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2017.11.18

レビュー

【池井戸ファン必読】乱歩賞受賞のデビュー作、怜悧な金融ミステリー

1998年の第44回江戸川乱歩賞には、いち読者として特別な感慨があります。当時中学生だった僕が、のちのち多大な影響を受けることになり、漫画や映像作品とは異なる娯楽小説の面白さ、胸の奥深くまで突き立つような感動や喜びを、これでもかと教えてくれたふたりの小説家がデビューしたのが、第44回の江戸川乱歩賞だったからです。

福井晴敏さんの『Twelve Y.O』。そして今回、このレビューで紹介させていただく池井戸潤さんの『果つる底なき』が、その第44回の江戸川乱歩賞受賞作品でした。


池井戸潤のデビュー作は、元銀行員だからこそ書けたミステリー

二都銀行、渋谷支店。そこの融資課で一般融資を担当している課長代理の伊木は、ある朝、同じ融資課の同僚で債権回収を担当している坂本から、「これは貸しだからな」と謎の言葉をかけられます。取引先の企業にお金を貸すのが、一般融資担当の伊木の仕事ですが、坂本の場合は「倒産するなどして行き詰まった企業から、貸し出した金を返してもらうこと」。

ほどなく、その坂本が病院に搬送されて死亡します。アレルギーが原因のショック死でした。突然の不幸に驚く伊木たち渋谷支店の銀行員たちですが、事件はそれでは終わりません。坂本が顧客の口座から不正に三千万円を引き出し、他行の自分名義の口座に送金していた疑惑が浮上したからです。

これが本書の導入部、すでにこの時点で池井戸ファンにはお馴染みの、元銀行員の著者だからこそ書ける銀行の内幕が詳述されています。そうした特徴は、どうも当時は珍しかったようで、第44回江戸川乱歩賞の選考委員をつとめた高橋克彦さんから「本格でもなければ、探偵ものでもなく、警察ものでもない。新しい分野の小説としか言い様がない」と評され、同じく選考委員の阿刀田高さんからは「これは銀行ミステリーの誕生を宣言する作品だ」との選評がおくられています。

もっとも今現在、池井戸さんのことを「銀行ミステリー作家」と呼ぶ人はほとんどいない気がします。それは銀行の内部事情をつまびらかにした情報小説としての面白さもさることながら、大企業の因習や醜いパワーゲームに抗う主人公の反骨精神、中小零細企業で働く人々の人間ドラマにこそ、池井戸作品が持つ大きな感動の源泉がひそんでいると思うからです。それこそが池井戸さんを「銀行ミステリー作家」ではなく、普段あまり小説を読まない人でも名前を知っている超売れっ子作家にした要因のひとつではないでしょうか。


デビュー作にして名作、それでいて異色作!?

そうした主人公の反骨精神であったり人間ドラマは、著者のデビュー作である本書でもしっかりと描かれています。

伊木が渋谷支店に左遷された原因は、銀行員としての筋を通した結果でした。派閥の領袖たる上司の出世を阻んでしまったからです。のちに彼とコンビを組むことになる菜緒は、東京シリコンという倒産企業の娘で、自分たちを酷い目に遭わせた銀行を憎んでいる。他にも、実は死んだ坂本の妻は、伊木の元恋人で……といった具合に本書は複雑な人間関係がリーダビリティにもなっています。そして、そのような人間関係のつながりにこそ、事件の謎を解く重要なヒントが隠されているのかもしれません。

伊木は、事故と思われていた坂本の死が、実は殺人ではないかと疑いはじめます。債権回収という坂本の仕事を引き継ぎ、巨額資金の流れを追ううちにその確信を強めていった伊木に、たちまち危険な人物の影が忍び寄ってくる。やがて新たな事件が次々と発生し、精神的にも追いつめられていくなかで、伊木はそれでもなお、ひるむことなく一連の事件とその奥にうごめく闇の正体に迫ろうとします。

ラストまで飽きさせないストーリー展開、要所をしっかりおさえた優れた演出は、江戸川乱歩賞受賞作品にふさわしい見事なクオリティです。それでいて、はじめて本書を手に取った池井戸ファンのなかには、いささか毛色が異なった印象を受ける方もいるかもしれません。

ドラマが社会現象にまでなった「半沢直樹」シリーズ、これも大ヒットドラマになった直木賞の『下町ロケット』、他にも『鉄の骨』、『空飛ぶタイヤ』で池井戸作品にハマった読者はたくさんいるのではないでしょうか。僕の友人・知人も、そのルートで池井戸ファンになった人が一番多いです。

そういう読者にとって、本書『果つる底なき』が持つ雰囲気は、おそらく独特のはずです。異色作──というと、妙な誤解をされそうなのであまり使いたくないのですが、一貫して落ち着いた筆致の本書からは、そうした印象を受ける読者もいるだろうと思うのです。

たとえば「半沢」シリーズや『下町ロケット』、『鉄の骨』、『空飛ぶタイヤ』に顕著な主人公の圧倒的な熱量は、本書ではやや控えめです。だからといって、決して本書が面白くないわけではありません。むしろ面白い。そんな作品だからこそ、僕は『果つる底なき』をおすすめしたい。一人称の落ち着いた文体がもたらす怜悧な雰囲気のミステリー。そのような作品でありながら、その後の池井戸作品に通じるような主人公のパーソナリティや人間ドラマの特徴も、はっきりと見いだすことができるデビュー作です。池井戸さんのファンなら、間違いなく必読の1冊ですよ! 

レビュアー

赤星秀一 イメージ
赤星秀一

1983年夏生まれ。小説家志望。レビュアー。現在、文筆の活動範囲を広げようかと思案中。テレビ観戦がメインですが、サッカーが好き。愛するクラブはマンチェスター・ユナイテッド。

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