講演と国谷裕子さんとの対談で構成されたこの本は、深い内容を読みやすく語った憲法の入門書であり、また具体的な例で法構成(解釈)を解説していかに「憲法を使いこなす」かということを示した出色の1冊です。
講演は“立憲主義”とはなにか、から始められます。
──立憲主義とは、ごく簡単に言えば、過去に権力側がしでかした失敗を憲法で禁止することによって、過去の過ちを繰り返さないようにしよう、という原理のことです。──
国家権力がやりがちな過ち(失敗)は3つ、「無謀な戦争」「人権侵害」「権力の独裁」です。これらの失敗を二度と繰り返さないようにするために、「権力の濫用を防ぐ試みが「立憲主義」であり、立憲主義に基づいた憲法が「立憲的意味の憲法」です。そしてこの「立憲的意味の憲法では、軍事統制、人権保障、権力分立が三つの柱」となります。この3つの原則を貫いているかどうかが“立憲主義”を判断する規準となります。
「無謀な戦争」をしない意思は憲法9条で宣言されています。理想論、空想的と評されることもありますが、国連軍の措置、自衛権の発動を認めているとは言え国際社会の憲法といえる国連憲章2条4項に通じるものです。
──「すべての加盟国は、その国際関係において、武力により威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」と定めています。つまり、武力行使は国際法違反なのです。(略)憲法九条の内容はほぼグローバルスタンダードに沿ったものと言えるでしょう。──
「人権侵害」はどのように考えればいいのでしょうか。大事なのは“侵害される側の人”とはどのような人たちなのかということです。私たちの想像力や無意識が試されているのです。
留意しなければならない点は「人権侵害が、少数のひとにのみ大きなダメージとなり、他の多数の人にはあまり影響のないものと受け止められることが多い」ということです。それは、“最大多数の最大幸福”(ベンサム)であればよいということではありません。“最大多数”が安易に少数者を圧迫する“多数の満足・同意=数の暴力”となることがあるからです。少数者の側にこそ「人権侵害」の問題があらわれます。
──一部の人にとっては深刻な問題であるにもかかわらず、大多数の人にとっては直接の不利益にならないことは無限にあります。そこで、憲法一三条で、国民の「自由」一般を保障することにしました。──
「人権保障」の例として婚外子の相続分差別、夫婦別姓訴訟を取り上げています。そして、そこに潜む“差別の構造”を明らかにし、と同時に「人権保障」の勝ちとり方(訴訟の提起の仕方)について話を進めていきます。
そして、この本の最も読みごたえのある「権力の独裁」の問題に移ります。「権力の独裁」をどのように防ぐのか、憲法はどのようにそれを定めているのかの検証です。とり上げたのは「辺野古基地建設をめぐる問題」です。アクチュアルな問題です。
ここで中心になるのが「統治機構論」というものです。人権論と並ぶ憲法学の2本の柱の1つです。「統治機構論」は「この権限は誰の権限なのかを延々と議論する分野」です。三権分立もこの大きな一つです。
けれど国家権力(国家行政権力)を抑制するのは三権分立だけではありません。地方自治というのにも中央政府の暴走を押さえる面があります。
では「立憲的意味の憲法」という視点から辺野古問題はどのように考えるべきなのでしょうか。まず地方自治への干渉です。
──自治体の領域内に、自治体の行政権が及ばない空間を作り出すということは、その空間では住民の求める管理ができないということ、住民自治ができなくなるということです。(略)米軍基地が設置されるということは、地元自治体の自治権が大きく制限されるということなのです。それにもかかわらず、米軍基地の場所を内閣の閣議決定で決めてしまうのは、地方自治を定めた憲法に違反するのではないか、という疑問が生じます。──
中央政府による地方自治(地方政府)への介入、住民の意思の無視に繋がります。行政権力が一方的に国家的課題は地方自治に優先すると宣言すればいいというものではありません。
──安全保障は国の事務だから国が決める。地元自治体の自治権制限はないから法律の制定も不要だというものです。法律として挙げられているのは、地方自治法のみです。私が危惧した通り、本当に、内閣が「ここに基地を造る」と閣議決定をして、アメリカと合意できれば、そこに基地を造ってよいと政府は考えているようです。(略)そもそも沖縄県の側は、安全保障の権限が自治体にあるなどとは主張していません。当然その権限は国の側にある。しかし、米軍基地の設置に伴い付随的に自治権の制限が生じるので、自治権制限を根拠づける法律をきちんと制定してくれ、と言っているだけです。国側の主張に従うなら、「安全保障のために必要がある」と国の側が考えれば、法律なしにあらゆる自治権を制限できることなってしまいます。これは地方自治を有名無実化する、大変に恐ろしい憲法観です。──
“住民の生活と権利”の表現である自治権の無視というのは、国家権力がやりがちな3つの過ちのうち「人権侵害」「権力の独裁」に繋がりかねません。米軍基地の目的を考えれば「無謀な戦争」という過ちとも無関係ではないと思います。だとするならば、辺野古問題には国家権力がやりがちな過ちのすべてがあるのです。
(行政)権力は肥大します。いい古された言葉ですが「権力は腐敗する、絶対権力は絶対腐敗する」ことを忘れてはならないと思います。
──憲法とは、「人権が尊重され、よき統治がなされる社会を作ろう」という希望を実現するために存在します。そうして希望は、人間が人間らしく生きていくために不可欠のものです。(略)権力者に憲法を守らせるのは簡単ではありません。権力の座に就けば、自分たちの邪魔をする人を排除したくなるものです。権力者が自ら進んで人権を保障し、権力分立を進めていくなどということを期待できないことは、歴史が証明しています。──
ではどうすればよいのか。大事なのは自分たちが日々感じている“違和感”大事にすることです。木村さんは講演の終わりにこう話しています。
──皆さんに身につけてほしいのは、「政府のこの活動は何かおかしいのではないか」、個人の権利が侵害されているのではないか」という勘を働かせる能力です。そうした勘を身につけるにか、自分らしく生きようとした時に感じる息苦しさに気づくことが重要です。日本人は我慢を美徳とするので、いやなことがあっても我慢し、仕方がないと考える傾向があるように思います。しかし、本当に我慢すべきことなのか、社会の側を変えるべきではないのか、と考えてみることは非常に大切です。──
どこか当然のように憲法改正をいわれるようになりました。改憲のために逐次、条項を検討するという声も出てきています。けれど、国家の3大欠陥を見据えている論議になっているでしょうか。条文解釈の前に憲法の存在意義を確かめるためにも、憲法を私たちのものとするためにも読んでほしい1冊です。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。
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