世の中には、予備知識なしで読むべき作品が少なからず存在します。事前に何も知らないほうがいいので、それならレビューだって書かないほうがいい。でもそうすると、最高に面白い本なのに、そのことを知らない読者には情報を提供できない、といったジレンマが生じます。
推理小説の中でも、謎とその論理的解明を眼目に据えた「本格ミステリ」と呼ばれるジャンルに、そうした作品が多い気がします。今回紹介させていただく倉知淳(くらち・じゅん)さんの『星降り山荘の殺人』も、まさしくそのような作品で、本格ミステリの名作です。
雪の山荘、殺人事件、そしてスターウォッチャー
『星降り山荘の殺人』は1996年に講談社ノベルスから刊行されました。1999年には文庫化され、本書はその文庫の新装版です。
僕は以前に文庫化されたものを十数年前に読みました。それが初読ですが、不意に死角から殴り飛ばされたような、本書終盤の衝撃は未だに忘れられません。
もっとも、この小説のストーリーラインや舞台設定は、極めてオーソドックスです。
ワンマン経営の中規模広告代理店で働く杉下和夫(すぎした・かずお)は、上司と揉めてしまい、カルチャークリエイティブ部(いわゆる芸能部)に左遷されます。そこでタレント文化人のマネージャー見習いを命じられ担当することになったのが、スターウォッチャーの星園詩郎(ほしぞの・しろう)でした。
星園は甘い顔立ちの31歳。スターウォッチャーを名乗る彼の仕事は、星の美しさを賞賛しながらエッセイを出版したり、雑誌で占いコーナーを担当したり、外国人モデル顔負けの容姿を活かしてテレビ出演したりする、いわばアイドル文化人です。ファン層の女性を相手に、歯が浮くような台詞を連発するのも、スターウォッチャーの仕事です。
杉下は内心、そんな星園のことを馬鹿にしていました。けれども、実は星園が優れた知性の持ち主だと気づき、やがて仕事で訪れた山荘で星園の口から語られた過去に衝撃を受けると、それまでの印象を一変させます。尊敬や好感の念を抱くようになり、なかなかの名コンビといった雰囲気に。
事件は、その夜に起きます。翌朝になって発見された死体は、他殺死体でした。
山荘には杉下と星園の他にも人気小説家のあかね、あかねの秘書の麻子(あさこ)、UFO研究家の嵯峨島一輝(さがしま・かずてる)、女子大生のユミと美樹子(みきこ)、不動産会社の社員が宿泊し、おそらくはこの中に犯人がいる。猛吹雪の影響で助けが来ない中、やがて杉下たちは犯人捜しを始めます。
発売から20年以上を経ても色褪せない名作!
要するに本書のあらすじだけをみると、雪の山荘で殺人事件が発生し、名探偵が緻密な推理で解決する、という王道の本格ミステリです。言葉は悪いですが、ありふれていると言ってもいいでしょう。
そんな中、ひときわ目を惹くのが、節のはじめごとに添えられた「小見出し」です。しかしその「小見出し」のアイディアにしても、別の先行作品――都筑道夫(つづき・みちお)の『七十五羽の烏(からす)』ですでに使われています。その『七十五羽の烏』に触発された旨は本書にも書かれているのですが、『星降り山荘の殺人』に出てくる「小見出し」というのは、たとえば次のようなものです。
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主要登場人物が出揃う
後の被害者も犯人も無論この中にいる
管理棟の構造は終盤の推理で重要なファクターとなるので注意が必要である
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読者が推理するうえで役立つこの小見出しのアイディアを別とすれば、王道の設定だからこそ、本書は没個性化してもおかしくありませんでした。ところが、既読の読者には言わずもがなでしょう、『星降り山荘の殺人』はそんなふうにはならなかった。それどころか、ある瞬間を境に見えてくる本書の個性の輝きは、発売から20年以上の歳月を経ても少しも色褪せていないのです。
その個性の輝きがどんなものかは、本書を読むうえで知る必要のない知識なので書きません。そもそも、できることならこの小説を買った直後に、ここに書かれていることは速やかに忘れるべきです。頭を真っ白な状態にして、予備知識なしで読みましょう。あとはただ、脳天が痺れるような衝撃に身をゆだねるだけです。
レビュアー
1983年夏生まれ。小説家志望。レビュアー。ブログでもときどき書評など書いています。現在、文筆の活動範囲を広げようかと思案中。テレビ観戦がメインですが、サッカーが好き。愛するクラブはマンチェスター・ユナイテッド。