激烈な書、というのがこの本にもっともふさわしいいい方です。国家とはどうあるべきなのか、それに対して現在の日本は国家の体をなしているのか、という思いが著者の激しさを生んでいるように思います。外務省の重鎮(!?)の実名告発の激しさに目を奪われてしまいますが、これは私憤ではありません。著者に向けられた理不尽な(というよりグロテスクな)までの言動、それは外務省エリートが自己保身を図る言動であり、それはまた国の形を損なう言動にもなっています。彼らに向けた著者の憤りは公憤そのものです。
公金にたかる姿、便宜供与、マスコミへの謀略、はては「外務省トップのご乱行」など、この本でとりあげられた「実態」を知ると呆れるしかありません。それでもなぜ彼ら「歪んだエリート」を重用しなければならないのか、それも「日本劣化」の大きなあらわれのひとつです。
エリート官僚の不祥事は過去にもしばしばありました。旧大蔵省を始めとする官官接待などがスキャンダルとしてメディアに取り上げられました。けれどこの本を読むと外務官僚の不祥事はかつてのエリート官僚のスキャンダル以上に問題が多いように思えます。なぜなら彼ら外務官僚は強大な特権を持っているからです。
在外公館(大使館・総領事館・政府代表部)に勤務する外務省在外職員は、不逮捕、身体の不可侵、さらに租税の免除という特権を持っている。この特権は、国家を代表するという職務の機能に対して付与されているにもかかわらず、「われわれ外務官僚は特権をもった、他の日本人とは異なる人種だ」という歪んだエリート意識に発展しやすい。
この本に取り上げられたエリートの言動がどれほどグロテスクなものかというと……、
自動車を運転し、人を殺したにもかかわらず、刑事責任を免れ、外務省の処分もわずか停職1ヵ月に過ぎない(略)外務省は「この処分に関する当時の判断は、妥当であったと考える」と開き直っている。
この特権にあぐらをかいた歪んだエリート意識にさらに「自己保身」が結びついたのが外務官僚です。
外務官僚というのは要するに自己保身が猛烈に強い。自己保身が強いと同時に権力にブリッジをかける。そして権力と自分たちとの間に完全な相互依存の関係を作る。この点においては本当に緻密な才能を持っている。
自分の栄達のために過度に国会議員に擦り寄り、その同じ議員の信用失墜を図るために外務省の機密文書をマスコミや政治家に流し、日頃から酒と女で飼い慣らし弱みを握っているマスコミと取引して、事件が発覚しても自分たちは決して実名を報道されないよう工作し、刑に服することもない。
このような魑魅魍魎(ちみもうりょう)がうごめく世界が著者のいた外務省です。これではとうてい「気概」や「倫理」が生まれてきません。自分こそがなにより重要ということでしょうか。この本でヒトラー政権末期のドイツ官僚の挿話が紹介されています。目と鼻の先にソ連軍が迫ってきていてもなお、ヒトラーの官僚たちは後継争いや叙勲競争に血道をあげていました。自己のことのみに目を奪われ、「ヒトラーの後継者になっても縛り首になるだけなのに、閉鎖空間の官僚にはそれが見えない」のです。同じことが今の日本の政官界でも起きています。
さらにまた外務官僚には他の官僚と大きく違っている要素があります。それは「国家を代表するという職務」です。外務官僚の活動は諸外国からは日本国家の活動とみられます。その点では他の(内務)官僚に比べてはるかに政治家的な要素を強く持たざるを得なくなっています。国家は「内政の形」で作られるだけでなく、諸外国との「外政(外交)」の関係の中でも作られます。それを担っているスタッフが外務官僚です。
外務官僚が極めて政治的な存在であるということは、この本で取り上げられた「沖縄密約」についての2つの章を読むとよくわかります。元外務官僚の吉野氏、また密約をスクープしたにもかかわらず政治と検察によってこのスクープを葬られた西山氏のインタビューで構成された2つの章はこの本の中でも重要な箇所です。
沖縄密約も「国益」ではなく、「政権益」による判断だった。財政問題での合意ができていたにもかかわらず共同声明に盛り込まなかった最大の理由は何だったのか。それは佐藤首相の帰国後ただちに断行を予定していた「沖縄解散」総選挙を最大限有利に導こうという意図が働いていたためです。圧勝で「佐藤4選」を果たすために、巨額の対米支払いが明らかになることによって起きる可能性がある議会および国民の激しい反発を避けたかった。これははっきりとした選挙政策、党利党略です。(西山氏の発言から)
大きな傷を公権力によって負わされた西山氏のこの言葉は私たちにさまざまなことを教えてくれます。「国益」というお題目も時に「党利党略」さらにいえば「権力者の私益」を隠すものに過ぎないのだ、と。そしてそれに積極的に加担する(せざるをえない?)外務官僚が存在するということを。
さらにこのような1文が記されています。
沖縄協定は氷山の一角で、外務省にはまだ公表していない、あるいは公表すると差し支えがあると思うような、協定がほかにもあるでしょう。(吉野氏の発言から)
「国民に嘘をつく国家は滅びる」
現在の行政権力の不祥事を予言しているような言葉です。行政権力の恣意的な行使・腐敗は国家を崩壊させます。
国家(政府)の嘘は外務省だけではありません。財務省の森友文書、加計学園をめぐる文書、厚労省の働き方改革に関する調査データ、防衛省のイラク日報、これらすべて政府と官僚という政府権力にとって不都合なことを国会、さらに国民に隠しているようにしか見えません。沖縄密約が佐藤政権維持のために(あるいは支持層を作るために)利用されたように、現政権が政権を手放さないために改ざん・隠蔽しているとしか思えません。しかも無責任体質をむき出しにして。
この本は外務省のスキャンダルを追ったものではありません。日本の国家の形が壊されている、壊され続けていることに大きな警鐘を鳴らしたものです。著者の旺盛な執筆活動の原点にあるこの本は、同時に著者の「倫理」のありかを示しているもののように思えます。熱い書です。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の2人です。
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