説得術としてとてもおもしろい本ですが、森友問題等の国会での官僚たちの姿を思い浮かべると、彼らがどのような手法で答弁や政治家とのやり取りをしようとしているのかも知ることができ、とても興味深く読めます。
「政治家に対する官僚のご説明」でも、「悪徳事業者のセールストーク」でも、さらには「外国政府との通商交渉」でも、説得のやり方には共通したところがある(!)というのがこの本の出発点です。
さて説得で一番重要なのはもちろん説得を試みる当人の「意思」です。
──「説得術」の達人たちに共通していると思うのは、ひとたびゴールを定めたら、いかなる手段を講じてでも、そこにたどり着こうという強固な意思を持っていることです。(略)また、達人たちに共通する行動パターンとして、手段にはこだわりを持たず、どんどん乗り換えていくということもあります。──(原さん)
では意思を通すために官僚はどんな手段を使っているのでしょうか。(もちろん当該の意思の正否は問いません)
まず悪徳商法の代表であった「豊田商事」との共通点が挙げられています。豊田商事とは高齢者を狙った詐欺グループで、被害総額は2000億円近くにもなるといわれれています。昭和60年、白昼、メディアの現前で豊田商事の社長が刺殺されるという事件が起きました。(これは映像化、小説化されています)。
この詐欺グループ豊田商事が使っていた手法が「五時間トーク」と呼ばれているものです。この手法の肝心なところは「最初の二時間は世間話にあてる」というところにあります。「相手の信頼を得る」ために極めて有効なのです。なにしろ「世間話」に相手を引き込むには「相手が関心を持ちそうなこと」を知っておく必要があるからです。相手を知ること、これが説得(悪徳商法?)の第一歩です。
これを政治家に対する官僚の行動で置き換えれば「用がなくても議員会館にちょくちょく行って、世間話をしてくる」ということになります。もちろん議員が関心を持つことをあらかじめ“仕入れていく”必要があります。そのための有効なツールが『政官要覧』というものです。
──衆参国会議員722名の政治家人物像や官庁幹部職員 約5,600名の人事データなど、政界・官界人事情報をまとめた1冊です。国会議員の紹介ページでは、出身地や経歴、当選回数などの基本情報はもちろん、最近の選挙の状況や政治信条、さらには座右の銘、趣味などの「プロフィール」も記載。議員の人となりを見ることができます。このほか、独立行政法人や政府関係機関(特殊法人)、都道府県、政令指定都市の幹部職員録を掲載。──(株式会社政官要覧社HPより)
これを頭に入れて政治家のもとへ通い相手の信頼を勝ちとります。これが「戦わずして勝つ」(『孫子』)の第一歩です。勉強会も「信頼」を築く強いツールとなります。「長い時間をかけて慣れ親しみの関係を築く」のに役立つからです。
さらに「戦わずして勝つ」方法があります。
・専門家の権威を利用する。
・事務局機能を掌握する。
専門家の権威云々は分かりますが、後者の「事務局機能の掌握」はなぜ重要なのでしょうか。こんな1節が記されています。中曽根内閣時の臨時教育審議会委員だった故・香山健一氏が「事務局主導の審議会運営の問題点」を指摘したものです。
──事務局は、審議会等の各委員を分断し、その意見や発言に枠をはめたり介入したり、さらに事務局の特権とされる報道機関との接触や資料作成等を通じて、事前に“世論操作”を行うのを常としてきた。(中略)いまなお旧態依然たる“審議会操作”を続けることは絶対に容認できない。──
このように事務局機能の問題点を指摘しながらも香山さんは事務局に押し切られ、臨教審の改革は失敗に終わりました。事務局は、反対派が出席できないように会議の日程調整を行ったのです。満足に「開会」すらできなかったのです。
これらを“戦略”と呼べるなら次のような“戦術”を官僚は考えています。
1.タイムプレッシャーを与える:デッドラインを設けて、考える余裕を与えない。あえて空いていない時間を聞き出し、その時間に案件を持って行く。
2.霞が関文学を駆使する。
3.おとり選択肢を用意する:たとえば3択の罠。あらかじめ3つの選択肢を用意する。3つとも選ばないという回答を隠蔽して、1つに誘導する手法。
4.脅し:「そんなことを代議士がいったら、代議士の経歴に傷がつきますよ」という言葉や訴訟リスクをちらつかせる。損失を突きつけて、これを回避する方向へ誘導する。
5.外圧を理由にする。
このような戦略・戦術で大事なツールとして「ポンチ絵」というものがあります。
──永田町や霞が関で一般的な「ポンチ絵」というのは、複雑なものを簡便に理解するヒューリスティックス(理解を助けるために簡略化した手法)の一つ。一枚紙で政策の全体像を理解するための手法です。──
この「ポンチ絵」に加えて、書類の中で重要な要素は「数字」「具体例」「比較」です。これを駆使するところに官僚の説得術があらわれています。しかもこれらの「数字」「具体例」にトリックがあったり、恣意的な数字・例が出されています。
「比較」にはどのような狙いが込められているのでしょうか。ここにあるのは「みんなやっているの罠」です。「他国との比較や他分野との比較」を“利用”して相手を誘導する手法です。さらには「バスに乗り遅れるなの罠」があります。
──これは「常識」が大きくくずれるときに起こります。外部環境に大きな変化が発生すると、自分が所属している集団の参照規準見直さなければならない時がやってきます。(略)参照規準がずれていて、自分たちだけが間違っているようだと気づく瞬間が来る。そうなると、人々が「バスに乗り遅れるな」、と一気に新しい参照規準を受け入れることが起きる。──
この場合の参照規準は簡単なものでなければなりません。
これは“空気”が支配する日本では極めて有効な手法です。この時、新しいヒューリスティックスとして有効なものこそが「みんなやってます」というものです。
最後にこの本ではハーバード流交渉術と比較して4つの要素に官僚の説得術をまとめています。
1.人と問題を分離させない。
2.利害だけでなく立場にも焦点をあわせる。
3.選択肢を絞ってそれを選択させる。
4.参照基準を作り上げる。
この説得術を行使するのがなにしろ「粘り」を信条とする官僚たちです。どこまでも意思を通そうという粘りがあっての説得術です。ですから彼らに「粘り」を持たせているものがなにか、その意図をつきとめなければなりません。この本は「説得術を駆使する人の意思」を探るにも役立ちます。実におもしろい奇書です。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。
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