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2017.11.11

レビュー

乱歩賞選考会で大沢在昌が「感動のあまり涙ぐんだ」超大物の処女作!

江戸川乱歩賞で大激論の感動作!

1998年に『Twelve Y.O』で第44回江戸川乱歩賞を受賞した福井晴敏さんが、その前年度の乱歩賞に応募して最終選考に残り、選考委員たちの間で大激論を巻き起こしたらしいのが、本書『川の深さは』の原型となった応募原稿です。

その最終選考では多数決によって残念ながら受賞は逃したものの、当時、選考委員を務めていた大沢在昌さんに「来年こそは待つ」「私はこの作者のファンになった」と選評に書かせたほどの傑作でした。大物のデビューを予期させたその逸話は、福井さんのファンなら、おそらくは多くの方がご存じでしょう。

大沢さんは『Twelve Y.O』の文庫解説で当時を振り返り、「感動のあまり涙ぐんだ」「新人賞の候補作で涙ぐんだことなど、今にいたるまでこの一度きりだ」とまでおっしゃっています。僕自身、はじめて『川の深さは』を読んだ10年ほど前、そしてこのレビューを書くために再読したつい最近も、こらえきれずに目を潤ませたシーンは、ひとつやふたつではありませんでした。


デビュー作同様の陰謀が渦巻く冒険小説

選考委員の大物作家に「ファンになった」とまで言わしめ、多数決によって惜しくも福井さんのデビュー作とはならなかった『川の深さは』とは、ではどんな物語なのか。僕や大勢の福井ファンにとって、いわゆる「泣ける作品」である本書のストーリーラインは、いたってシンプルです。

政治とヤクザがらみの事件がきっかけで、警察官を辞めてしまった桃山剛。彼はそれ以来、社会に対して斜に構えるばかりの生彩を欠いた毎日をすごしていました。夢も目標もなく、ビルの警備の仕事にもやりがいを感じられない。そうやって代わり映えのない倦んだ毎日を送っていた桃山に、失ったはずの情熱や充実感を取り戻す転機が唐突にやってきます。

桃山が警備員として働くビルに、傷ついた少年と少女が忍びこんできた。少年の名前は「保」。少女の名前は「葵」。大けがをしている保と、その彼に心配そうに寄り添う葵がわけありなのは一目瞭然でした。しかしそれとわかっていて根が善人の桃山は、ふたりを追い出さずに助けてしまいます。涙を流して感謝する葵に胸を打たれ、次第にうちとけてゆき、長らく失っていた熱い感情を取り戻していく桃山は、しかしその出会いによって日本の暗部に抵触する巨大な陰謀に巻きこまれてゆきます。

1年ほど前の地下鉄爆破事件の真相。保と葵を追いつめている闇の正体。保が隠し持つ《アポクリファ》とは何か。そうした謎が次第に明かされてゆくにつれ、桃山は桃山で、情報機関のエージェントである城崎涼子との距離を縮めてゆきます。

驚異的な戦闘能力を有する保のアクションシーン、元刑事の桃山の大立ち回りなども読みどころのひとつで、要するに本書は著者のデビュー作同様に、巨大な陰謀が渦巻くド派手な冒険小説なのですが、それでいて、読む者の胸を揺さぶる感動作にまで到達した主因は、やはりこれも福井さんのデビュー作同様に、アクション映画的なストーリーラインを支えている人間ドラマの血と肉にほかなりません。

10年ほど前の初読のとき、文庫本の210ページでした。葵がお礼のキスを桃山の頬にするシーンでおもわず目頭が熱くなって、涙ぐんだことを未だに憶えています。それだけではありません。他者を拒絶していた保と、無為な日々に倦んでいた桃山の心の距離が、ぐっと縮まってゆくシーン。終盤、そのふたりがヘリで交わす会話。文庫化の際に書き下ろされたらしいエンディング……。当時は、どうして福井晴敏という作家は、こんなにも人の心に響くシーンをいくつも書けるのか不思議で仕方ありませんでした。それはただただ著者の圧倒的な筆力、人間観察力のたまものだと思うのですが、初読のときはそういった著者の技量にも素直に感動させられたのです。


感動にいたるまでのディテールこそが福井晴敏作品の真骨頂かもしれない

それにつけても、保と葵が直面している現実、ふたりを追いつめようとする闇はあまりにも酷薄で、とても自分ならたえられません。でも、そんな残酷な状況におかれても生きていることには違いなく、くだらない理由で怒ったり、子供のように意地を張り合ったり、たまには笑えるささやかな瞬間もあって、希薄な人間関係が常の社会のなかで、人と人がふれあうからこそ生じる温もりが丹念に描かれている。だから本書は、福井さんの作品は、心の奥のほうにある硬い何かを揺さぶるようにして読者の胸を打ち、否応もなく目頭を熱くさせるのだと思います。

それこそが、福井晴敏さんを希有な小説家たらしめた主因かもしれません。福井作品の中心に常にある真骨頂。

福井さんの小説には軍事やイデオロギー、その他あらゆる時事問題への鋭い批評性が共通項のように存在していますが、だからといってそれだけで大の大人を小説で泣かせられるものではないからです。丁寧かつ濃密に描かれているそれら情報群に囲まれるようにして、物語の重要な核になっているもの──じっくりと書きこまれた登場人物たちの内面描写が織りなす人間ドラマが、福井晴敏作品の感動の源泉です。20年ほど前の乱歩賞選考会での大沢さんの激賞は、本書のみならず福井晴敏作品の魅力を端的に言い表した言葉としても成り立ちます。福井作品を未読の読者の方は、ぜひ、本書を読んでそのことを確認してみてください。

レビュアー

赤星秀一 イメージ
赤星秀一

1983年夏生まれ。小説家志望。レビュアー。現在、文筆の活動範囲を広げようかと思案中。テレビ観戦がメインですが、サッカーが好き。愛するクラブはマンチェスター・ユナイテッド。

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