著者はヘヴィメタルの専門誌『BURRN!』の編集長。ヘヴィメタルというと何かと馬鹿にする風潮があるが(私も含めて)、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのインタビューを日本ではじめて掲載したのは『BURRN!』だったことをここに記しておく。『BURRN!』は数ある音楽誌の中でも、新しいものへの対応力をもっとも強く備えた雑誌のひとつなのだ。馬鹿にしちゃいけねえ。
落語には、「こうでなくてはならぬ、ああでなくてはならぬ」と語るうるさ型がとても多い。伝統芸能の側面があるからだろう。したがって、こういう本を出すのはとても勇気がいる。しかし、著者はまったく門外漢ながら(なにしろ本職は『BURRN!』だ)、落語の著書は数多い。一目おいている人も少なくない。
なぜそれが可能かといえば、なによりナマの落語に接している数が尋常じゃないからだ。著者はおそらく、日本でもっとも足しげく寄席や落語会に足を運んでいるひとりだろう。その経験、ならびに知識量に、誰もが敬意を表さずにはいられないのだ。
さらに、どんなうるさ型であっても、心の底では「落語には新しい血がなくてはならない」と感じていることも大きい。言葉をかえれば落語を取り巻く環境が閉鎖的でないこと、フレキシビリティがあることが、彼を一級の落語評論家とした。
本書は人間国宝であり、当代きっての名人である柳家小三治への二度のインタビューと、彼の演目紹介から成り立っている。インタビュー記事をふくめ、文章がとてもいい。たくさんある小三治のソフト(CDやDVD)のみごとなバイヤーズ・ガイドにもなっている。
さて、柳家小三治である。
本書では、過去のソフトウェアを紹介しつつ、「今の小三治がいちばん面白い」と幾度となく語られている。本書執筆時はそうだったんだろう。だが、果たして今でもそう言えるのかどうか。正直、疑問に思っている。
小三治は今年、76歳になる。体調の悪さは数年前から語られていたが、おそらくそこに年齢が加わって、さらに悪くなっていると思われる。ある高座では、「今日はこれでおしまい!」と言って噺の途中で高座を降りた。自分に厳しい彼が途中でやめるなんて、よほど悪かったんだろう。
えーとかうーとか、間投詞が多くなった。つっかえることも増えた。明らかに記憶力の減退によるもので、果たしてこれで「今の小三治がいちばん面白い」と言えるのだろうか。
しかし、彼の落語会は常に満員である。私も首都圏で行われるものは可能なかぎり足を運ぼうと思っている。こんな、噺を途中でやめちゃうような老人を、みんなが見に来ているのだ。なんで?
老いた人間がつかむものを知りたいのだと思う。
前述のように、今の小三治は必ずしもその若き日を上回っているとはいえない。しかし、老いたからこそ、経験を積んだからこそ、演じられるものもあるのではないか。さらに、彼の身を挺(てい)した孤独な戦いに、心から拍手を贈りたいからではないか。老いは等しく誰にも訪れる。敵の強大さを、誰もが実感しているのだ。
本書において、小三治はこう語っている。師匠である五代目小さんが死の間際に演じた『粗忽長屋』は素晴らしかった。人によっては、それを物足りなく思うかもしれない。だが、自分にはその素晴らしさがよくわかった。自分もその境地に至りたいんだ。
小三治は、老境の小さんが達した境地に至るために、今日も高座にあがる。
そんな小三治の祈りにも似た思いを知ることができるのも、本書のおかげである。
レビュアー
早稲田大学卒。書籍編集者として100冊以上の本を企画・編集(うち半分を執筆)。日本に本格的なIT教育を普及させるため、国内ではじめての小中学生向けプログラミング学習機関「TENTO」を設立。TENTO名義で『12歳からはじめるHTML5とCSS3』(ラトルズ)を、個人名義で講談社ブルーバックス『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの?』を出版。「IT知識は万人が持つべき基礎素養」が持論。2013年より身体障害者になった。