歴史上の人物を論じる荻生徂徠の言葉に「いり豆をかじりつつ古今の英雄豪傑を罵倒するは人生最上の快事である」という有名なものがありますが、「罵倒」はさすがに徂徠ほどの学識がないと……とは思いますが、「歴史上の人物」は良きにつけ悪しきにつけ私たちの“鑑”ではあるのかもしれません。
この本は、壬申の乱後の「女帝の世紀」から明治の「西南戦争の西郷隆盛」まで10数人の歴史上の傑物を縦横に語った第一部、さらに大坂の陣から天皇、憲法問題など、専門家6人と熱い論議を重ねた第二部で構成されています。ここには私たちが歴史(学問だけでなく、歴史小説、史談まで含めてた広義の歴史)から何を学ぶか、どのように歴史に接するかの好例があると思います。
たとえば日本人のリーダー像に触れて、
──日本人の好むリーダー像は大きくいえば二つ。寡黙で多くは言わないけれど、しっかりと引っ張っていってくれる不言実行タイプ。西郷隆盛のような。または、自己主張が強く、打てば即座に響く、攻めに強いカリスマタイプ。信長や秀吉がそうですね。内蔵助はそのどちらでもなく、まず皆の話を聞く、聞いておいていったん話を収め、結論は引っ張る。といっても何を考えているか知れないわけではなく、求められればちゃんと説明もしてくれる。その上で、最終的な判断は自分の中にあり、肚がすわっていて動じない。自己アピールが大事とされる現代では、なかなか浮上してこないタイプかもしれません。攻めの時代のリーダーではなく、守りの時代のリーダーなんだと思います。保守的に閉じこもってしまうのではなく、引きの姿勢でありながら機会とみれば攻めていける。──
三つめの内蔵助型リーダーは減成長、少子高齢化時代の今の日本にうってつけのように思えます。ところが見たところそのような内蔵助型ではなく、政界(政府も与野党)も財界のリーダーたちも「信長型」を気取っているようです。とはいっても、どこか貧相で品がないように感じられるのですが……。
このような指摘が目に入ります。
──西国政権はどれもが中国・朝鮮・大陸への関心が強い。交易の利益や高度な文化への憧れが理由だと思います。(略)その後、薩長土肥の西国諸藩は出身者が率いた明治政府は大陸に侵出し、最後は日中戦争に突入していく。西国政権には海外への膨張志向が見えます。逆に東国政権である鎌倉幕府や鎖国の江戸幕府は貿易よりも国内統治を優先します。──
重商主義の西国と重農主義の東国といえばいいのでしょうか。他国との“差異”によって富をはかる重商主義は覇権主義に結びつきやすものですし、対外交易という視点からしばしば「愛国心」と結びつきやすいものです。アダム・スミスがこのようなことをいっています。「我々の愛国心は、他のあらゆる近隣国の繁栄や拡大を、もっとも悪意に満ちた妬みや、羨望をもって眺めようとする気分にさせることが少なくない」(『道徳感情論』)。
今の日本の国際競争力強化至上主義も、輸出に頼って経済成長を考えるのは現代版「重商主義」だといえると思います。今の日本の「愛国心事情」もあわせて考えるとますますその感を強くします。
東国はというと“一所懸命”に象徴されるような「言うならば地方開発地主連合が支配した究極の地方分権国家」でした。ここでは領地の安寧・安堵を保つことが至上命題だったのです。とりようによっては変化をおそれ、商品経済を全面肯定できずにいたといえます。そのままでは欧米列強のアジア侵出に対抗できず「欧米列強のアジア侵略から生きのびる」ために倒幕、開国への道を歩みました。けれど今の私たちにはそこに“持続可能性”のヒントを見てもいいかもしれません。といってもむやみな江戸文化賞賛ではダメだと思いますが。
この幕末の動乱に新たな権威として浮かび上がったのが天皇でした。この権威とは実行権力を保証するものです。
