室積光(むろづみ・ひかる)さんの長編小説『ツボ押しの達人』は、不思議な小説でした。
本書は基本的には喜劇です。主人公で週刊誌の編集部に配属されている中根望来(なかね・みく)が、取材を通じて達人・山本俊之(やまもと・としゆき)とその家族から、体のツボを押すことで相手を硬直させたり脱力させたりする昇月流柔術を習い、半グレやヤクザと闘うことになるというストーリーは、物語の最初から最後まで平易な文体でテンポよく進展してゆくので、おそらく読了まではあっという間です。
満遍なくちりばめられた笑いの要素。それでいて、ときどき胸をつくような感動的な場面があり、はっとさせられる台詞もありで、なかなか油断できないなとも思わされました。
本書をまずはコメディとして楽しんでくださいね、というのが作者の第一の意図であると僕は勝手に解釈していますが、そうした表層的な部分にまぎれて、ときどき批評性を感じさせる文章が顔を出すこともある──そういうところが本書の一面的ではない面白さだなと受け取ったのでした。
たとえば政治の話、達人が語る戦時中のエピソード、望来の人間観察や世相を見る目にも、不意に遠慮のない毒気が含まれたりする。それらが隠し味のスパイスのように効いています。
隠し味のスパイスは、それらだけではありません。本書のご都合主義的な展開は、コメディに欠かせない要素として意図的に採用されたものでしょうが、それとは対照的に登場人物たちの多くが実は自分の思い通りにならない人生を生きていたり、過去の挫折や後悔を背負っていたりと、ままならない世の中のリアリティがそこにはあるのだと気づかされます。
最終盤になって望来が「戦いは終わってません。私が戦います。ペンで、ペンで戦います」と言いきる場面が僕は好きです。超人的な柔術ではなく、ペンを選択した望来。基本的には荒唐無稽を楽しむ小説である反面、非現実的な喜劇性に被覆されて見えづらくなっているリアルな部分こそが、この小説のもうひとつの魅力であり骨格だよ、と示唆している場面のように思えたからです。
レビューの冒頭に書いた「不思議な小説」という感想が脳裏をかすめたのも、そのときです。瞬間的に、感覚的に胸中に浮かんだ言葉なので、とくに深い意味があるわけではありませんが、読み始めの頃の予想をいい意味で裏切ってくれたので、そんなふうに思ったのでしょう。
いずれにしても、読後感のよい爽快な小説です。読みやすいので、これまで小説を読んだことがない人たちにも、おすすめしてみたいなと思った作品でした。
レビュアー
1983年夏生まれ。小説家志望。レビュアー。ブログでもときどき書評など書いています。現在、文筆の活動範囲を広げようかと思案中。テレビ観戦がメインですが、サッカーが好き。愛するクラブはマンチェスター・ユナイテッド。