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2018.02.06

レビュー

ユダヤ人6000人を救った杉原千畝。日本政府はなぜ闇に葬ったのか?

この本は第2次世界大戦中、リトアニアに赴任していた外交官・杉原千畝(すぎはらちうね)をめぐる長編エッセーです。杉原はナチス・ドイツの迫害から逃れてきた6000人にものぼるユダヤ系の人々(難民状態でした)に大量のビザを発給し避難民を救ったことから“東洋のシンドラー”とも呼ばれています。

数少ないながらテレビドラマ化された後、2015年にはチェリン・グラック監督、唐沢寿明主演で『杉原千畝 スギハラチウネ』として映画化されヒットしたことから日本でもよく知られるようになりました。けれどそれまでは、海外での評価は高かったものの、日本では知る人ぞ知る存在でした。

著者が初めて杉原千畝の名前を聞いたのは1980年代のアメリカ、ロサンジェルスでのことでした。
「あなたは日本人のくせに、杉原千畝を知らないのですか?」
と日系人のおばあさんからいわれ、初めて杉原の名を知ったのだそうです。

この日系人一家は戦後、移民としてアメリカに渡り、大変な苦労をしてグリーン・ファーマー(野菜農家)として成功しましたが、その苦しいときに助けてくれたのが、近くに住むユダヤ系のアメリカ人だったというのです。その理由は「あなたは、日本人だから」。杉原千畝の名前は、この一家も日本では聞いたことがなかったそうです。私はどんな字を書くのかと聞いて手帳に書きとめたことを、昨日のように思い出します。

今でも杉原千畝の名前をきちんと読めない人(政治家ですらも)がいるようですが、杉原の名前について杉原夫人が綴ったある挿話がこの本で紹介されています。(『六千人の命のビザ[新版]』より)

ビザを受け取り、無事に脱出したユダヤ人たちは、戦後、夫の行方をずっと探し続けていたのだそうです。しかし外務省に問い合わせても、「該当者なし」という返事しか帰ってはこなかったそうです。夫は自分の名前を「スギハラセンポ」と教えていました。「チウネ」というのは外国人にとっては呼びにくい発音なのです。

杉原夫人は「『スギハラセンポ』という名前で照会していたのでわからなかったのかもしれません」と続けていますが、本当にそうだったのでしょうか?

〈外務省に勤務していた人たちの一覧表が載っている霞ケ関の名簿には、杉原という名前は三人しかいないのですし、カウナスの領事だった杉原といえば分かりそうなものなのに〉と思ったのですが、それがお役所仕事というものなのでしょう。

「杉原の免職事情も知っている外務省」の対応がこうだったということの中に、戦後になっても杉原を無視(忌避?)していた政府・外務省の姿勢がうかがえます。戦後になってからでも、戦前・戦中の政府の方針に逆らったものは認められないということだったのです。

では杉原千畝がリトアニアに赴任した1939年はどんな年だったのでしょうか。この年にナチスドイツがポーランド西部に侵攻し第2次世界大戦が始まりました。翌年には日独伊3国同盟が結ばれ、日本ではドイツとの“強固な同盟”に熱に浮かされた政府・軍部が戦争の拡大へと舵を切ることになります。

“強固な同盟”を優先した日本政府はナチスのユダヤ人迫害をどう捉えていたのでしょうか。すでにナチス・ドイツのユダヤ政策によって、大量の避難民が発生していました。日本への入国・通過を求めてビザの発給を求めて多くのユダヤ人が日本の領事館へやってきました。その事態に対して日本の外務省は訓令を出します。それはユダヤ人の日本の入国・通過を非とするものでした。これは暗黙の内にナチスのユダヤ迫害政策を支持していたことになります。

ビザを求める人たちと訓令の間にはさまれた杉原。杉原は政府の方針、外務省の訓令にそむいてビザを発給したのです。のちに杉原はこのように回想しています。

仮に、本件当事者が私でなく、他の誰かであったならば、百人が百人拒否の無難な道を選んだに違いない。なぜか? 文官服務規程というような条例があって、その何条かに縛られて、昇進停止とか馘首が怖ろしいからである。(略)兎に角、果たして浅慮、無責任、我武者らの職業軍人集団の、対ナチ協調に迎合することによって、全世界に隠然たる勢力を有するユダヤ民族から、永遠の恨みを買ってまで旅行書類の不備とか公安上の支障云々を口実に、ビーザを拒否してもかまわないとでもいうのか?それが果たして国益に叶うことだというのか? 苦慮の揚げ句、私はついに人道主義、博愛主精神第一という結論を得ました。

杉原はこうしてビザを発給しました。万年筆が折れるほどビザを手書きしたといいます。しかしそのような杉原に対して外務省の杉原への対応は苛酷なものでした。

敗戦に伴い日本政府は海外の日本大使館、領事館を次々を閉鎖した。杉原のいたルーマニア・ブカレスト公使館にも閉鎖の知らせが来たが、その後、どういうわけか帰国の命令が出ず、ソ連軍に1年間拘束されたのである。やっと日本に帰ってきたのは1947年。海外の大使館、領事館の中で、最終であった。これが何を意味するのか? 後の杉原の罷免につながるのではないかと言う人もいる。

そして帰国からわずか2ヵ月後に外務省から退職勧告が出されました。事実上の「罷免」です。さらに外務省ではいわれのない誹謗中傷が流されたそうです、「杉原はユダヤ人から金をもらった」というような。こうして杉原は外務省の歴史から消されました、2000年に河野洋平外務大臣によって名誉回復されるまで。

杉原を“発見”したのはドイツのジャーナリストでした。そして多くのユダヤ人を救った恩人としてイスラエルで彼の功績が称揚されるようになったのです。

著者は杉原の中に優れた日本人の原型を見ています。「千畝」という名前には杉原を育てた「日本の原風景」を象徴しているのではないかとも綴っています。自らの信念に従った彼の行動の中には「自己犠牲」「武士道」などの姿もうかがえます。このような観点がこの本を杉原千畝個人を越えた日本人についてのエッセイにしているのでしょう。

この本には杉原千畝のように生きられるかという問いがあるようです。相手こそ違え、相も変わらず“強固な同盟”主張一色で対米協調に迎合するだけの「浅慮、無責任、我武者らの」政治家(官僚・実業家)が目立ついまの日本だからこそ、杉原の生き方・信念には生部ことが多いのではないでしょうか、単に「日本の誇り」と称揚するだけでなく。

表紙画像

差別を排し、良心に生きた“日本のシンドラー”杉原千畝の姿に象徴される、日本人の美徳、誇りとは何か? 新たなる「日本人論」の誕生!<

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レビュアー

野中幸広

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。

note⇒https://note.mu/nonakayukihiro

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