日米地位協定があげられるでしょう(協定とはいうものの日本での法令区分としては条約です)。

この地位協定は正式には「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」といいいますが、この協定の名が示しているように日本国の上位に合衆国軍隊の地位が置かれています。(締結時の首相は岸信介)

その時から12年の時を経て沖縄の復帰が現実のものとなりました(復帰時の首相は佐藤栄作)。誰もが待ち望んでいた沖縄復帰、しかしその一方で「佐藤総理みずから言って」いたように「返還協定に反対するというのは復帰に反対」という“空気”が蔓延していたのが当時の日本でした。

異を唱えることが難しい“空気”のなか、この政府主導の沖縄復帰運動を厳しく批判した声があがりました。その声をあげた1人がこの本の主人公・瀬長亀次郎です。

よく自民党あるいは佐藤総理みずから言っておる、返還協定に反対するというのは復帰に反対かということばなのです。これはとんでもないことだ。
佐藤総理の口から言ったでしょう。今国会の冒頭の所信表明の、沖縄問題に対するあの結語は、軍事基地の継続使用は返還の前提ともなる。覚えておられるでしょう。
返還が目的ではなくて、基地の維持が目的である。
ですから、この協定は、決して沖縄県民が26年間血の叫びで要求した返還協定ではない。
この沖縄の大地は、再び戦場となることを拒否する!
基地となることを拒否する!

読むものを熱くする瀬長の傑出した言動の1つがこの場面です。重要なのは、アメリカ軍政下の沖縄にあって、米軍のさまざまな干渉・攻撃があっても屈することなく「祖国復帰」を強く主張し、その運動を行ってきたのが他ならぬこの瀬長亀次郎だったということです。

時の権力者(=首相)に一歩も引かず批判を加えた亀次郎とはどのような政治家だったのでしょうか。亀次郎の原点は太平洋戦争末期、本土の盾とされ“鉄の暴風”と呼ばれた激しいアメリカの攻撃にさらされた沖縄戦でした。

あの沖縄戦とは、本土決戦を少しでも遅らせるために、日本が沖縄を捨て石とした戦いだった。県民4人に1人が命を落とした地上戦は、絶望しかなかった。

戦争によって荒廃させられたのは風土だけではありません、否応もなく戦争に巻き込まれた県民の心もまた大きな傷を付けられたのです。そしてアメリカ軍の支配下に置かれた沖縄、それが亀次郎の出発点でした。

なぜ戦争が起きるのか。なぜ庶民は虐げられつづけるのか──瀬長亀次郎の戦後は、ここから始まった。

どのような圧政にも屈してはならない、それが亀次郎の政治家としての姿でした。これが亀次郎を沖縄の民主主義運動のリーダーとしてまたシンボルとしたものでした。比屋根照夫琉球大学名誉教授の言葉がこの本に出ています。

沖縄の民主運動は、谷間の時代もあるが、一貫して流れているのは、アメリカ占領時代の不法や不義に対する抵抗の精神。それがいまの日本政府の沖縄基地政策、構造的差別への抵抗に結びついている。

アメリカ軍政府が自己の支配を正当化するために用いた、欺瞞的な“民主主義”の姿を身をもって知ってきた亀次郎には佐藤政権が主導する返還協定にある欺瞞性を許すことができませんでした。日記にこうあります。

(沖縄の基地から)B52、その他の出撃、自由発進、自由使用。核(抜き)──明確にされなかった。あいまい。自国の都合のよいように書かれている。核かくし。アメリカの真意。有事の場合持ち込む(11月22日の日記)

懸念は亀次郎だけではありません。屋良朝苗行政主席(当時)の「復帰措置に関する建議書」というものがありました。

建議書は、「返還協定は基地を固定化するものであり、県民の意志が十分に取り入れられていない」として「政府ならびに国会はこの沖縄県民の最終的な建議に耳を傾けて、県民の中にある不満、不安、疑惑、意見、要求等を十分にくみ取ってもらいたい」とある。

しかしこの建議書は屋良が羽田に到着する直前に「自民党が突然、返還協定の質疑打ち切りの動議を行い、採決を強行」したのです。この建議書は「幻の建議書」と呼ばれるようになりました。そのような中で亀次郎は国会での佐藤首相への質問を行ったのでした。

その後、日米間の沖縄秘密協定が明らかになり、亀次郎が喝破した欺瞞は確かなものとなりました。「核抜き・本土並み」は有名無実なものでしかなかったのです。

「核抜き・本土並み」。核はなくなるし、本土並みに基地もなくなっていく。日本政府は、そう説明した。本土にあった米軍基地はどんどん減っていったが、それは占領下の沖縄に移されたことによるものだった。(略)本土が反対の声をあげれば基地はなくなるのに、沖縄が声をあげても基地はなくならないどころか負担が増えていく。

亀次郎の戦いはその死まで止むことがありませんでした。この本で詳述された彼の「不屈」の政治活動は読む者の心を打つに違いありません。

現在の2世3世の“家業政治家”や党執行部や財界の顔色をうかがう“忖度政治家”を見るにつれ、亀次郎の大きさ、というより“本来の政治家”の姿に誰もが心を熱くすると思います。そして考えると思います、彼の「不屈」「強さ」はどこからきているのだろうかと……。それは彼が徹底的に沖縄の民衆の生活に密着し「心のひだに分け入っていた」からです。

差別を憎み、弱者への思いを決して忘れない瀬長亀次郎の生涯を考えることは政治家はどうあるべきかを考えることになると思います。がと同時に“戦後レジームの脱却”や“改憲”論議の“空気”に流されないことの大事さを教えてくれます。故山本七平が空気に流されないためには“水を差す”ことだと言っていました。水とは“現実態”のことです。まさしく現実態(=水=民衆の生活実感)を手放さずにいた政治家として瀬長亀次郎は存在していました。水とはいっても極めて熱い思いにあふれた“水”です。そんな瀬長亀次郎への、また沖縄への著者の熱い思いであふれたこの本は戦後の日本論、日本人論としても優れた1冊だと思います。

レビュアー

野中幸広

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の2人です。

note⇒https://note.mu/nonakayukihiro

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