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2017.09.10

レビュー

日本人はどこまで戻るべきか? 「天皇」「原発」「シン・ゴジラ」で考えた。

大ヒット映画『シン・ゴジラ』に触れて厳しい言葉が高山さんから発せられました。

──原発政策を推し進めてきた政府も企業も、福島原発事故は「想定外だった」と言って責任を逃れようとする。さらには、原発を誘致して潤ってきた地元は、自分たちは被害者だとしか言わない。鬼神のごときゴジラの怒りには東北の震災の二万の死者の霊が含まれていると思うし、破滅への必然をわかっていながらそれから目を背けて「何とか大丈夫だろう」と、経済的な潤いばかりを追い求めてきたわれわれ日本人への怒りもこもっている。「俺を生み出したものはお前だ」と言っているのです。──

明治からの「近代主義の極致の姿」である現在の日本、それへの痛切な批判がこの本での2人の“対論”の根底にあります。

──つねに日本は、外部からその一番おいしい果実を得て、そしてそのための犠牲を排除する、見て見ぬふりをする。そのようにして近代を受け入れてきた。西洋世界というのはそれなりに犠牲を担っていますし、犠牲が当然のことだと考えている。(略)「日本人は歴史から学ばない」と言われるけれども、原発問題で問われているのは、われわれが享受してきた近代の“果実”や成長パラダイムを捨てられるかということだと、僕は思っている。──(山折氏)

日本の近代が「融解(メルトダウン)」し始めたのは、阪神・淡路大震災、オウム以来で、思いもしなかったような犯罪や事件が起こり始めました。そして高山さんに「人間と人間を繋いできた大事な鍵がとうとう外れてしまった」と思わせた酒鬼薔薇聖斗事件が起きました。

その時から日本は「弱肉強食」ではなく「弱肉弱食」という凄惨な時代が始まりました。本来、弱者であったものが「自己嫌悪から自己正当化へ、自己正当化から自己実現へ、そして自己実現の正当化へ」と進んだのです。この自己正当化はそのままで「近代戦争のメンタリティ・メカニズム、もちろん経済成長主義に」も通じてくるものでもあります。

日本の「融解(メルトダウン)」については第2章、第3章で徹底的に討議されています。語られているのは地方の死滅、原発問題やオリンピック景気を待望(?)するという不毛な希望……。さらには「強い日本を取り戻す」という幻想が批判されています。この2つの章での舌鋒鋭い対論はこの本の白眉だと思います。じっくり読んでほしい箇所です。地方の活性化という点では高山さんの体験である高千穂あまてらす鉄道の再建という話はとても参考になると思います。

読むにつれて2人の熱い議論が浮かび上がらせた現代の日本がいかに貧困な姿をしているのかが分かります。効率・経済成長主義、それを支える新自由主義がもたらしたものはなんなのか、それらが日本に、私たちに残した傷の多さにいまさらながら驚かされます。

──今の日本社会がメルトダウンしていることに関連して、「生きる」ことと正反対に思われがちな「死ぬ」ということ、すなわち死生観も壊れかかっているんじゃないかと思っているんです。──(高山氏)

貧困な生は「死」をも奪っていきます。「死生観」が壊れるということは、日本人の感性もまた危機にさらされているということに繋がっていきます。

では日本人の死生観とはどのようなものかというと、

──日本人の死生観の根本にあるのは、短歌的抒情によって死を引き受け、死を乗り越えていく、そういう人生観こそが、日本列島で太古の昔から人が身につけてきた感性なんじゃないだろうか。──(山折氏)

この日本人の奥深くにある感性もまた危機に瀕しています。もちろん単に短歌的抒情の喪失を嘆いているわけではありません。というのは和歌には戦争協力、戦争賛美の歌があるように、「国家や社会を悲惨の淵に沈ませるような怪しい力がそなわっている」という面を見落としてはなりません。

大事なのは短歌的抒情に込められている「自然と生命のリズム」というものです。それらを失うことは日本人の本質の1つを失うことになります。とりわけその本質としてあらわれる「情」というものを失うことがあってはならないのです。いたずらに悲愴感を招き寄せがちな短歌的抒情、時に人を酔わせるような短歌的抒情に足元をすくわれずに「情」というものをいかに回復できるのか……。その糸口を山折さんは「演歌」に求めています。読んだかたはどう思われるでしょうか。少なくとも短歌的抒情との格闘のなかで山折さんが見出した希望ではないかと思うのですが。

ところで、日本近代の負の遺産の1つに水俣病があります。高山さんには名著『ふたり 皇后美智子と石牟礼道子』という著作がありますが、この本でも水俣訪問時の今上陛下の言葉が取り上げられています。

「真実に生きることができる社会をみんなで作っていきたいものだと改めて思いました。(中略)今後の日本が自分が正しくあることができる社会になっていく、そうなればと思っています。みながその方に向かって進んでいけることを願っています」

平和と戦後民主主義を信じる心と、象徴としての責務をあたうかぎり勤めようという今上陛下の強い意思が感じられます。

──「真実に生きることができる社会を」という言葉など、あきる野市の市井の人びとが書き上げた五日市憲法草案に対する美智子皇后の言及と重なってきますよ。(略)これは明らかに、憲法改正に突き進む安倍政権に対する厳しい批判だと思いますね──(山折氏)

それだけでなく天皇という存在が日本人にとってどのようなものなのかはこの本の大きなテーマでもあります。そもそも天皇制の本質とはどこに求められるものなのか……。宗教学者・山折さんの「殯(もがり)」に着目した天皇論は極めて興味深いものです。「殯(もがり)」の儀式には「霊的継承」という意味合いがあります。この「継承」ということにこそ天皇制の本質があります。

今上陛下の退位が近づくにつれて山折さんが指摘した「継承」の重要性はますます問われるのではないでしょうか。皇位継承、宮家創設、女系・男系……これらはまさしく「継承」をめぐるものです。

最後に興味深い山折さんの発言を引いておきます。

──天皇制の根本には、「血(血統)の原理」と「霊威(天皇霊)の原理」の二つの原理があります。(略)天皇を天皇たらしめるのは「祭祀による天皇霊の継承」というフィクショナルな原理にほかならないと述べました。だから本来、その継承者は血統の原理には基づくが、必ずしもその本質においては性別を問うものではない。大嘗祭(だいじょうさい)をきちんと執り行い、その継承がなされるかぎり、女性天皇でも女系天皇でも構わないと述べたのです──

自分たちの足元を確かめるために、私たちはどこからきて、なにを心に持っているのか、なにを失いつつあるのか、もう一度確かめるためにもぜひ読んでほしい1冊です。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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