日本の医療の現状はどの先進国の中でどのようなレベルにあるのかをとても丁寧に比較分析したのがこの本です。
日本と比べたのはアメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スウェーデンの5ヵ国。国情、文化の違いや医療技術の差はあっても医療制度というものは次の3つに分けられます。
1.高自己負担・高医療型:高額の医療費を覚悟すれば高度な医療を受けることができる。アメリカなど。
2.低自己負担・低医療型:あまり高度な医療は期待できないが、窓口費用はほとんどかからない。イギリス、北欧など。
3.中自己負担・中医療型:ほどほどの費用で一定レベルの医療が受けられる。日本、ドイツ、フランスなど。
なんとなく中庸な(?)日本は、平均的に考えれば悪くないのではないかと思えます。実際アメリカで働いている人が、医療は日本でかかりたいというように、アメリカの医療費が高額なのはよく知られていると思います。
真野さんはそのような印象比較だけでなく、医療を支える6つの柱である、医療レベル、医療の身近さ、投薬治療の状況、医療費、病院の環境、高齢化対策について比較しています。その結果が日本の10勝5敗3分けというものでした。その内容を見てみると、
勝った指標:がん手術の技量・看護師のサービス(以上、医療レベル)、国民皆保険制度・かかりつけ医の充実(以上、医療の身近さ)、公平性(以上、医療費)、病院の数・病院の設備(以上、病院の環境)、介護保険制度・在宅医療の充実・地域包括ケアシステム(以上、高齢化対策)
負けた指標:最先端医療への取り組み(医療のレベル)、医師の数(医療の身近さ)、処方される薬の量(投薬治療の状況)、国民医療費の総額(医療費)病院の規模(病院の環境)
引き分けの指標:薬の値段・最新の薬への対応(投薬治療の状況)、個人負担額の割合(医療費)
日本にこの好成績(?)をもたらせた勝利の最大の要因は“扶助精神”というものです。
──日本の医療制度は国民皆保険に象徴されるように、末端まで漏れなくカバーしようとする扶助精神が強いのですが、近年、これを他国が見習おうとする動きも出ています。日本の「母子健康手帳」が海外で注目され、導入する国が増えているのはその表れでしょう。──
この皆保険は日本で「医師にかかるハードル」を低くしている要因となっています。アメリカが医療費が高額な医療費のためハードルが高くなっているのは自明でしょう。ですが、医療自費自己負担がゼロに近く「ほとんど税金で行われている」イギリスや北欧のほうはどうでしょうか。日本よりさらにハードルが低いように思えるのですが。
ところがそうではありません。日本では患者はすぐに医師の診断を受けることができますが、イギリス、北欧ではそうなってはいないようです。症状を訴えた患者はまず薬局で薬を処方されます。
──まずは各自で買い薬を試すことから初めてもらい、それでダメなら看護師に、それでも改善しないときはかかりつけ医へ、というように医師の受診のハードルをなるべく高くしているのです。──
医師へかかるまでの「距離」が遠くなっているのです。
その一方で、真野さんによるとこの日本の3割負担が思わぬことを引き起こしているそうです。処方される薬の量が多いという日本の負け(欠点)を作っているのではないかと。
──病院に行った以上、薬を出してもらわないと物足りない。いつのまにか日本人はそういう感覚になっていますが、これは海外ではかなりおかしいことだと言わざるをえません。日本人がこうなったのも医療機関がたくさん薬を出すせいですが、もうひとつ医療費の3割負担も無関係ではないと思います。3割とはいえ自分で負担するのだから、病院に行って帰ってこられるかと、そういう部分も少なからずあるはずです。イギリスなどのように、基本的に窓口で支払う医療費がゼロなら、薬をもらわないと損だという感覚にはなりにくい。──
自己負担するのならしっかりと診療して、安心できるように薬を処方して欲しいということなのでしょうか。
真野さんの採点で圧倒的といってもいい日本の医療の優位性が示されました。ではこれで私たちは安心していていいのでしょうか? 残念ながらそうではありません。
──今後、医療費の高額化にともなって皆保険制度が形骸化していく危険性はあると思います。(略)70歳以上の医療費負担を引き上げるという厚生労働省の方針が明らかにされました。このままで国民の医療費負担が増大していけば、高度な医療を安く受け入れられるという日本の「勝ち」の部分が浸食されていくことになりかねません。──
それだけではありません。日本医療制度へのアメリカ企業の進出という問題もあります。
すでに医療革新拠点ではアメリカ型の医療が行われています。病院の株式会社経営や医療の自由化、混合診療解禁など総合的な規制撤廃地区となっています。いままで先進医療等では実施されていた混合診療は適用の範囲が拡大する方向で進んでいます。高額な最先端医療・薬学の導入によってアメリカ型医療が増えていく可能性は大いにあるのです。
日本の今の10勝が今後も維持されるとは限らないのです。その時、日本人の“扶助精神”というもの、また真野さんが指摘した医師の根底に窺える「医師道」というものの真価が問われることになるのかもしれません。
医療において自分たちの持っている重要な価値を知り、それを手放さないためにじっくり読んで欲しいと思います。よりよい医療制度をどのように設計し、作り上げていくべきか考える上でも重要な分析が詰まっている1冊です。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。
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