明治維新というとまずこのようなことが思い浮かぶと思います。
──軍事力によって幕府を倒した、薩長土肥の武士たちが、新政権を独占し、憲法・議会の到来をできるだけ遅らせ、またその内容をできるだけ専制的なものに制限しながら、経済や軍事の近代化に邁進した。──
この「非民主的で開発一辺倒の藩閥政権」という通説に従って(?)なのでしょうか、明治維新は第2次大戦後の東アジア(韓国、台湾、シンガポール、マレーシア等)で見られた「開発独裁の原型」と考えられていました。
この本はそのような通説を覆すものです。
──明治時代は、戦後東アジアの開発独裁のように、一人の独裁者あるいは単独政党が長期にわたって抑圧的な開発主義を貫徹した時代ではなかった。(略)経済開発が民主化に優先するという一般合意も形成されなかった。──
著者たちが明治維新にみたものは独特な「柔構造」というものでした。この「柔構造」は「入れ替わり立ち替わり」権力の実権をにぎった「藩閥政治家」の動きを解析することで導き出されたものです。
幕末の危機に臨んで四賢侯とよばれた大名(福井藩第14代藩主・松平慶永、土佐藩第15代藩主・山内豊信、薩摩藩第11代藩主・島津斉彬、宇和島藩第8代藩主・伊達宗城)、これに加えて肥前国佐賀藩主第10代藩主・鍋島直正らの大名を中心とした藩士たち、さらに後に志士と呼ばれた人たちはどのようなことを目指していたのでしょうか。
──幕末開港期に商業活動と政治改革構想を通じて複数の国家目標(幕末期には「富国強兵」「公議輿論」の二つ、維新期には「富国」「強兵」「憲法」「議会」の四つ)を追求し続けた。いずれの目標を標榜するグループも、単独では十分な政治力が得られなかったので、他のグループとの協力関係を築くことによって自己の政策を実現しようとした。──
維新期のこの4つの目標にそれを担った指導者を対応させると大久保利通が殖産興業、西郷隆盛が外征(強兵)、木戸孝允が憲法制定、板垣退助が議会成立となります。もちろん彼らが非命に倒れた後はこの目標=理念は、それぞれ後継者が引き継ぐことになりました。
ここで肝心なのはそれぞれの理念を担っているとはいえ、それのみに「固執しそれのみに邁進」したわけではないということです。
──目的間の相互乗り入れや乗り換えは幕末・明治期の指導者に頻繁に見られたことである。むしろ彼らは幕末期の二目標(富国強兵と公議輿論)あるいは維新期の四目標(富国、強兵、議会、憲法)を分かち合っていたのであり、複数目標それぞれの重要性を了解しながらも、ときには外からの刺激や真着想を得て、ときには事態に流されることによって、いずれかの目標に特化していったのである。──
彼ら指導者の「可変性と多義性」の「合従連衡」によって国家(新政府)は作られていきました。ここに第2次大戦後の東アジアの開発独裁との違いがあらわれています。東アジアにおいては「独裁者あるいは単独政党が長期にわたって抑圧的な開発主義を貫徹した」ものであり、明治維新とは根本的に異なっているものでした。
この本では富国、強兵、議会、憲法の4目標の変遷(合従連衡)から明治国家の変遷(歴史)を描いていますが、抽象的な理念だけでなく数多くの維新の功労者の活動を通してそれらの変遷を描き上げたところにあります。西郷、大久保を始め吉田松陰、福沢諭吉、江藤新平、大隈重信、後藤象二郎らが新しい視点で描かれ、斬新な人物として私たちに迫ってきます。これもまたこの本の大きな魅力となっています。
この「柔構造」はどのようにして生まれたのでしょうか。なによりも江戸時代の「政治的統一と安定」があり、そのもとでの商品流通、学問の浸透や情報流通があったことが大きな基礎になりました。
情報流通のもとで、諸藩の藩士の交流があり、佐幕、開国、尊皇、攘夷、富国、強兵、そして統一への意思がさまざまな志士(指導者)たちを諸藩の合従連衡へと突き動かします。それがそのまま明治の指導者たちの可塑性を生んだのです。ここで見落としてはいけないのは、彼ら指導者たちは決してオポチュニストではないということです。やはり「サムライ」としての“倫理”といったものが一本通っていたのです。
外圧によって大きく開国へと舵を切った明治日本にはもう一つ注目すべきものがあります。それが「翻訳的適応」というものでした。詳細は略しますが、後進的とみなされる国家が国際秩序に組み込まれる際に、一方的に“グローバル・スタンダード”に呑みこまれることなく、「むしろイニシャティブをとって」自国の主体性、社会の連続性、国民の自尊心、および民族のアイデンティティの持続を確保しつつ国際秩序に入っていくということを意味します。
──外来の概念や制度や技術は、国内への導入にあたり欧米発のオリジナルの形ではなく、受け入れ国側のニーズにあわせて適宜修正される。もしこのような国際統合が実現するならば、社会変容にさらされる国は実は弱くもなく受け身でもない。その国は、外的刺激を自らの成長のために最大限利用しているのである。──
これが「翻訳的適応」というもので、明治日本はこれを「敢然と実行した国」なのです。この「翻訳的適応」をめぐる本書の論述は夏目漱石の文明開化観から梅沢忠夫(『文明の生態史観』)までを含めたものであり、とてもスリリングなものです。まるで明治維新の志士の気概が移ったような熱気あふれる論述です。
この日本の近代化を成功に導いた「基本的価値観を共有した多様な意見の柔構造」も、国権の確立につれて多様性・可塑性が失われていきました。指導者(権力者)たちの硬直した思考、それがもたらした“排他的・強権的な政治”が日本を危機に陥れたのです。
蛮勇にすぎない勇ましい武断の掛け声のもとで、頑迷固陋を信念と勘違いしていた戦前の指導者がもたらしたものは幕末の志士が避けたかった荒廃した国土でした。
──柔構造的な指導部とは優柔不断な指導部とはまったく違うということである。複数の国家目標に同時に眼を配れるという第一の柔構造は、単に柔軟であるだけでは成立しない。指導部全体が知的に相当高度であることが大前提なのである。(略)指導層が可変的と多義性を持つということは、日和見主義とは別のことである。──
このような1文が記されています。
──本書の主目的は幕末維新期の政治分析であるが、その裏の目的があるとすれば、それは「柔構造」を身につけた指導部を、二一世紀の指導者に取り戻してほしいという願いなのである。──
今の政財界の指導者たちは「柔構造」を持っているでしょうか。「指導部全体が知的に相当高度である」のでしょうか。自らの言辞に責任を持っているということすら感じられません。維新期の指導者たちの“謙虚さ”もなく“夜郎自大”な姿があるだけです。このような「指導者たち」が唱道する“明治維新150年記念”はただの“政治利用”となりかねません。「富国強兵」だけでなく「公議輿論」を忘れずにいたいと思います。
この本は明治維新を国際秩序の中で捉え返し再評価を試みた力作です。目から鱗が落ちるようなおもしろさと共に“独裁国家”への危険をも記したものでもあります。何度も読み返したくなります。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。
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