いしいひさいちさんといえば『バイトくん』『がんばれ!!タブチくん!!』『おじゃまんが山田くん』『となりのののちゃん』などの作品で知られている4コマの名人ですが、『いしいひさいちの問題外論』や『いしいひさいちの大政界』のように作品に取り上げる世界が多岐に渡っていることでも知られています。政治、経済、文化、あるいはミステリーの世界を取り上げた作品でも強烈な笑いを作り上げています。そしてこの本でとりあげたのは難解といわれる「現代思想」です。
このいしいワールドを支えるのは、強烈でそして愛すべきキャラクターたちです。いしいさんが作り上げたキャラクターといえばバイトくんや最強にして最弱なキャラクター・最低人などがよく知られています。それだけではありません。タブチくんをはじめ、ヒロオカ、ナベツネ、ミヤザワ(宮沢喜一)、ナカソネ、金正日など、実在の人物のパロディキャラクターもいしいワールドの住人です。住人と呼ぶのはいしいさんのキャラクターは1つの作品に止まることなく、作品横断的に登場してくるからです。本籍と現住所のようなものでしょうか、もともとの性格を活かし、あるいはさらにその性格を強烈にして登場します。いしいファンには「あっ! このキャラクター、あの作品に出てた!」というのを発見(?)するのも、いしいワールドの楽しみかただと思います。
この本でもお馴染みの脇役キャラクターが登場して、難解な思想家を時に煙に巻き、時に常識の視線(?)を向けて“遭難している(?)思想家”を浮かび上がらせています。あるいは“遭難しそうな読者”にユーモアで道を指し示しているのかもしれません。。
ではこの本に登場する主役たちはというと、
1.超えゆく思想家たち:ハイデガー、フッサール、ウィトゲンシュタイン、など8人
2.疾駆する思想家たち:レヴィ=ストロース、アルチュセール、バルト、など8人
3.彷徨いゆく思想家たち:バタイユ、ジンメル、ベンヤミン、など9人
4.一人ゆく思想家たち:ホワイトヘッド、バフチン、バシュラール、など9人
5.現代思想の二重遭難者たち:マルクス、フロイト、ニーチェ、フーコーなど、14人
現代思想を語る上で欠かすことができない哲学者・思想家が登場し、4コマ狭しと縦横に暴れ(!?)まくります。
「強い者はより強く! 弱い者はより弱く! 偉大なる弱者、光り輝くろくでなし」と大岩の上で叫んだニーチェが独りごちます。「などと言うから誤解されるのかオレは」と。
ヒトラーとの関係を問われたハイデガーはこう答えます。
「制服がかっこよかったんだ」
なぜか大阪弁を話すウィトゲンシュタインは生徒の前でこうつぶやき(ぼやき?)ます。
「ヘタな考え休むに似たり。哲学なんかやめときなはれ、だな。『論考』とは」
己の頭部について思想した(?)フーコーはこう主張します。
「スキンへレッドにすることで私の『ハゲ』は消滅し、権力からの自由な主体を形成できると考えたわけです」(でも「そりゃ気にしすぎだよ」と返されてしまいますが)
“差延”を生徒に問われてあるサジェスチョンをしたデリダがこうつぶやきます。
「こんなはぐらかすような教え方でいいのかな」(どんなサジェスチョンだったかは本で探してください)
どの言葉も彼らのことを知っている人なら、笑いながら「さもありなん」とうなずくのではないでしょうか。
この本は思想家たちの言説をもとにした笑いだけではありません。登場する主人公たちを知っていなくても十分楽しめます。それはいしいさんが主人公たちをキャラクター化するにあたって、彼らの言説以上に肉体化した彼らを掴んでキャラクター化したからです。
ウィトゲンシュタインにひがんだ目をしてしまうラッセル、誰であれ果敢に論戦をいどむハーバーマス、ハンナ・アーレントをついつい口説いてしまうハイデガー、思いつきをいっているのではないかと周囲に思われているバタイユ、協会勤めのカフカなど、彼らの言説以上に彼らの思考、個性、気持ちを表現しているものとして“肉体”を描いています。
作中でいしい先生に著書が売れているという朗報(!)が入ります。どうやら……、
「哲学はわからんものだという先入観があって、わからん本ほどよく売れるんです」
という特有な事情に乗ったようなのです。事の真偽、原因を考えるいしい先生にその理由が判明します。ここから先はオチなので現物を手にとってご覧ください。
タフで柔軟ないしいさんの魅力を感じることでしょう。
この本は現代思想の入門書であるかもしれませんが、それ以上に“現代の入門書”のように思えます。笑ううちに迷路のような“現代”に生きている自分たちのことに気づかせてくれるからです。実に愉快・難解な(?)名著です。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。
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