実に痛快な本です。
──日本の医者のハートは、世界的な目で見ると100点満点。比較的低い給料で、朝も晩も週末も働き、勉強し、あれやこれやの要求に応え、クレームに対応し、患者の苦痛と苦悩に対応します。──
一見この本の書名と矛盾するような言葉があります。でも重要なのはこの先です。
──とはいえ、日本の医者の善意は必ずしもよい結果を患者にもたらしません。いや、「自分はこんなに患者に尽くしているのに」という熱い気持ちは、「だから自分のやり方につべこべ文句を言うな」というメンタリティーに容易に変化します。──
つまりは医者の善意の押し付け、空回りがしばしば起きてしまうのが日本の医療の現場だというのです。
それが最も現れているのが薬の処方です。ポリファーマシーが起きています。ポリファーマシーとは「調剤過多」のことで「不必要に多いというニュアンス」を含んでいる言葉です。
──ポリファーマシーはたくさんの病気を持つ高齢者にとくに多いです。そして皮肉なことに、ポリファーマシーの副作用に苦しみやすいのも、やはり高齢者です。──
なぜこのようなことが起きるのでしょうか。それは「日本の医者は問題点をすべて解決しないと気が済まない」と思う人が多いからです。どうしても「すべての細かい問題を片っ端から正常化」しないと気が済まないという傾向にあります。
たしかに個別の症状、たとえば尿酸値、血糖値、コレステロール値などそれぞれに検査で異常値が見つかると、親切に思える医者ほど、それぞれの症状に薬を処方することが起こりがちです。また、複数の医者にかかっている場合などでも、それぞれの専門医療の見地から薬が処方され、結果ポリファーマシーとなってしまうのです。
これは処方される薬を、お薬手帳で内容を1ヵ所で管理すれば間違いなく予防措置になります。なにより薬には「効能(薬の効果)」と「害(副作用)」は表裏一体のものであることを知って服用しなければなりません。
──全ての医療は文脈依存的であり、その功罪は使い方次第です。ですから、全肯定も全否定もしないやり方で、薬や医療とつきあうのが賢明です。──
確かに背景がわからなくては治療ができません。けれど専門医療の見地だけでなく全体的に判断しなければならないことも多いと思います。気になる薬についてはこの本で「日本でよく使われる薬・成分77」を取り上げ、徹底的に解説しています。巻末に索引が載っていますので、それを利用しながら調べてみてはどうでしょうか? 自分が処方されている薬の正体が分かると思います。
医者の善意を頼りに出来ないのなら、私たちは良医をどのように見分け、また付き合えばいいのでしょうか。著者は避けたほうがいいと思える医者の5つの兆候をあげています。
・患者より「検査値」を治療する医者。
・検査のリスクを考えない医者:CTもMRIも患者にリスクを強いることがある。
・看護師の意見を聞かない医者。
・問いを発せない医者:答えを出す正確さだけで問いを立てる能力が乏しい医者。
・心の機微を察したコミュニケーションができない医者。
これ以外のタイプもこの本に紹介されていますが、まずは、このようなタイプの医者が患者にとって好ましくないといえるようです。
また患者の振るまいかたでも大事なことを提言しています。いくつか目に付いたところをあげてみます。
・患者中心ということにとらわれすぎない:患者が中心か医者のパターナリズム(父権主義)かという二者択一ではなく、「患者によいことがなされ、それに患者がどれだけ満足するか」を第一にする。
・「大病院=よい病院」は患者の幻想。
・イエスマンの医者を求めない。
──患者は医療の世界の一参加者です。「一参加者にすぎない」と規定すればラクになります。自己決定のプレッシャーに苦しむ必要も、自分の権利が十全に行使されているか、神経質にチェックする必要もなくなります。──
これが医者(病院)へかかるときの患者の心得といえるものです。重要なのは、患者気持ち中心か、医者の判断中心かという極論ではありません。
──医療や医学は、極論や断言が通じる世界ではありません。むしろ、医療や医学は、より微妙で繊細で、わかりにくいものです。──
この原点から日本の医療について語ったのがこの本です。時には医者にも患者にも厳しい言葉があります。また時には「あたりまえ」と思っていることが医者か患者だけの常識でしかないことも指摘されています。なにより著者の良識が光っている1冊です。医者や医療に振りまわされないためにも読んで欲しいと思います。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。