えー、まくらともうしますと、あれですね、夜んなると頭の下に敷くやつ。あれは高いほうがいいんでしょうかね、それとも低いほうがいいんでしょうか。なんかの本で読んだんですが、タオルを重ねたくらいのほうがいいっていう話がありました。なるほどって思ってやってみたんですが、こう天井がいきなり向こうっかわに行っちゃいまして、ついつい、おーい、どこ行くんだいって言ったりしましてね。これで天井が返事なんかしたら独り寝でも楽しい夜なんでしょうが。そのうち、なんか頭ん中に血がぐぐっと流れ込んじゃったみたいな気までして、かえって眠れなくなっちゃたりして。いくんちかすると平気になりした。人間慣れが肝心。
でもね、よーく考えて見れば、タオル重ねたくらいのもんじゃだめだった頃ありましたね、ちょっと前、東京が江戸って呼ばれてた頃、つい先日ですけど。
江戸時代のこと考えたら枕、低いとまずいでしょ。髷がひしゃげちゃう。そういや時代劇のまくらって横から見るてえとこけしを重ねたみたいになってますね。あれっくらいないとたしかに髷が壊れちゃう。上向いて寝るんでしょうか、それとも横向いて寝るんでしょうか……んでも、あれじゃ肩、首、凝りませんか。寝返りもうてやしねえなんて心配になるんですが……といっても眠れなくほどじゃありませんが。
まくらがつく言葉ってえと歌枕なんてしゃれたもんがあります。名所旧跡が詠まれてますね。
「さざ浪や 志賀の都は あれにしを 昔ながらの 山ざくらかな」
「駒とめて 袖うちはらふ かげもなし 佐野の渡りの 雪の夕暮」
なんて風情がこう匂ってくる。匂ってくるといえばホントに匂う枕がありました。香枕っていうそうでといっても頭の匂いがするわけじゃありません。別名伽羅枕、なにやら枕ん中でお香を焚くそうで、部屋のムード作りっていやあ聞こえはいいですが、やっぱり風呂あんまりはいってないころですから、匂い消しだったんじゃないでしょうか。夏なんか蚊取り線香を焚いて一石二鳥……ってなことはなかったでしょうな。
そんなわけで、ってどんなわけか知りませんが、ムード、本番を作る前仕事に枕ってものがあったんでしょう。
このまくら、落語にもありまして、今時わからなくなったモンや見かけなくなったモン、例えば長屋、そいつにもれなく付いてくる大家と店子みたいなモン。これいきなり話されたって今時の若い人はピンとこない、これも古いか……。
まあ、そんなように噺に入りやすくするものが落語の世界の「まくら」ってやつです。
前菜みたいな、お通しみたいなモンでしょうか。
でもねバカにしちゃいけません。この「まくら」を芸に仕立てちゃった師匠がいるんです、ホント。
誰かって? この本書いたっていうかしゃべっちゃった柳家小三治師匠。
これがすごい!
どうすごいかっていうと
ある日の独演会で俳句をまくらにしたと思って下さいませ。ってえと師匠、おもむろに
「エー、俳句の話はこれくらいで。そろそろ落語に入ると思うでしょ?
そうはいきませんよ(笑)。
あたしね、落語やるのそんなに楽しみじゃないんです、ほんと言って(笑)。
落語なんかどこでもやってんですから。ほかじゃやならいような話をここでさせてもらうってぇのが今やたのしみでね。
初めて来た人は、悪いとこへひっかかっちゃったと思ってあきらめてください(笑)。」
独演会ですよ。落語聴きにきたんですよ、客は。もっともこの後、ちゃんと噺をされた、って当たり前ですが、なにしろ落語の独演会なんですから。
まくらの小三治の異名って、これ褒め言葉ですよ一応、噺より面白いってことは決してない……はずだと思うんですが……。
んで、師匠どんなことをまくらにしているかってえと、外国旅行、戦時・戦後の貧乏時代バイクなんかといろとりどり。あるときには高座にラジカセやCD、おまけにカッターまで持ち出して、いろいろ実演しながら、まくら、やったそうです。しかも1時間。そっから本題の噺したっていうから、お客さんも大変。でも2度おいしい独演会だったそうです。
この本は、まくらの小三治の真骨頂があふれてる。高いまくらや低いまくらがつまってる。
しかも少しも眠くならない、枕としてはもってのほかのまくらがつまってます。まずはご賞味くださいませ。おかわりの続編『もひとつ ま・く・ら』『バ・イ・ク』もごひいきに。おあとがよろしいようで……。
レビュアー
編集者とデザイナーによる覆面書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。