法律だけでなく私たちはさまざまなルールに囲まれて、時に保護されて暮らしています。ですが、私たちが遵守しているルールって本当に正しいの?という疑問をぶつけたのがこの本です。
──律儀な国民性ゆえか、この国では、本来「手段」であるルールそのものが目的化していしまうことがよくある。──
時にはルールの検証が必要です。ルールが実情に適しているか、かえって不都合を生んだりしていないか思い返してみます。するとおかしなルールが意外と(!)多いことに気づかされます。
ルールをおかしくする5つの理由
おかしなルールを作っているもの、それには次のような要素が見られます。
1.そもそもそんなルールは必要がない。
2.ルールに明らかな間違いがあり、使いものにならない。
3.ルール制定時に将来を見通せなかったために、現代では通用しなくなった。
4.ルールそのもの、あるいはルールの解釈が曖昧で、まともに運用できていない。
5.ルールの目的や成立過程に悪意や作為があり、公正・公平でない。
たくきさんが「愚ルール五法則」「愚ルール五悪」と呼んでいるこの5つが欠陥ルールになる要素です。では具体的にはどのようなものがあるでしょうか。この本からいくつか紹介してみます。
1の例としてあげられたのが「漢字の筆順」というものです。1958年に当時の文部省が制定した筆順には「筆順は一つではない」という文言があったのに、「正しい筆順」というものがいつのまにかルール化され、教育現場に持ち込まれました。そもそも中国の筆順と日本の筆順が違っているのに、ルール(化)重視という日本人の特徴があらわれているようです。
またヘボン式、日本式、訓令式という3つの表記法がある日本語のローマ字表記ルールの混乱(?)ぶりには2や4の要素がうかがえます。
愚ルール3にあたるのは、左側通行ルールとそれにともなう右ハンドル車です。日本が左側通行になったのは、武士がすれ違うときに、右側通行だとお互いの刀がぶつかり、喧嘩ざたになることをさけるためといわれています。一説ではヨーロッパも、もとは左側通行でしたがナポレオンが右側通行にする法令を定めたので右側通行になったといわれています。
「世界に3割しかない左側通行圏に所属していることは、多くの点でハンディを背負う。そのため、左側通行圏だった国や地域が、右側通行に変更した例」があげられています。最も遅い変更例は1967年のスウェーデンでした。この逆の右側通行を左側通行にしたのが返還後の沖縄です。復帰6年後の1978年に変更されました。
──大ブーイングが起きるのを承知でいえば、いっそ日本全土が敗戦時にアメリカの強制によって右側通行になっていれば、その後めざましい発展を遂げた日本の自動車産業にとって、また、日本人ドライバーにとっても、幸せな結果になっていただろう。──
これ以上に先の見通しを考えずにルール化したものが鉄道の軌間(レール間の長さ)です。ちなみに軌間には広軌・1676ミリ、標準軌・1435ミリ、馬車軌間・1372ミリ、狭軌・1067mm、ナロー・762ミリの5つがあります。
軌間は広いほうが安定性がいいし、安全性も高いのになぜ狭軌を採用したのでしょうか。採用したのは大隈重信でした。彼の一言「元来が貧乏な国であるから軌幅は狭い方が宜かろう」ということで決定されたといいます。ですが問題はそこからです。その後、幾度も標準軌に合わせる案が浮上しました。しかし大蔵省(現・財務省)の反対で頓挫。改軌論者は「左遷、弾圧」までされたそうです。
曖昧さが問題となる愚ルール4の典型では風俗・猥褻(わいせつ)に関するルールですが取り上げられています。この問題では司法の曖昧さ・混乱とでもいえることが紹介されています。
──お上が「猥褻」を定義して取り締まるのは、食べ物の個人的嗜好を取り締まるに等しい。──
そして、たくきさんは「具体的に人間を傷つける犯罪行為」として処罰するべきだと続けています。
──判断力の弱い子供を性の商品にするとか、暴力や覚醒剤を使って嫌がることを強要したり、盗み撮り映像で商売をしたりといった行為を、猥褻だのポルノだということではなく、「暴力」犯罪として取り締まること。そのための法律は曖昧な文言ではなく、誰もが正確に判断できるものとすること。そうした努力をすることこそがいちばん求められている。──
不公正なルールはこんなにある
では成立過程に悪意や作為があり、公正・公平のルールに該当するのはどのようなものがあるでしょうか。その典型が「酒税」です。「権力者が都合のいいように、どうにでも作り変えてきた法律」が酒税です。そのカラクリは詳述されていますが、市場が拡大するにつれて税率をあげるなど、税収目的のために法改正(改悪)を行ったこと、また企業の開発マインドを失わせたのではないかと記されています。
また、電気用品安全法でも愚ルール5という姿をさらしてしまいました。電安法とは日本の電気用品安全法に基づく表示(PSEマーク)のない電気用品は販売を認めないというものでした。このは消費者や一部の中古品販売業者などの反対運動を起こした法律です。
その時の大臣がこんなことを発言していました。
──当時の大臣や局長以下関係者も今はもういない。しかし、役所としての、行政の継続性から、十分責任を痛感し、最後の努力を傾けたい。──
つまりは……、
──「こんな法律ができたことは、あたしもあなたも知らなかったでしょ。今さらほじくりかえすのはやめましょうよ。当時の大臣や局長ももういないからさ。なんでこんな法律ができたのか知らないが、役所たるもの、一度決めたことは、なにがなんでもやらなくちゃね」と開き直っているのである。──
結局PSEで問題となった中古品販売は認めざるを得なくなりました。消費者や中古品販売業者を無視したルールを策定したのです。
国会の機能不全が愚ルールを放置する
「決まった以上、もう引き返せない」という言葉をどれくらい聞かされたでしょうか。それが愚ルールを生み出し続けるもとになっています。加えて、行政府が作るルールがそのまま法となることが常態化されるようにほとんどになりました。行政府を追認するだけの国会では「国権の最高機関(憲法41条)」どころか三権分立の機能すら果たせていません。「自分たちの権力と財産を保全する」ことに執着している人たちが多いといわざるをえません。
──もともと国会は立法府であり、法律を制定するのが仕事である。行政府である省庁が法律を作ってそれを認めるだけになっていた日本の国会はとっくに異常事態になっていた。──
そのような“空気”を作らせないことが大事です。愚ルールがあったならば、それを突っ返すことができる「常識」と「気概」を持った政治家が必要です。「おかしいと分かった以上、やめましょう」という常識・良識こそが求められます。このルールをチェックする目で衆議院選挙を分析したのが第5章です。具体的な投票数をあげた選挙分析はこの本で最も興味深い箇所です。自分たちの投票行動がどのような結果をもたらすのかじっくり読んで欲しい箇所です、選挙が近い今だからこそ。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。 note https://note.mu/nonakayukihiro