福井晴敏という小説家が示してくれた可能性
いまから10年ほど前、僕のなかで娯楽小説というものの価値観、認識がひどく硬直していた時期がありました。硬直というのは要するに、エンターテインメントとしての小説に限界を感じていたのです。
先に断っておくとこの認識は、僕があまりにも無知であったがゆえの偏見です。ただその当時は本当にそう思いかけていました。無知ゆえの偏見でそんなふうに思ってしまうまでにエンタメ小説の名作・傑作には、僕なりにたくさん出会ってきたつもりですが、その当時は、僕がこれまで出会ってきた名作たちとはどこか一線を画したものを熱烈に求めていたのです。
もっともっと荒唐無稽なものを。漫画やアニメに負けないくらい派手な設定や演出なのに、大人の鑑賞にも充分たえうる、たとえば濃密な群像劇の人間ドラマでもある作品を……。けれどもそのような要求をすべて満たす作品は、小説以外のジャンルから見つけ出すのも実は難しいのかもしれません。だからこそ、僕はその役割を娯楽小説に求めたかったのかもしれない。
福井晴敏さんが漫画雑誌の「ガンダムエース」で『機動戦士ガンダムユニコーン』の小説連載をはじめたのは、ちょうどそんなときでした。2006年12月のことです。
息が止まるほどの衝撃でした。子供の頃からガンダム作品が大好きだったのでなんとなく読みはじめたら、もう止まらなくなった。『ガンダムユニコーン』は人の可能性を厳しくも優しく語った壮大な物語ですが、僕はそこに小説の可能性さえも見たような気がしました。少なくとも、自分自身の無知と偏見によって娯楽小説の可能性を閉ざしかけ、だんだんと小説の読書量を減らしていた僕が、ずっと求めていたものがそこにはありました。
こんな小説があるんだ。こんなふうに小説を書いてもいいんだ──忘れかけていた大切な何か、小説ってこんなに面白かったんだ、小説だからこそ、言葉だからこそこんなにも心に響くんだな、という当たり前のことを再発見させてくれたのです。
そんなふうに素直に感じることができたこと、それだけで本当に嬉しかったし、僕はこのときはじめて福井晴敏という小説家の存在を知ったように思います。その小説連載よりも前に、福井さんは『∀(ターンエー)ガンダム』のノベライズも行っているので、ガンダム好きの僕は名前ぐらいは聞いたことがあったのかしれません。でも、作家として強烈に意識したのはこのときがはじめてのはずです。とどのつまり、江戸川乱歩賞作家の福井晴敏を知らないぐらい、その頃の僕は無知でした。
ずいぶん前置きが長くなりましたが、今回紹介させていただくのは、その福井晴敏さんのデビュー長編──第44回江戸川乱歩賞受賞作品の『Twelve Y.O.』です。
小説家・福井晴敏の原点、圧倒的筆力のデビュー作!
1998年に単行本が刊行され、2001年に文庫化された本書の時代設定は、まだ20世紀だった頃の日本です。
米軍の第三海兵師団が沖縄から撤退。撤退の理由は、テロに屈しないはずのアメリカがテロに屈したからです。「12(トゥエルブ)」と名乗る、たったひとりの電子テロリストに国防総省(ペンタゴン)が屈したのでした。
最強のコンピュータウィルス《アポトーシスⅡ》による電子的攻撃で米軍基地の通信と警備システムをダウンさせて恫喝する。それがいつもの「12」の手口です。しかしそれだけで、あの米軍がテロの要求に屈するわけがありません。「12」によるテロと米軍の撤退には何やら巨大な「裏」がありそうです。物語が進むにつれ、次第にその驚きの全容が明かされてゆく──というのが本書の大まかなプロットです。
そうした暗闘に巻きこまれてゆくのが、自衛官の平貫太郎です。彼は自衛隊に密かに創設された「海兵旅団」に所属するヘリのパイロットでしたが、ある出来事をきっかけにヘリパイを辞めてしまいます。それから10年、海兵旅団はなくなり、くすぶっていた平は、かつての上官・東馬修一と再会します。不良たちとトラブルになって襲われているところを、東馬と行動をともにする謎の少女・理沙に助けられたのでした。
自衛隊を抜けた東馬と、なまじの格闘技とは異なる圧倒的な戦闘能力の持ち主である理沙。謎だらけのふたりとの偶然の出会いによって、平は、自衛隊の非公開情報機関「ダイス」の隊員たちに拉致されてしまいます。
やがて東馬の秘密を知り、日米の闇、陰謀の正体を知ることになる平。その平の他にも、東馬を追うダイスの夏生由梨、由梨の部下で理沙に気がある辻井護。本書は巨大なスケールの冒険小説でありながら、兵器や軍事のディテールをつきつめた情報小説でもあり、何より福井さんの筆力でこれでもかとしつこいくらいに登場人物たちの心の変化や機微を描いた群像劇です。
日米の陰謀とか暗闘とかイデオロギーとか、そのあたりももちろん読み応えは充分なのですが、福井さんの小説といえば、やはりこの浪花節的な心理描写の細かさや、人の温もりを感じさせる人間ドラマなのだと僕は思っています。おそらくは映像作品や漫画では描ききるのが難しい、言葉だからこそ熱く深く読む者の心に入りこんでくる物語。福井さんはそういう物語を力強い筆致で紡ぎ出してくれる素晴らしい小説家のひとりです。
自分が読みたいエンタメ小説が見つからない人は、ぜひ福井晴敏作品を試してほしい
本が売れない、小説が売れないと言われて久しいですが、面白い本はたくさんあります。本当にたくさんある。ただ人の趣味はそれぞれですし、たくさんの本があるからこそ、自分が面白いと思える本がなかなか見つからない、という人も少なくはないかもしれません。
アニメや漫画が好きで、エンタメ小説にも手を出してみたけれど、たとえば昨今のライトノベルは自分が求めていたものとはちょっと毛色が違っていたかも。かといって一般文芸も何冊か読んでみたけれど、まだこういう作品を楽しめる感性は自分にはないかもしれない。じゃあ自分にとって小説はエンタメじゃないんだ──もしもそんなふうに思っている人がいるなら、ちょっと待ってください。エンタメとしての小説をあきらめる前に、福井晴敏さんの小説を試してみてほしい。そのために、このレビューで長い前置きを書きました。
本書『Twelve Y.O』の他にも『川の深さは』や『亡国のイージス』など福井さんの小説は傑作ぞろいです。もちろん福井さんの作品が肌に合わない人もいるでしょう。でも、福井晴敏作品を一度も知らないままでいるなんて、それはやはりもったいない。だからこそ本書を、福井晴敏作品をおすすめします。本書だけでなく、福井晴敏という稀代のエンターテインメント作家をおすすめしたいのです。
レビュアー
1983年夏生まれ。小説家志望。レビュアー。現在、文筆の活動範囲を広げようかと思案中。テレビ観戦がメインですが、サッカーが好き。愛するクラブはマンチェスター・ユナイテッド。