「始め」「正打」「軽打」「皆入袋」……こんな言葉がかつて強制的に使われていました。日中戦争とそれに続く太平洋戦争下の大日本帝国でのことです。英語を敵性語と呼び、排斥するという目的(国家目標?)で日本語への言い換えが強制されました。(上記の言葉は、それぞれ「プレイボール」「ヒット」「バント」「ハンドバッグ」の言い換えです)
その中に「電髪(でんぱつ)」という言葉もありました……これはこの本の主人公・メイ牛山に深く関係する「パーマネント」のことです。パーマネントはメイが働くハリウッド美容室で評判になっていた技術であり、メイはパーマネントの達人(!)として美容室に訪れるお客の評判を集めていました。
──パーマネント・ウェーブをかけに来る客も後を絶たない。清人がアメリカから持ち帰ったマーセル・アイロンは、カーラーで巻いた髪に電熱器で直に熱をあてるもので、薬品と高熱に手は荒れ、やけどを負うこともたびたびだった。怖がる新米が多い中で、マサコは恐れず器械と格闘した。──(マサコはメイ牛山の本名)
結婚以前の一美容師としてハリウッド美容室では働いていたころのメイの姿です。時に熱心さのあまり練習台の同僚の髪を焦がして大騒ぎを起こすこともありましたが、彼女の「抜きん出た才能」は誰もが認めるものでした。
彼女には独特の美への感受性と創造性があったのです。こんな挿話が記されています……。
──雑誌を持って、「こんなふうにしてください」と来る客がいても、けっして同じようにはしなかった。人それぞれ顔立ち、頭の形、肌の色、髪質は違うのだから、同じようにできない。丁重に断るマサコを見て、「何様のつもり。鼻っ柱が強いんだから」と陰口を叩く客もいたが、それよりも、自分にあったスタイルを提案されて喜ぶ客の方が多かった。マサコのやり方は、さらに評判を呼んだ。──
自由に、お客に会ったスタイルを生み出す元はどこにあったのでしょうか。感心した先輩美容師がマサコにたずねると、こう答えたそうです。
「田舎の自然が……ふわふわした雲の形とか、花びらの色や広がりかた。そういったものが先生だったかもしれません」
育った自然の中に美しさを感じる心が、それぞれの人に会ったスタイルを、その人の中から見出す才能を育んだのです。優れた仏師が「眉や鼻が木の中に埋うまっているのを、鑿のみと槌つちの力で掘り出す」(夏目漱石『夢十夜』より)ようなものだったのでしょうか。
その人の美しさはその人の中に存在している、メイはそれを引き出すことに喜びと生きがいを見出していました。誰もが自然に持っているもの、それが個性であり、それを生かすことが美しさに通じるものだと思っていたのでしょう。
ところが迫りくる戦争は「個性(=自然)」を排除し、女性を一律化するものでした。美の追究は排除されました。美はそれぞれの個性の中に埋まっている。それを掘り出すことを天命と思っていたメイには、個性を抑圧し、非常時国難を掲げて人々を等し並みに扱う翼賛体制ほど美しさに無縁なものはありません。そして美は個人が秘めているものを「自然に生かす」ところから生まれてきます。翼賛体制は「人間の自然」から遠い、本当は不自然なものなのです。
最後のパーマネントに駆け込む女性たち、彼女たちを見たメイはこう確信したそうです。
「どんな世の中になっても、女のおしゃれ心がなくなってしまうことはない。それだけは確かだ」
そして迎えた日本の敗戦。メイにとっては美を求めることができる日々の再来だったのでしょう、疎開先で美容教室を開いたのです。創業時に立ちかえった気持ちで始めた「メイ牛山の美容教室」、そして手作りのコールドクリーム……それが戦後のメイの歩みの第1歩でした。
──私の仕事は、これから日本じゅうの女性をきれいにすること。女が美しい国は戦争をしない。──
これが戦争をくぐり抜けたメイの強い思いでした。
敗戦後5年めに焼け跡の東京でハリウッド美容室を再開。それは荒廃した東京にともったひとつの明るい灯火でした。戦時中の失われた時間を取り戻すようにメイは八面六臂ともいえる活動を再開します。戦争中に息をひそめるようにさせられた「美しさ」を再生させようとする思いだったのでしょう。
戦前からのお客だった有名女優(夏川静江、田中絹代、伊達里子ら)だけでなくGHQの知己も得て新たなハリウッド美容室が始まりました。これらの女優たちをはじめ、政治家、経済人、文化人などの華麗な人脈を通して描かれた戦後のメイの人生とハリウッド美容室の歴史は、そのまま戦後日本の復活・繁栄をうつす鏡のように読めると思います。
その興隆をもたらしたメイのモットー(信念)がこの本に記されています。
「感性をそだてなさい。美しい物を見なさい、良い映画を観なさい」
「まずあなたたちが健康で美しくあること」
「自分を見捨てないこと!」
この本は女性が、人間が、己を信じて生きることの困難さ、そしてそれを乗り越えた勇敢さを余すところなく語っています。勇気をもらえる1冊です。
さらにまたいまでは聞くこともなくなった旧名(木挽町、麻布材木町、尾張町など)を通して描かれたかつての東京の街、生き生きと語られるその街並みのようすもこの本の魅力の1つです。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。