「ふつうの人の人生にこそドラマがあるんやぞ。それをちゃんと聞いてこい」。かつて松本さんは先輩の新聞記者からこう諭(さと)されたそうです。その時はピンとこなかったものですが、キャリアを積むにつれて先輩の言葉がよく理解できるようになったそうです。
もうひとつ先人(先輩)の言葉が記されています。日本人初の宇宙飛行士、秋山豊寛さんの言葉です。「日本が、政府が、政治や社会が……と大文字の言葉で天下国家を憂い、論じることも必要なんだろう。だけど私たち一人一人にできるのは、今いる場所で地に足を着けて、自分の仕事をしながら、地域と具体的に関わり、少しずつ社会をよくしていくことじゃないのか。宇宙から帰還して、強くそう思うようになった」と。
この本で取り上げた7人の人生を訪ね歩いた時、この二人の言葉が松本さんの脳裏に横切っていたのでしょう。ここに登場する7人は、私たちのすぐ隣にいるような〝ふつうの人〟に思えます。けれど読み進めるにつれて、それぞれの人がたどった〝思いがけぬ人生〟が描き出されてきます。実は「平坦な人生など一つもない」ということが丁寧な取材で明らかになってきます。
家族をおいて上京し24時間保育園を始めた女性。ボブ・マーリーの歌に惹かれてジンバブエへ一人旅立った女性。1本の映画に魅せられイルカとの会話の研究に打ち込んでいる海洋学者。ご主人の社長が失踪し、専業主婦からいきなり機械部品メーカーの社長になってしまった女性。父の跡を継ぎ地酒の蔵元となった男性など。それぞれの人が歩んだ道も歩み方も異なります。共通しているのはただ一つ、松本さんが記したとおり「この7人に共通するものを敢えて挙げるならば、『自分にはこの道しかない』と信じた者の強さ、この本の題名に冠したひたむきさであろう」ということでしょう。
ジンバブエへ渡った高橋朋子さんの言葉が飛び込んできます。「変わったよね、日本は。この1~2年は特に思う。テレビを見ても雑誌を読んでも、人と会って話していても、へんだなあ、以前はこんなことなかったのになあと感じることが多い。自分たちの見たいことだけ見て、聞きたいことだけ聞いて、『自分は日本人だ』と周囲に向かって襟を立てている感じ。視野が狭くなった。冒険心もなくなった。たぶん価値観の物差しがみんなお金だけになって、社会に〝遊び〟がなくなってるんだね」。ひたむきに生きている人だからこそ言える言葉です。
秋山さんのいうように地に足が着いているからこそ、ひたむきといえるような生き方ができるのでしょう。「無謀とも思える冒険や賭けに出た人もいれば、思わぬ災厄や裏切りで運命が変転した人もいる。食うや食わずで苦しんだ人。差別や偏見と闘ってきた人」もいます。けれどどの人も「自分のしてきた仕事を声高に誇ったり、大袈裟に苦労を語ったりしない。淡々と振り返り、『たいしたことはしてませんよ』と笑っている。その姿をこそ私は『美しい』と思う」と松本さんは記しています。
さらにまた「自分の仕事をしながら、地域と具体的に関わり、少しずつ社会をよくしていくこと」、それは覚悟を持って生きなければなしえないことなのではないでしょうか。こんなことをふと思わせるこの本は、読み進めるにつれて元気や勇気が出てくるノンフィクションです。
それにしても海洋生物学者の村山司さんが船酔いに悩まされているというくだりにはつい笑ってしまいました。船酔いなのにイルカの研究ができるのかと思ったのですが、村山さんによれば、イルカの生態を研究するわけでなく、同じイルカと対話し続けなければいけないわけですから、沖に出ると逆に研究が進まないということだそうです。確かに同じイルカに出会うには水族館でなければできません。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。
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