児童向け推理小説のリビング・レジェンド、はやみねかおるさんの長編ミステリーです。はやみねさん曰く本書の執筆は「久々の、大人向け媒体での仕事」であり、「ここまで細かい粗筋を書くのは、二十六年間の作家生活で初めて」だそうです。そのため、たくさんの修正作業も伴ったそうですが、さて、どんなお話なのでしょうか?
主人公の森永美月が働くディリュージョン社は、物語を現実世界で体験できる「メタブック」を提供している会社。メタブックとは「体験型のアトラクション施設やヴァーチャルリアリティゲームを、より大がかりにして現実的にしたもの」であり、たとえば顧客(リーダー)が持ち込んだ小説のストーリーを現実世界で体験できるようにしたのが、メタブックです。
ディリュージョン社の社員の大半が「エディター」と呼ばれる職種の人々で構成され、顧客と打ち合わせを綿密に行いながら、「物語を具現化するために、全身全霊で」取り組んでいる。顧客以外の登場人物たちを演じる役者を「アクター」。その演技指導に当たるのが「ブックディレクター」で、物語を現実世界で体験できるメタブックを完成させるためには、このように大勢のスタッフとお金が必要不可欠です。それだけ大がかりな仕事ですから、エディターには当然、素人ではなく小説などの物語に精通した人物が望ましい。
ところが、主人公の美月はまったく本を読みません。本ばかりでなく空気もさっぱり読まないので、本書の雰囲気は常に明るく朗らかなコメディタッチ。意外に口が達者で、ときどき鋭い知性の閃きを垣間見せる美月の、とことん天然なところが可愛くて、面白い。
そんな美月がディリュージョン社で就職の面接を行うシーンから本書はスタートします。そもそも本を読まない美月が、本の世界を現実化させる会社に受かろうなんて、どだい無理なチャレンジですが、「ああいう、本をろくに読んでない者も、これからは採用する必要がある」との理由で、まさかの内定ゲット。しかし、仕事でさっそく始末書レベルのミスをして、「本格ミステリー」を扱うM0課に左遷されることに。
本格ミステリーとは本書の言葉を借りるなら「謎解きを中心に書かれた推理小説」のことであり、「不思議な謎を論理的に解く──これを物語の中心に据えて書かれたものこそが、本格ミステリー」。美月はその本格ミステリーを扱うM0課で、歳は若いものの凄腕のライター・手塚和志とともに、元大学教授の老紳士で常連客の佐々木賢一が依頼する「オプションリーディング」を担当します。
オプションリーディングとは、「既存の物語を指定せず、『こんな物語を体験したい』というアバウトな依頼をする」顧客のために、ディリュージョン社が提供するオリジナルのメタブックのこと。今回、佐々木に用意されたオプションリーディングは、彼の別荘を舞台にした「閉ざされた山荘もの」でした。探偵役に佐々木を据え、山荘では不可能犯罪が演出される。そのための準備もばっちり──だったのですが、いざオプションリーディングが始まってみると、予定外かつ不可解な出来事の連続です。しかも、そのどれもがたんなる仕事上のアクシデントではすまされないものばかり。
業界内のライバルが妨害工作を仕掛け、オプションリーディングを失敗させることで、ディリュージョン社の信頼と名誉を失墜させようとしている。そう推理する美月と手塚。けれども、想定外の出来事はそれだけではありません。
「永遠の恋人」を名乗る人物からの、謎の手紙。オプションリーディングの最中に起こる事故(?)。山荘とその周辺に張り巡らされた危険な罠の数々は、ライバル社の嫌がらせにしてはやりすぎです。明らかな殺意を感じる。
誰かがメタブックを利用して、本当に殺人を企てているのでしょうか。だとすれば、犯人は誰なのか。
物語の序盤は、架空の職業を題材にしたお仕事小説的なノリと、美月の明るい天然ぶりでストーリーに誘引する。簡潔な文章は終始テンポがよく、ユーモアたっぷりの飽きさせない展開の妙と、最後にはしっかり本格ミステリーで終える手際のよさは、さすが、はやみね先生といったところです。
ちなみに、主人公の美月は、実は、はやみねさんの別作品にも登場するキャラクターなのですが、このことは本書の「あとがき」でも先生自ら少しだけ言及されています(どの作品に登場するのかは秘密のまま)。美月の正体に気づいてニヤリとした方、わからなかった方も、本書に満足された方は、ぜひ既刊のはやみね作品を手に取って、美月が出てくる作品を探してみてください。そういう楽しみも与えてくれる作品だと思います。
『ディリュージョン社の提供でお送りします』、おすすめの1冊です。
レビュアー
1983年夏生まれ。小説家志望。レビュアー。ブログでもときどき書評など書いています。現在、文筆の活動範囲を広げようかと思案中。テレビ観戦がメインですが、サッカーが好き。愛するクラブはマンチェスター・ユナイテッド。