「こちらの行動に問題があるわけでもないのに、なぜか理不尽な攻撃を仕掛けてくる」、そんな危険な隣人が増えている……。ストーカーだけではありません。なかなか止むことのないハラスメント、モンスターペアレンツ、モンスタークレーマー……。身に覚えのないことで責められる、誤解を解くこともできず一方的な悪口・ウワサに悩まされる、一言いうと逆ギレされる、息苦しいことが増え安心できる場所がどんどん狭くなっていく……。
この本は、そのような「危険な隣人」がなぜ生まれたのか、そしてそれから身を守るにはどうすべきかを具体的な事例(ケースワーク)、さらに脳科学や心理実験を参照しながらやさしく解き明かしたものです。
本人は“正義”のつもりなのかもしれませんが、それが「悪意」を生むのはなぜでしょうか。その原型ともいえるのが「いじめ」なのです。「いじめ」の発生するメカニズムはどのようになっているのでしょうか。それは、
1.「全能感」に満たされている状態
2.それが邪魔されて「不全感」が生じる
3.「いじめ」という行為を通じて「全能感」が回復される
という「悪循環のサイクルが生じていると考えられる」のです。
これは“非人間的”なことなのでしょうか。どうもそう簡単にはいえないようです。
いじめや窃盗癖のある少年たちの脳画像を調べたところ興味深い結果が出たそうです。
──他人が苦痛を感じている映像を見た時、彼らの脳では、扁桃体や副側線条体など、快感や喜びに関係する領域が活性化することが確認された。この領域は(略)「ねたみ」によって活性化する領域。すなわち「他人の不幸は蜜の味」という領域と関連する部分である。
つまり、いじめの常習者では、「他人が苦しんでいるのを見ると『快感』が生じる」というメカニズムが脳内で働き、それがドパミンなどの物質への「嗜癖=依存症」というサイクルを通して、さらに強い「いじめ」を求める行動を引き起こしている可能性が高いというのだ。──
さらに続けて二つの有名な心理実験が取り上げらています。一つは『es』(エス)という題名の映画になった「スタンフォード監獄実験」です(『es』は『エクスペリメント』という題名でリメイクもされました)。
看守と囚人に役割を与えられた一般人がどのような行動をするかという実験でした。この実験では看守役の人々が“より看守らしく”過酷な対応・刑罰を囚人役に科すということが生じました。
──人間はある「役割」を与えられただけで、簡単に「凶暴化」する存在だということである。(略)逆に考えると、きわめて凶暴に見える人物も、もともとの性格や育ちだけに原因があるわけではなく、実は「状況」や「役割分担」に大きく影響されているのかもしれない。──
「悪意」はどこにでもあり、誰もが容易にそれに取り憑かれることが起きてしまうのです。これは先の「いじめのサイクル」と同様に、はじめはどのような「小さな」ものであっても、「悪意」もサイクルとなることによって増殖していきます。エスカレートしていく「危険な隣人」の行動にもこれがあるのではないでしょうか。
もうひとつはハンナ・アーレントの著作『イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』から取られた名称を冠した『アイヒマン実験』(別名ミルグラム実験)です。これは権威者の指示に従う人間の心理状況を実験したものです。ここで明らかになったのは、
1.私たちは自分が思うよりずっと「権威」に弱く、「状況」に左右される
2.「理性」の声は「感情」の動きに勝てない。強く感情を揺さぶられる状況になって初めて「束縛」から逃れ、「行動」に移ることができる
3.距離が遠く、声だけが聞こえる状態では、私たちの心は動きにくい
ということでした。
ここでは何が分かったのでしょうか。
──私たちが「自分の考え」だと思っていることも、実は「他人の判断」や「世間の評価」に強く影響されている。権威や肩書きのある人物、有名人、金持ちなど、さまざまな要素で、私たちは物事の「正しさ」を推し量り、いつの間にかその判断に従って毎日の生活を送っているのだ。──
つまり自己の判断というものに秘めている危うさとでもいうものでした。自己と信じているものが、私たちが思っている以上に自己以外のものに影響を受けているという事実でした。
この危うさは「ネット社会」では増幅されがちです。
──「ネット社会」は、「目の前で見て、手を触れてみる」という「リアル」な実感が大きく欠如した世界である。だから、ニュースで見た、あるいはネットで知り合った他人に対して、あからさまな敵意をあらわにしたり、聞くに堪えないような悪口を書き込んだりすることが平気でできてしまうのだ。「アイヒマン実験」の提起した問題意識は、現代になってますます重要な意味を持ってきているように見える。したがって、自分もまた他人の「悪意」の片棒を担いでいないか、よく考えてみなければならない。──
ここで思い起こしてほしいのは私たちは「全能感」に満たされている状態を望ましいと思っているということです。いじめの始まりにあったものです。
──自分の思い通りにならないことが起きると、他人を否定して「悪」だと見なし、攻撃の対象にしてしまう。「自分の人生が危機に晒されている」という不安感が人一倍強い人たちは、何が正しいかという判断についても、自分の都合のよい方向へと物事をゆがめてかんがえてしまう。このようにして「認知のゆがみ」、あるいは「ゆがんだ正義感」が生じてくるのである。──
もうひとつ考え合わせなければならないことがあります。
──遺伝子が生き残るためには、「自分を守ること」「自分の複製(子ども)を作ること」「子どもたちを守り育てること」の三つの条件が、圧倒的に重要な役割を占めるといわれている。
「自分自身がかわいい」「自分の家族や親族、自分の味方をしてくれる者こそ大切だ」という感情は、きわめて強い影響力で私たちの行動を支配している。それは、人生の厳しい局面を乗り越えるためにはとても大切なものだが、「ゆがんだ正義感」の隠れ蓑の下で、周りの人たちを苦しめる原因にもなってしまう。──
このワナに陥らないためにはどうすればいいのでしょうか。
なによりも判断をゆがめてしまう「感情」に振り回されないこと、自分と違う考え方を素直な心で受け入れることからはじめようと梅谷さんは提言しています。
どれもよく聴くことではあります。よく聴くということは逆にいえば思っている以上に実現できていないことともいえます。自分の立場、役割を言い訳にして。
「ゆがんだ正義感」「危険な隣人」というものが問いかけているのは、私たちの「判断の根拠」だけでなく、「自尊心」であったり、お互いの「自由の尊重」というものにほかなりません。それはいかに生きるのかに通じるものでもあります。この本は人間心理の迷路を解明しながらその問いに答えようとしたものだと思います。一見正しそうに感じてしまう「共感」というものが持っている逆説など、人間心理の綾を知る上でも実に興味深い1冊です。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。
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