地図にはさまざまな接し方があります。まず今の自分が迷わないために使われます。散歩好きなら、ここはどこに通じるのだろうかなど地図を片手に(今はスマホのマップを調べながら)歩いたりします。 また、少し歴史好きだと、「ここは昔は何だったんだろう……。運河、海? 大名屋敷? この建物の由来は?」など調べながら歩く人もいるでしょう。最近では昔の地図が見られるサイト・アプリがありますが、やはり主要な情報は現在のものが中心になっていると思います。 この本で取り上げている地図はグーグルであったりヤフーであったり、カーナビなどの地図ではありません。国土地理院発行の「地形図」です。「地形図」とは「日本国内において地形図は、狭義では国土交通省国土地理院発行の一般図のうち、中縮尺・大縮尺の図(縮尺が5万分1以下の図)を地形図といい、その中でも特に中縮尺の図(5万分1・2万5千分1・1万分1の図)」であるものをいいます。(ウィキペディアより)
この地形図とグーグルなどのマップではどこが異なるのでしょうか。まず気づくのは建物、ショップ等の表示の有無です。マップではコンビニを始めさまざまなショップが表示されますが、地形図には見あたりません。地形図に記号として表示されるには基準があるのです。
地形図の記号化規準には「公共性の高いもの」「永続性のあるもの」というのがあるが、コンビニは「公共性」の点でクリアしたとしても、永続性が厳しいのだろうか。(略)それにしても、国土地理院の地形図の記号欄をじっくり見ると「お役所記号」が見事なほどに多い。
お役所記号とは役所、裁判所、税務署(!)、森林管理署、気象台、警察署、交番、保健所、郵便局、自衛隊などですが、「欧米の地形図には、警察や郵便を除けばこれらの記号はほとんど見られない」そうです。それどころか「イギリスの2万5千分の1地形図には教会や学校、病院などは明示されているのだが、税務署や警察署、裁判所のようなものはない」そうです。イギリスで病院が明示されているのは医療・社会保障の整備がされていることのあらわれなのかもしれません。
実は地形図にはその地図が作成された時の国の形(国家意思)とでもいうものが反映されているのです。
同じ地形図といっても何に重点を置いて表現しているかは国によって大きく違う。地図は比較文化の題材にもなるのである。
ちなみに、イギリスの地図にはバスターミナルや公衆電話、トイレというものが表示されているそうです。地方によっては古代ローマ帝国時代の古称も併記されているものがあるそうです。このあたり、どんどん新しいものを“上書き”してしまう日本とは大部違うようです。
町名でいえば、前回の1964年(昭和39年)開催の東京オリンピックで、多くの東京の町名が消えていきました。外国人にもわかりやすくしようという機運が広がったからといわれています。ですがその一方で旧町名を復活させようという運動も起こっています。旧町名にはその由来を含めて、当時の文化の香りを感じさせるものがあるからです。今度のオリンピックでは町名は消えることはないでしょうが、道路の拡張・整備・街路樹の伐採等で景観は大きく変わるでしょう。いつの間にか知らない道路やトンネルが東京に出現するかもしれません。
とするとそれ以前の街の姿を留めているのはやはり国土地理院の航空写真や古い地図ということになります。もっとも航空写真が残っていないものは、地図上での地勢、記号から想像、追体験するしかありませんが。
また古い地図を見ると国の形の変化が浮かびあがってきます。大名屋敷を利用して発展してきた東京、埋め立てで膨張(?)し続けている東京、その一方で地方の地図を見てとると廃村になったためか地名の消えた地域もあります。それらから、当時の国家が目指していたものが浮かびあがってきます。
北陸や東北の地形図で山の中を眺めていると、しばしば緩斜面が少し荒地になっているのを見かけるが、これらは廃村であることが多い。少しでも傾斜が緩やかであれば畑を耕し、水田を段々に開き、村をつくったからだ。
消えていったものがあるのとは逆に地図には消したもの、載せなかったものがあります。「戦時改描」というものです。戦争遂行のために、政府にとって重要な情報を隠したのです。
軍事基地だけでなく発電施設、工場、精錬所などの軍事的に重要な意味を持つ施設、図上で発見されては困るものはすべて隠した。
隠しただけでなく、施設を公園としたり、湖を芝生と表示していました。「地図がウソをついていた時代」なのです。これは遠い過去のことなのでしょうか。
日本の地形図がウソをついていたという話は、戦時中の「非常時」の昔話をしていたつもりだったのですが、「特定機密保護法」が通ってしまった今、昭和12年の改正軍機保護法の世の中を彷彿(ほうふつ)とさせる状況になってきたように思います。「何が秘密か、それは秘密です」ということだそうですから、大変困ります。役所というところは危ない橋は渡りませんから、秘密に抵触しそうな場所は、後難を恐れて必要以上に隠すようになるのではないでしょうか。(略)地図に本当のことが載らない時代は決して褒められたものではありませんから、みんなで見張っていることも必要です。
情報が政府に管理され、地図がウソをついたり、隠しごとが増えていく時代がいい時代のはずはありません。地図は私たちの命にかかわる情報源です。今尾さんは地図を読むことの重要性をこう記しています。
教育の第一の目的は「国家に騙されない人を育てること」だと私は常々考えています。地図をより深く読むこと、もちろん表面に描かれているものが真実とは限りませんが、これによりマスコミやネットで語られる情報の大波に流されることなく、真に科学的な視点を忘れない「したたかさ」を獲得できるのではないかと思っています。
この本は地図の楽しみかたを教えてくれるだけでなく、柔軟な知性、背後を読み抜く知性のありかたも教えてくれる充実した1冊です。地図は便利なだけでなく、さまざまな情報を秘めた宝箱なのです。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。
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