「元始、女性は実に太陽であった」
これは明治44年に、平塚らいてうが雑誌「青鞜」に寄せた言葉です。ほどなく時代は明治から大正へと元号を変え、女性の社会進出や地位向上がより積極的に叫ばれるようになりました。
現代人の僕にとって「大正」という言葉が持つ響きには、どこか憧れに近いものがあります。大正ロマン。大正モダン。大正と聞いてふと思い浮かぶ景色は、どれも淡いセピア色に染まり、足早に社会や文化が開かれてゆく足音が聞こえてくるような気がします。
倒叙ミステリの短編集である本書も、大正が舞台です。著者は、『パチプロ・コード』で第8回『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞して2010年にデビューした伽古屋圭市(かこや・けいいち)さん。各短編を彩っているのは、人を殺め、そのことを隠し通そうとする美しい女たちです。
愛情を持てなかった夫を殺してしまう「躑躅ノ毒」。自分を遊女にした女衒を殺害しようとする「瓜ノ顔」。大学教授の父親を刺殺する「柚ノ手」。妾を名乗る女が家族の死を告白する「蜜柑ノ種」。
それら4編いずれも女たちが殺人犯の本格ミステリです。巧妙に張り巡らされた伏線の妙と謎解きのロジックの鮮やかさは見事というほかありません。しかも毎回必ず「え!?」と叫びたくなるような驚きがあって、個人的な白眉は「躑躅ノ毒」でした。おそらくたいていの読者は騙されるでしょう。短編集の最初の作品でもあり、一気に引き込まれます。
そしてやはり本書の魅力として欠かせないのが、女たちです。殺人の罪を背負った彼女たちの悲哀。平塚らいてうの言葉とは裏腹に、作中に登場する彼女たちは太陽どころか日陰の存在であることを余儀なくされている。僕たち現代人の感覚からすれば、まだまだ女性の人権意識において隔絶した時代を生き、殺人の動機もそうした時代背景と深く関わっています。
でも、だからこそ美しいのかもしれない。
理不尽を突きつけられ、悲運を生きる女性たちにそんな感情を抱くのは、およそ不謹慎かもしれません。けれども、本書で探偵役をつとめる人気絵師の茂次郎の目には、彼女たちがそんなふうに見えているのです。
探偵役の茂次郎は実在の人物
その茂次郎ですが、実は大正時代に活躍した実在の人物です。大正時代、絵師、茂次郎と聞いて、すぐにわかった方もいるかもしれません。本書でその正体は明かされず、ぼやかされているので、彼の正体を知りたい方はネットで検索してみてください。すぐに名前が出てくると思います。
茂次郎は女たちに近づくや、冷徹な分析力と精緻な推理で罪を暴き立ててゆく。それでいて、彼女たちを警察に突き出したりはしません。そうしない代わりに絵のモデルになってもらうのです。人を殺め、その罪を告白した女たちを描くこと、それが茂次郎の目的だからです。
彼はなぜそんな奇妙なことをしているのでしょうか。その理由が明かされる「蜜柑ノ種」を短編集の最後に持ってきたことで、本書は美しく物悲しく、花が散り行くようにして、そっと閉じられてゆきます。『散り行く花』──まさしく表題のとおりの作品でした。本格ミステリとしても、哀しい女たちの物語としても、たいへん魅力的な1冊です。完成度の高い本格ミステリと切ない物語が読みたい方に、ぜひ、おすすめです。
レビュアー
1983年夏生まれ。小説家志望。レビュアー。ブログでもときどき書評など書いています。現在、文筆の活動範囲を広げようかと思案中。テレビ観戦がメインですが、サッカーが好き。愛するクラブはマンチェスター・ユナイテッド。