田河水泡さんは野良犬のクロが大活躍する昭和を代表する漫画『のらくろシリーズ』の作者です。『のらくろシリーズ」は昭和6年に雑誌「少年倶楽部」で連載が始まり、太平洋戦争中には内務省より不謹慎との批判が出てやむなく中断。戦後、再び装いを変えて登場し昭和56年まで発表されていました。
“滑稽漫画”を書き続けた田川さんでしたが、もともとは「滑稽を表現する仕事に携わる人にとって、知識的な教養などは二義的なもの」であり、「素質」があるかどうかが肝心だと思っていたそうです。けれど長い漫画家生活を送る中で「滑稽とはなんなのか、基礎的な教養として」知っておきたいと思い返し、研究を始めたのです。
研究を始めてすぐにぶつかったのは“滑稽”というものに対する学者の無理解(?)でした。美学ではこういわれていたそうです。「滑稽は美的範疇に属する概念の一種であるが、滑稽には美的価値はない」と。美学者に価値はないと決めつけられた“滑稽”ですが軽んじたのは美学者だけではありません。論理学者にもまた「滑稽は論理の誤謬であり、誤謬は虚偽である、虚偽には論理的価値はない」といわれたそうです。
けんもほろろのいわれようにも「ギャフン」とならず、独力で“滑稽”の魅力を追求することを決心しました。そしてその研究の成果として発表されたのがこの本です。
この本は“滑稽”について美学、修辞学から説き起こした「理論編」と日本の芸能、文芸、絵画に現れた“滑稽”を追求した「資料編」の2部構成となっています。
美学では「滑稽とは有害ならざる醜である」という定義をしたアリストテレスから始まってアウグスティヌス、カント、レッシング、ベルクソン(この本ではベルグソン)、デアソールまで15人の哲学者、文学者たちの“滑稽論”を取り上げています。といっても難しい論述が続いているわけではありません。田河さんだけでなく、やなせたかしさん、長谷川町子さん、森田拳次さん、芝岡友衛さんたちの作品を使って縦横に絵解きしています。
この絵解きの手法は「理論編」に一貫して使われており、晦渋な「美的範疇」や「修辞学による滑稽」「笑い」の各章を解説を、楽しくわかりやすくしてます。とりわけこの手法が生きているのが「修辞学による滑稽」の章です。直喩、暗喩、擬人法、風喩(諷刺のこと)はよく知られつかみやすいですが、活喩、引喩、張喩などの解説には実作にまさるものはありません。田河さんだからできたのでしょう。実作例としての選択眼もすばらしい。
そして「資料編」。資料編といっても参考文献等が集められているわけではありません。「芸能」「文芸」「絵画」と分類された各章は「理論編」を踏まえて綴られた“滑稽”という視点・題材からみた日本文化史とでもいうとても読みごたえのあるものです。この本の半分以上を占めているここにこそ田河さんの研究の成果があらわれているように思います。
「芸能」で取り上げられたのは奈良時代の「散楽」に始まり「田楽」「能」「狂言」から「万歳」「落語」までの流れを綴り、「文芸」では『万葉集』から「連歌」「俳諧」「川柳」「狂歌」「仮名草子」「滑稽本」などを、さらに「絵画」では「法隆寺のらくがき」「正倉院」「唐招提寺」の戯画、もちろん「鳥獣戯画」「絵巻」、民衆画と田河さんが呼んでいる「大津絵」「浮世絵」や「北斎漫画」を取り上げ、その魅力に迫っています。
また「笑いは社会的」という視点もあってでしょうか、中国渡来の「散楽」という輸入文化が教えてくれた「滑稽芸能」、戦国時代には衰えた「滑稽の世界」、江戸時代に花開いた町人文化、それぞれの時代での受け入れられかたもビビッドに記述されています。
もちろん文化史をいろどる大きな足跡を残した人々、「芸能」の世阿弥、曾呂利新左衛門、立川焉馬ら、「文芸」の山崎宗鑑、柄井川柳、風来山人、四方赤良ら、「絵画」の鳥羽僧正、菱川師宣、葛飾北斎、河鍋暁斎らの総勢40名以上に及ぶ痛快な人物論もこの名著を楽しめる豊かなものとしています。
ところで水野忠邦、鳥居耀蔵が主導した「天保大改革」に触れてこのような1節が記されています。奢侈禁止令で取り壊された江戸の寄席(75軒の寄席を15軒に減らした!)でしたが、
──忠邦の酷(きび)しい改革は民衆の不評を買い、かえって経済を混乱させる結果になったりしたので、禁令の出た翌年に忠邦が罷免されると、取締りは緩和され、続いて弘化二年(一八四五)水野忠邦は失政のかどにより減封のうえ蟄居(ちっきょ)を命じられたから、さあもう怖いものなし、寄席営業も許可されたので、弘化元年にはたちまち六十軒に増え、翌二年にはなんと七百軒に及んだそうです。──
このあたりには戦時下の弾圧(休筆を迫られた)、と戦後の解放された日本の姿が二重写しになっているように思えるのですが。
──価値が有ろうが無かろうが、私にとって滑稽は生活を支える飯の種ですから、学者の先生と一緒になって、滑稽とは価値のないものくだらないものだとなどと言っているわけにはいきません。学問的に無価値といわれても、滑稽は人々を楽しませ、社会を明るくし、人間の生活にうるおいを与える潤滑油の働きをしているので、その効用は高く評価されていることは周知のことです。──
“滑稽”“笑い”というものを追ったこの本を田河さんが出版したのは88歳のときでした。その2年後、田河さんはお亡くなりになりました。生涯“滑稽”を描き続けた田河さんのこの1冊は田河さんの総決算だったのかもしれません。田河さんの情熱あふれるこの本は“滑稽”“ユーモア”“笑い”に関心のある人には必読の快著です。そして「健康のためにも滑稽を愛好し、陽気に笑って、明るい人生を楽しむように心がけたいと思います」という田河さんの言葉を忘れずにいたいと思います。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。
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