──よく「天皇論」として、さまざまな時代をまとめて議論されることがありますが、私は成り立たないと思います。時代によって天皇は意味が違います。例えば古代の天武天皇から昭和天皇まで、トータルに議論するのは無茶だと思います。時代によって天皇は意味が違います。常にあった国家統一のシンボルでしたが、そのニーズが時代によって違っていた。江戸時代は祭祀を行い、武家に位を授ければよかった。しかし幕末から明治にかけて、グローバリズムの中で世界に乗り出さなくてはならない時に、天皇への期待がすごく高まった。権力者にとっても自分の行動を正当化し保証するのは天皇しかいなかった。──
司馬遼太郎さんの明治以降の「プロシャ風の皇帝はきわめて非日本的な、人工的なものです」という言葉をうけては葉室さんはこう語っています、「江戸時代までにあった徳治の天皇を、覇道の天皇に変えていった」と。
強引に天皇像をつくりあげることで明治政府が目指したのは、近代国民国家というものでした。この国民国家というものは煎じ詰めれば、
──江戸時代までは、戦争をするのは武士だけで、島原で乱が起きても侍や足軽が行けばよかった。それが、全員が行かなくてはならないというのが、国民国家の恐ろしさです。近代までは、その国民国家を作ることが歴史のゴールでした。しかし、現代において考えると、それはゴールではなかったのではないかと、という疑問が湧いてきます。──
この国民国家へ最後の反逆を試みたのがリーダー論のところでも語られた西郷隆盛による西南戦争でした。
──西南戦争によって、欧化政策に対する異議申し立てが最終的に敗北します。ここで江戸時代が終わったのです。同時に、アジアに忽然と登場した西洋型国家がスタートを切った。当時はそれが正しいとされたし、やむを得なかったと思います。欧米列強のアジア侵略から生きのびることが大事だったから。しかし、なにかが確実に失われた。それは、これからも日本人が考えていくべきテーマです。西郷が目指した倫理性を伴う革命は挫折し、大久保らに代表される実務者の時代になったのです。──
ここで失われたものの代償はとても大きかったのではないでしょうか。それは軍国主義、太平洋戦争(大東亜戦争でもいいですが)の破綻へと繋がっていったように思います。
その「失われたもの」はいまだ失われたままです。そのひとつのあらわれでしょうか、葉室さんはこのようなことを記しています。
──普通に考えれば、自国の中に外国の軍事基地があるというのは屈辱にほかならないのですが、現在、そうは感じない人もいます。とても不思議なことで、独立すること、自立すること、それらの妨げになるものにノーと言えるのが本来の姿だと思いますが、そこが丸々と見失われて議論にもなっていかない。そして、憲法の条文を変えさえすれば現実が変わるかのように改憲論議が進められています。現実の外交や政治は変わらずに気分だけで独立しようということなのか、とても不思議です。──
この本でも天皇についてと同じように多く語られている憲法論議での1節です。ここだけ抜き出すと誤読されそうなので、ぜひ手に取って読んでください。天皇論、憲法論は優しい言葉で、いきり立った姿をたしなめるように語りかけています。とりわけ天皇についてはは天皇の名をつけた章だけでなく、時に文化として、時に宗教としてこの本全体の通奏低音として流れているよう思えます。
西郷隆盛については、さらにこんな記述がありました。
──ロシア革命のトロツキーやキューバ革命のゲバラが革命後、権力闘争からはずれ、革命の輸出に向かう姿に似ている──
なかなか興味深い西郷隆盛像ではないでしょうか。さまざまに語られる西郷隆盛ですが、これもまた新しい視点ではないでしょうか(ところで再来年のNHK大河「西郷(せご)どん」はどんな西郷像でしょうか?)。
史談というスタイルの持つ楽しさ、融通無碍なさま、さら歴史に学ぶことの喜びにあふれている1冊です。そして先人の軌跡が教えてくれるものはまだまだあると思わせてくれるものでした。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。
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