『地図のない場所で眠りたい』は、高野秀行(たかの・ひでゆき)さんと角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)さんによる対談集です。おふたりとも、早稲田大学探検部出身のノンフィクション作家。
正直に打ち明けると、僕はおふたりの作品は未読です。そもそも「探検ノンフィクション」というジャンル自体、僕にとっては未踏の大地でした。それだけに、本書を読み終えた感想としては、「ああ、自分はだいぶ損をしていたんだな……」というものでした。
高野さんと角幡さんの少年時代の回想。早稲田大学探検部に入るまでのいきさつ。そこから「探検ノンフィクション」の著名な作家になるまでのエピソードだけでも面白い。
とくに早稲田大学探検部時代の思い出話は、「探検部に入ったからには4年で卒業しようと思うな」とか、「千葉の松戸にマツドドンという謎の未知生物がいるそう」なので、それを探しに行こうとした部員がいたとか、高野さんの過去の恋愛話で「洞窟デート」をして恋人と険悪になり、距離を取られるようになったとか、とにかくぶっ飛んだエピソードやくだらない異聞奇譚が満載で、楽しく読者を笑わせてくれます。
本書を読んでいると、私大の名門・早稲田にあって、探検部というのは(少なくとも高野さん、角幡さん、それぞれの世代の探検部は)、奇人、変人が自然と集まってくる隔絶された陸の孤島のようです。酷い言いようですが、そこが当時の探検部の欠点であると同時に、他の何にも代えがたい魅力だったのでしょう。
だからといって、そういう人たちの仲間になりたい、ちょっとでも真似したい、などとは寸毫(すんごう)たりとも思いません。探検に出て「生きるか死ぬかの追いつめられた状況」(角幡さん)に陥るなんて絶対に御免ですから。
大学卒業後のおふたりは学生の頃と比べて、より過酷なものへと挑戦なさっている印象を受けます。なかでも呆気に取られたのが、『アヘン王国潜入記』の裏話。同作は高野さんが麻薬密造地帯の村に滞在し、ケシ栽培とアヘン採集を行ったルポルタージュです。その現地取材中、著者自身でさえ想定していなかった事態に陥ります。読者としてもおもわず首を傾げてしまうような、唖然とさせられる出来事がさらりと書かれているのですが、その具体的な内容は過激すぎるので、このレビューではあえて割愛。
しかし、その割愛した部分こそが、高野さんという「探検家」でなければできない、体を張った仕事だったのでしょう。たとえ本人でさえ想定できなかった不測の事態だったにしても。ジャーナリストであれ、きっとそこまではしない。というより常識的に考えてすべきではない。取材を終えて帰国した高野さんを見て、彼の家族はそのあまりの“変化”に唖然としていたそうです。
そこまでして作品の素材と向き合う姿や、胸の内にはとどめてはおけない、とめどない情熱(もしくは狂気)のような、素人にはとても真似できないものがあるからこそ、読み物としての固有性であったり価値が出てくる。フィクションゆえに滲み出るリアリティと、探検という、実生活でまったく馴染みのない非現実性。そのリアリティと非現実性の融合こそが、探検ノンフィクションの圧倒的な魅力なのかもしれません。
このように書くと、高野さんと角幡さんの「探検家」としての一面ばかりが目立ちますが、おふたりは探検家であると同時に「作家」です。本書を読んでいると、むしろ探検家よりも、「ノンフィクション作家」としてのこだわりや矜持を強くお持ちのように感じました。
──小説には負けたくないみたいな気持ちもあるわけです。(略)小説より面白いものを書いてやりたいな、みたいな──
──あるね。俺も文学には負けたくないなと思っているよ──
前者が角幡さん、後者が高野さんのお言葉です。高野さんには小説を書きたいという気持ちもあるようですが、角幡さんは「まったくない」。
そこに多少の差異はあっても、ノンフィクション作家としておふたりが小説には負けたくないという気持ちをはっきりと表明できるのは、きっとご自身の作品と作家性に揺るぎない自信があるからでしょう。
探検家として辺境の地へ赴くと、その素材だけが評価されて、作家として自分の文章をほめてもらえない、それは虚しい、といった繊細な本音も語られています。
この対談集の親切なところは、そのような著者を知るファンのみならず、僕のような探検ノンフィクション未読の読者に対してのフォローも、しっかりと行われていることです。高野さんと角幡さんの経歴、刊行リスト、その他、おふたりが著作についてあけすけな本音を交えつつ語ってくれているばかりか、「探検を知る一冊」として自作以外の探検ノンフィクションも紹介してくださっています。
両者のデビュー作をはじめ、先ほど取り上げた『アヘン王国潜入記』(高野秀行)。アフリカの治安崩壊国家で平和を実現している「ソマリランド」を詳細に記述した『謎の独立国家ソマリランド』(高野秀行)。19世紀の北極で全滅したと言われているイギリス探検隊の生き残り「アグルーカ」の謎に迫った『アグルーカの行方』(角幡唯介)。おふたりの著作以外だと、『ロスト・シティZ──探検史上、最大の謎を追え』と『奇跡の生還へ導く人──極限状況の「サードマン現象」』に、とりわけ食指が動きました。
僕のように、探検ノンフィクション未読の読者への入門参考書としての役割も果たしてくれるのが、『地図のない場所で眠りたい』という本です。
子供の頃の冒険心を未だに忘れられない人。未踏の地、未知の体験を求めて旅立ちたいけれど、その勇気を持てない人。勇気はあっても時間的・経済的にそれが許されずに、せめて疑似体験したい人。そのような人たちの中で探検ノンフィクションを未だ手に取ったことがない人にこそ、是非お薦めしたい1冊です。
レビュアー
1983年夏生まれ。小説家志望。レビュアー。ブログでもときどき書評など書いています。現在、文筆の活動範囲を広げようかと思案中。テレビ観戦がメインですが、サッカーが好き。愛するクラブはマンチェスター・ユナイテッド。