「一流の死に方」とはどのようなことをいうのでしょうか。50人以上の歴史上の人物の最期の姿を紹介しつつ井上さんが言っていることはひとつです。〝良く生きること〟、〝一流の生き方〟、をするということだと思います。
〝一流の生き方〟とはどのような生き方なのか、それを「情熱」「使命」「勇気」「共感」「貢献」「好奇心」そして「品格」という観点から浮き彫りにしたのがこの本です。偉人と後世の人からたたえられた人や、成功して満足した最期をむかえた人ばかりではありません。
「品格」ではマリー・アントワネットの逸話が紹介されています。
──ギロチン台に向かう彼女は毅然としていました。手首を縛られているのに、誰の手も借りずに馬車を降りる。そのまままっすぐに堂々と処刑台の階段を上り、やはり誰の手も借りずに被っていた帽子を自分で頭から振り落とします。その際、脇に控えていた処刑の執行者の足を踏んでしまいます。彼女は落ち着いた声で、こう言いました。
「ごめんなさいね、わざとではありませんのよ。でも靴が汚れなくてよかった」──(本書より)
ドラマの一シーンのようなアントワネットのふるまいです。けれど彼女の〝品格〟はここにあるだけではありません。処刑の前日に次のような言葉を残していました。
「犯罪者にとって死刑は恥ずべきものだが、無実の罪で断頭台に送られるなら恥ずべきものではない」
このアントワネットの生き方(言動)のなかに井上さんは「どんなときも、自分に対する規律を忘れない」という「品格」の原型を読み取っています。アントワネットに次いで紹介しているのはヘレン・ケラーですが、こちらでは「ありのままの自分に誇りを持とう」と記されています。
そして「品格」をこう定義づけています。「品格とは、人生を通じて蓄積したものの総和である」(チャールズ・チャップリンの章より)と。ですから生まれ持っているものではありません。また「総和」というのは「過去の実績」とは関係ないとも……。これはどういうことでしょうか。「品格」で取り上げられた人を見てみると井上さんの「品格観」が分かるような気がします。
取り上げられたのは、先の3人の他には、千利休、マリリン・モンロー、葛飾北斎、松永安左エ門、そして井上さんの父親が取り上げられています。
──品格や誇りを持つのは、過去の実績や、自分の地位や生まれ、容姿や収入などとは全く関係ないのです。(略)品格とは、「自分は誰にも恥じる行動をしていない。自分の存在に絶対の自信をもって今ここにいるという確信によって、自然と出てくる心の持ちようなのです。──(本書より)
モンローは「類い希なる才能と絶世の美しい容姿を持っていた」にもかかわらず悲劇的な最期をむかえることになってしまいました。彼女には自分をそのままに受け入れることができなかったのです。彼女が私たちに教えてくれたことはなんでしょうか。「品格」を持つことの難しさでしょうか。
そうではありません。なぜなら「少しずつでもいい。自分自身の使命や理想に対して『自分がやるべきこと』を実行できていれば、端からは平凡な人生に見えたとしても、それは品格のある人」といえるからです。
この本が単なる偉人のエピソードを集めたものだけではないことがここからでもわかります。「好奇心」で取り上げられたジョン・レノン、エルヴィス・プレスリー、「共感」でのジュリアス・シーザー、坂本龍馬、「勇気」のダイアナ妃、キング牧師、アーネスト・ヘミングウェイなど不幸な最期をむかえた人も多く取り上げられています。幸福な人生とはどのようなものなのか、成功・失敗、夢・幻滅、幸運・不運……それはどのようにやってくるものなのか。私たちになにをもたらせてくれるものなのか……。平易な言葉で井上さんは〝生きる意味〟を問いかけているのだと思います。
この本の最後に井上さんの父親のエピソードが記されています。心にジーンとくる章です。父親が教えてくれたのはなによりも「感謝」する心というものでした。
終活ということが話題となり、ビジネスとなっている今の日本です。でもその前に、今までどう生きてきたか、今どう生きているかということを見つめ直すことが先だ。そのようなことを改めて考えさせてくれる本でした。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。
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