国土交通省が毎年調査し発表している公示地価、土地の売買は「標準地」の「公示地価」に準じなくてはならないとされています。ちなみに平成28年は25,270地点が対象となっているそうです。
──公示地価とは(略)2人以上の不動産鑑定士が鑑定評価し、その結果を土地鑑定委員会が「審査し、必要な調整」を行って「正常な価格」を判定し、それを3月に公表することになっている。──
さてこの公示価格がどう決まるかについて高橋さんが不動産鑑定士・税理士の森田氏にたずねたところビックリするような回答がありました。
──「全部インチキなんですよ」
インチキなんですか?
「そうです。役所のアリバイづくりです」──
驚く高橋さんの顔が浮かぶような名シーン(?)です。森田氏は鑑定のしかたについても即答したそうです、あっさりと。
──「役所が重視するのは変動率。つまり前年と比べて何%上がったということです。まず先にこれが決まる」
鑑定する前に決めちゃうんですか?
「幹事のほうから『今年は、〇〇%くらいアップかな』というような話があって、それを受けて『じゃあ、これでいこうや』ということになる。まさにあうんの呼吸です」
前年の地価に変動率を掛ければ今年の公示地価になる。つまり公示地価は役所の指導に算出されるというわけである。──
これが不動産価格の指針となる公示地価の実情だそうです。不動産鑑定も「判断ですから、エイヤっ! とやるんです」と、まあこちらの回答でもびっくりします。
この「エイヤっ」は「買う人のエイヤっ」にも通じているそうです。どういうことかというと、こんなことがあるそうです。隣接した40坪の土地と80坪の土地で40坪が坪単価50万円で売れたとした場合で、80坪の土地は4000万円になると思いがちですが、そうはならないといいます。買う側からみて4000万円は高くて買えないと判断された場合、坪単価が35~40万円まで下がってしまうそうです。
── 一番高値で買いそうな人の気持ちになって、エイヤっと値段を付けるのです。──
どうも不動産の世界は「フィクションの世界」に思えてなりません。
マンションの販売の第1期第2期というように分けて販売するのは売れ残らないために行うのですが、まるでフィクションの世界をリアルに近づけるためにそのようにしているとすら思えてきます。
では“損したくないニッポン人”は「一生に一度の買い物」をどのようにしているのでしょう。損したくないという気持ちがあると、物件の価格比較や将来の価値ということを考えてしまいがちです。でもこれは住んで比較することはできませんし、ましてや将来は予測できません。経済学者は予測しがちですが……。で、考えに考えると、結果、成約にいたらないケースが多いといいます。“買う”のには損得だけではない要素が入ってくるようです、買うほうも「エイヤっ」の後押しが必要なようです。
この本は、最大の買い物の価格の根拠に到達した(?)第7章をはじめ、家電店の営業マン、節約主婦、経済学者、二宮尊徳研究家(子孫)、元日銀マンなど数多くの人びとに高橋さんが疑問をぶつけたインタビュー中心になっています。
インタビュアーのテーマは1つ、書名ともなっている日本人の「損したくない」という志向です。興味深いのは「得したい」ではなく「損したくない」という志向が日本人にははっきりみえるということです。
──人を押しのけて利を得るのではなく、出遅れることで損したくない。知って得したいのではなく、知らないで損したくない。──
思い当たる人が多いでしょう。“得”を求めてガツガツするのはいささか気が引けることもあるでしょう。でも、だからこそ“損”はしたくない……。そんな日本人の経済(家計ともいえる)行動を象徴しているのが「ポイントカード」です。
誰でもサイフを開けば4~5枚のポイントカードが入っていると思います。WEB上ではどのポイントカード(特にクレジット機能付きのもの)が“お得”かという比較サイトがあります。「お得なこと」と「使い勝手がいいこと」での比較がされています。
これもまた“得”をするということよりも同じ買い物をするのなら“損”をしたくない……という心理でしょう。この本ではポイントカード生活を重視している男女2人のインタビュー(問答?)が載っています。
この2人はなかなか豪のもので、「損をしたくない」というものから1歩進んで行動しています。1人は「企業に損をさせたい」と本気で考えて、買い物にあたって可能な限り多くのポイントを獲得しようという女性です。彼女はクレジットやポイントカードを使うことで企業に“損”をさせるようということを考えているという。もう1人はポイントカードと金券ショップの併用で少しでも損をしないように行動しているという男性です。彼の涙ぐましい努力(?)の底にあるのは「損したくない」以上のなにかを私たちに感じさせます。
損にまつわる高橋さんの探究は日常生活を超えて経済や貨幣そのものにも向かいます。
「経済学を学ぶ目的は、経済学者の言うことに騙されないようにするためだ」というジョーン・ロビンソンさんの言葉に導かれてつかんだ経済理論の核心は、というとそれは「後出し」ということでした。確かに経済学がいう現実を観察し、そこから理論を導き出し、さらにその理論で現実を説明する、さらに必要ならば理論を修正するという姿勢は「後出しだよ」といわれてもしかたがないように思えるのですが。
この弱点は最近注目されている「行動経済学」でも同様です。行動経済学とは心理学の知見を経済学に取り入れたもので、人が必ずしも合理的に行動しないことに着目しているものです。この経済学で「損失回避の原則」というものがあります。この理論は一見「損したくない」という行動を説明できるように思えます。ですが、高橋さんによると、これは「得したことの満足感と損したことの苦痛」を同じ尺度で比較できるという前提で組み立てられている理論ということになります。本当にこの2つを同列で比較できるのでしょうか? この理論は高橋さんの“実感的行動経済”とは大部異なっています。2つの例題と高橋さんの回答が載っています。じっくり読んでください。みなさんは、どちらの“行動経済”に軍配をあげるでしょうか……。
“損”では「リスク」というものも大きな課題となります。リスクは将来の「わからなさ」から生まれ、確率で表現されます。確率で表現されればそれを回避する(確率を下げる)ことを考えるのは当然です。そこで生まれたのがデリバティブです。このリスクヘッジの世界を解明すべくデリバティブ関連の書籍を読みあさった高橋さんの結論は!? なんと「貧乏くさい」……でした。
──派生が派生を生み(略)しまいには売買する権利(オプション)を売買する権利も取引されそうで、売る権利を買う権利を売る権利を買う……という具合に、現物からどんどん後ずさりしていくようなのである。──
“得”に取り憑かれると未来が確率として見えてくる。それは一見数学的で普遍的に思えるかもしれません。けれどよく考えれば「現実とは1回しか発生しないもの」です。ですから「数字にすれば辻褄を合わせやすくなるが、現実からはむしろ離れて」しまいます。
もしかして“損をしない”というのは、私たちが辻褄の合わない現実から受ける被害(損害)を最小限にしようという気持ちのあらわれなのではないでしょうか。
最終章では経済(家計)以外のものまで“損”の視点から問題提起されています。年齢によって恋愛の損得はどのように考えられているのか、結婚はどうか……。さらに長生きは損か、という人生究極のことも取り上げられています。それぞれのテーマをどう考えているのか、多くの人のインタビューがとてもリアルに(統計的でなく)損得を浮かび上がらせています。
この本は、登場した男女の生の声を聴くのもおもしろいし、経済的知恵のいかしかたを読み取ってもおもしろいと思います。そしてそれを超えて日本人論、人間論、文化論として呼んでも痛快な本だと思います。どこがおもしろいと感じたかで人柄も判定できそうです。万華鏡のような豊かな本です。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。
note
https://note.mu/nonakayukihiro