ハーバード大学のマイケル・サンデルさんの「ハーバード白熱教室」の解説者としても知られる「対話」の第一人者小林さんの「対話の技術(アート)」の実践書です。
小林さんは「対話型講義」のリーダーとして、実践的な哲学を展開される方として、またコミュニタリアニズムの研究者としても知られいます。ちなみにコミュニタリアニズムとは「現代の政治思想の一つ。リベラリズムやリバタリアニズムが個人を優先するのに対し、歴史的に形成されてきた共同体の伝統の中でこそ個人は人間として完成され、生きていけるとする」(『大辞林 第三版』より)というものです。
共同体を重んじるとはいっても、共同体のためならば個人の自由や権利を犠牲にして隷属させても全く構わないというような全体主義・国家主義の主張ではありません。「対話力」を重要視し、「対話型講義」を続けている小林さんが、そのような閉じた国家主義のようになるはずはありません。
この本の優れたところは対話の実践法を詳細なケースの中で教えてくれているところにあります。恋愛(!)、親子、就職、転職、学校という場で私たちはどのような対話をすればよいのか。また対話が必要な職業のジャーナリスト、アナウンサー、医師たちはどのように対話をしているのかを、それらさまざまな立場・状況での、具体的なやりとりがこの本では描かれています。まるで小林さんの「対話型講義」に出席しているようです。
それらの具体例が小林さんの「対話の哲学」に立脚しているところがこの本に深みを与えています。最終章では「知恵を探究するために対話法」を使ったソクラテスからガダマー、ハーバーマス、さらにサンデル、ブーバーたちがどのように「対話」を重視していたのかを、彼らの人物像とともに語られています。
「対話」が重要なのは誰もが分かっていることだと思います。けれどいまだに日本は対話未発達国・ニッポンのままです。なぜでしょうか。もっとも大きな原因は「聴く力」を持っていないことにあります。
「対話」は「会話」や「ディベート」ととは全く異なるものです。私たちが普段交わしている「会話」を考え直してみます。「複数の人が互いに話す」(『デジタル大辞典』)という会話では「円滑な人間関係を作ったり保つ」ことが大事なため、意見の相違を「敢えて議論しない」ということが起こりがちです。
──会話においては、それぞれの異なった考え方がつきあわされて相互に深まることはなく、各自が異なった考え方を持ったままで人間関係を続けていくのです。(略)これに対して「対話」においては、おたがいの考え方の相違を回避せずに、それについて正面から話しあい、おたがいの考えを深めることを目的にしています。──
相手と向かいあうのが「対話」です。言葉を交わすお互いが相手の考え方を「高めて、深めて、能力や人格を発展させる可能性」を持っているものが「対話」です。
では同じように、相手と向かいあう「ディベート」とはどこが異なるのでしょうか。すぐ分かるように「ディベート」には競技的な勝負という側面があります。
──あるテーマについて賛否2つのグループに分かれて討論を行い、その勝ち負けを決めます。この場合は勝負が目的になりますから、論理や話法はそのために磨かれます。けれども、相手に勝つことが目的になってしまいますから、議論の結果として、自分自身の思考が深まるとは限らないのです。──
分かりやすくいえば、自分の主張、立場の優位性・正当性を相手に対して争うということです。自分の主張を取り下げ、意見を変えることは「負け」を認めるということになります。
しかし議論を通じて自分の意見を変えることは決して間違っているわけではありません。「一見、議論に負けているように見えても、実は自分にとっては素晴らしいこと」なのかもしれません。ここにディベートと対話の違いがあらわれています。
対話と会話やディベートとの最大の違いは「振り返る力」というものにあります。
──対話の「振り返り」とは、思考して対話した自分を、後から見て考えるということです。(略)対話の振り返りは、自分の思考や発言を外から。いわば客観的に見て考え直すことを意味しています。──
“省察”というものの重要性を指摘している部分です。
そしてこの“省察”は「道徳的には『反省』に相当」するものです。
──「振り返り」や「反省」は、自分が悪いから行うというものでは必ずしもなく、さらに自分の考え方を深め、発展させていくために必要なのです。──
「振り返り」は私たちに今の自分の限界を教えてくれているのです。そのことを知り・感じ、また「反省」することによって相手との対話関係を見直したり、自分の考えを「深める」第一歩となるのです。
自分の思考を深める「対話」を行うためには欠かせない4つの基本姿勢があります。
・友愛の精神で、真心を込め、誠実に、礼節を持って話すこと。
・相手の世界や意識にチューニングして話すこと。
・相手の反応を見ながら、応答的に話すこと。
・適切な言葉とタイミングで、真実を話すこと。
これらはまた、コミュニタリアニズムの精神そのものでもあります。
対話は「異なった考え方を持つ人びと」との相互理解をどこまでも深めるものです。
──深い対話によっても考え方は必ずしも一致しないことが多いと私も思いますし、無理に見解の一致を求めるべきではないと思います。しかし、それでもおたがいの理解を求めて対話を行うことによって、双方の考え方は深化し発展するので、そのような可能性をできる限り私的にも公共的にも追求すべきだ、と思うのです。──
「聴く力」「考える力」「話す力」そして「振り返る力」、これらを通じて身につけた「対話力」は私たちの可能性を広げていくと思います。
──対話力は、みなさんの人生を深く、高く、そして豊かにします。そのための「対話術=対話芸術」は、人生を幸福にする秘訣であり、人生の最大のアート(芸術)のひとつでもあります。──
自分の可能性を高める上でも「対話力」の重要性に気づかせてくれる1冊です。と同時に読むとなにか元気を与えてくれるものです。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。
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