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2016.08.19

レビュー

史上初「象徴天皇」の半生──今上陛下の心奥で、何が育まれたのか?

──即位以来,私は国事行為を行うと共に,日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を,日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として,これを守り続ける責任に深く思いを致し,更に日々新たになる日本と世界の中にあって,日本の皇室が,いかに伝統を現代に生かし,いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくかを考えつつ,今日に至っています。──

──私はこれまで天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。──

──I have considered that the first and foremost duty of the Emperor is to pray for peace and happiness of all the people.──(宮内庁ホームページより)

8月8日に放送された天皇陛下のメッセージです。「天皇の務め」を英文で「duty of the Emperor」と訳されているところに、責務であり義務であり、職務であり公務でありそれらすべてをふくめて務めとされたところに、陛下の強い意志というものが感じられます。

年間に数百以上ある天皇としての公務、それは国事行為だけではありません。それ以外にも公的行為というものがあります。この公的行為には内閣の助言と承認は必要とされません。つまり、この公的行為には「憲法の趣旨に反しなければ、ある程度天皇の意思」(山本雅人著『天皇陛下の全仕事』より)が反映されていると考えられます。そこにこそ“象徴天皇”とはいかにあるべきかという陛下の考えがあると見るべきだと思います。

つまり先の大戦の犠牲者への追悼・慰霊、災害地へのご訪問などにこそ、今上陛下が“象徴天皇”をどう考えているかをいうことがあらわれていると思います。そこにあるのは「事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添う」ことをなによりも考えられてきたということだと思います。
──天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たすためには,天皇が国民に,天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,天皇もまた,自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。──

28年に及ぶ在位期間は憲法の下、“象徴天皇”であるということはどういうことなのか、どうあるべきのなのかを考え続けながらの時だったと思います。“象徴天皇”は今までの天皇家の歴史の中で初めてのことでした。もちろん昭和天皇も戦後は“象徴天皇”でありましたが、戦前の20年は国家元首であり大元帥でした。大日本国権憲法下であり、“天皇機関説”(昭和天皇自身もそれに同意していたようですが)がありましたが、やはり統治主体であったことは確かです。その主体からはずれたところに“象徴天皇”があったように思います。

それに比べて今上陛下は即位した時から(あるいは戦後、日本国憲法が公布された時から)“象徴天皇”でなければならないと考えられてきたのでしょう。この本はご生誕の時からご結婚までを緻密な取材で追いかけた、すぐれたドキュメントです。原本刊行時は未公開の資料もあり、なにかと物議をかもしたそうです。またこの文庫では『昭和天皇実録』も参照されて大幅に増補、改稿されています。

皇太子時代では英語教師であったバイニング夫人の存在が有名です。皇太子を「ジミー」と呼んだことに象徴されるように、夫人が実にフランクに、また公正に接したことは知られています。もっとも、このような夫人の方針を受けいれる素地が陛下にあったのでしょう。戦争末期のこのような逸話が紹介されています。
──有末中将は「殿下、何かご質問はありませんか」と聞いた。明仁親王はしばらく黙っていたが、小さな声で「なぜ日本は特攻隊戦法をとらなければならないのか」と質問した。後ろで見守っていた学習院軍事教官、高杉善治中佐はぎくっとした。これは当時、国民の多くが思ってはいても口に出すことをはばかっていた疑問だったからである。──

特攻隊戦法や特攻精神を称揚されたり、美化されたわけではありません。なぜそのようなことをしなければならにのか。なぜこのような事態にまでいたったのか……。敗色濃い中で戦時中の国民のだれしもが心の奥で感じていた「本質的な問題をなんのこだわりもなくズバリと質問」されたと考えるべきなのでしょう。

疎開地からもどった明仁親王にあてた敗戦直後の9月9日の昭和天皇の手紙が収録されています。
──我が国人が あまりに皇国を信じ過ぎて 英米をあなどったことである
 我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである
 明治天皇の時には 山県 大山 山本等の如き陸海軍の名将があったが 今度の時は あたかも第一次世界大戦の独国の如く 軍人がバッコして大局を考えず進むを知って 退くことをしらなかったからです
 戦争をつづければ 三種神器を守ることも出来ず 国民をも殺さなければならなくなったので 国民の種をのこすべくつとめたのである──

昭和61年に公表された手紙です。大日本国権憲法下でありながらもできる限り立憲君主であろうした昭和天皇の姿がうかんでくるようです。このような一夫一妻制を守り、イギリス王室に親しみを持っていた昭和天皇の思いが、“象徴天皇”としての今上陛下の底に流れているのかもしれません。

それを土台として“象徴天皇”とはなにかを考えさせたのが先のバイニング夫人であり、東宮御教育常時参与の小泉信三だったように思います。福沢諭吉門下生として、また戦前からのすぐれたリベラリストとしての小泉信三の存在は大きかったのではないでしょうか。皇太子と小泉信三のふたりが立憲君主について話し合っていたという、バイニング夫人の回想が記されています。

ジョージ五世は歴史ドラマ映画『英国王のスピーチ』の主人公ジョージ六世の父で1910年から1936年まで在位していました。欧州各国で第一次世界大戦後、君主制国家が没落していく中で民主制の中でどのように王は振る舞うべきか、苦慮したことで知られています。ちなみにジョージ五世の臨終間際の最期の言葉は"God damn you!"「ちくしょう!」だったそうです。

ともあれ、ジョージ五世の中に民衆とともにある王の先達をみていたのでしょうか。

もうひとつ、小泉信三は、もしかしたら陛下の戦争反対ということについても影響を与えたのかもしれません。戦前にはリベラリストとして戦争に反対し、開戦後は、一人息子・小泉信吉が戦死、信三自らも東京大空襲で、焼夷弾の接触により顔面に火傷を負うという戦禍に会いました。そのような信三を身近に見た陛下が戦争の惨禍に思いを致すことはなんら不思議ではありません。

この本は今上陛下の半生をおったドキュメントであると同時に“象徴天皇成立史”としても読める重厚な著作です。8日のお言葉のあと、国民に向かって静かに一礼された陛下の心の奥にあるものをうかがわせる著作でもあります。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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