連作短編の推理小説です。著者は、1999年に『銀の檻を溶かして 薬屋探偵妖綺譚』で第11回メフィスト賞を受賞してデビューした高里椎奈(たかさと・しいな)さん。
『雰囲気探偵 鬼鶫航』とタイトルにある通り、本書で最も興味深い人物は、探偵の鬼鶫航(きのつぐみ・わたる)。「おにつぐみ」ではなく、「きのつぐみ」です。
場所は、横須賀の街の一角。古びたビルの2階に、鬼鶫探偵事務所はあります。本書を読む限り、職員は、探偵の鬼鶫、経理の佐々稀一、事務担当の須永さんという女性の、計3名のみ。
この3人のうち、経理担当の佐々がワトソン役を務めます。他にも、ベテラン刑事の丸古、ライバルの探偵、日置潤など、個性的なキャラクターたちが登場する本書は、プロット的にはオーソドックスな謎解きミステリ。20代で、オーダーメイドの三つ揃いのスーツを完璧に着こなす鬼鶫の風貌たるや、360度、どこからどう眺め回しても名探偵そのものです。……見た目だけなら、そう、確かに名探偵なのですが、ひとつだけ、絶対に無視できない重大な問題が。
実は、鬼鶫は、寸毫たりとも推理をしません。謎解きがメインの推理小説なのに。肩書きが探偵なのに。全然、ちっとも、推理を、しない。
考え深そうに窓際に立ち、いかにも名探偵が口にしそうな、もったいぶったことは言います。でも、それだけです。彼が名探偵なのは、その風貌からかもし出される抜群の名探偵然とした雰囲気だけ。だから『雰囲気探偵』。表題に偽りなし。
じゃあ、鬼鶫は探偵のくせして推理もせず、作中、何をしているのか。本当に何もしないのであれば、雰囲気探偵あらため穀潰し探偵だというのに……。鬼鶫は、穀潰しなのか?
いやいや、幸い、そうではありませんでした。彼は確かに、推理らしい推理はしないけれど、事件の関係者の隠された本音であったり、感情の機微を鋭く読み取る能力には長けている。そして鬼鶫は、実はものすごーく優しい。「雰囲気探偵」というキャラ設定は、ほぼ間違いなくギャグだとしても、人の気持ちを忖度し、相手にとって最良の選択肢を選んであげることができる鬼鶫の優しさが、彼と本書をたんなるギャグや喜劇に矮小化されることを防いでいるのです。
──推理をせずに、事件を解決してしまった──
──見て分かった──
──聞いて知った──
──それだけだ──
──だが、事件は解決した。依頼人どころか、犯人にまで感謝されて──
本書には放火に詐欺、密室殺人まで出てくるのですが、推理はやっぱり鬼鶫とは別の人が担当します。鬼鶫は雰囲気だけ。本当に、最初から最後まで雰囲気だけです。それでも彼は、確かに「名探偵」だった。
緻密な推理で謎を解くことができても、悩める人たちの心まで救えるとはかぎらない。鬼鶫は、彼が立ち会ったその状況下において、可能なかぎり人の心は救っていました。エレガントな推理を披露できる人物が名探偵なのは論をまちませんが、鬼鶫のような探偵もまた、名探偵と呼ぶにふさわしいはずです。『雰囲気探偵 鬼鶫航』。オーソドックスな謎解き小説でありながら、とても個性的な1冊でした。
レビュアー
1983年夏生まれ。小説家志望。レビュアー。ブログでもときどき書評など書いています。現在、文筆の活動範囲を広げようかと思案中。テレビ観戦がメインですが、サッカーが好き。愛するクラブはマンチェスター・ユナイテッド。