正史の隠された歴史の闇を探る! 教科書では教えてくれない真実。
《第1回 「なぜ神輿に水をまくのか?」編》
日本の歴史や風習には数々の面白い謎がたくさん隠されています。なぜお祭りのとき、神輿に水をまくのか? 豆まきで追い払っている鬼とは誰なのか? 神社などにある禁足地とはどんな場所なのか? 歴史ミステリーの名手高田崇史さんと、よく考えると不思議な風習や事柄を辿ります。
高田崇史(たかだ・たかふみ)
昭和33年東京都生まれ。明治薬科大学卒。『QED百人一首の呪』(講談社ノベルス)で、第9回メフィスト賞を受賞しデビュー。著作に「QED」シリーズ、「カンナ」シリーズ、「鬼神伝」シリーズ(2011年アニメ映画化)、『軍神の血脈 楠木正成秘伝』などがある。
【2017年4月20日】高田崇史さんトーク&サイン会《怨霊の国・日本を歩く》開催!
なぜ神輿に水をまくの?
我々が「塩をまく」「水をまく」のは穢(けが)れを祓うためです。
お相撲さんの土俵入りもそうですね。お葬式の帰りに、玄関先で自分の身体に塩をまくのは、自分の身にまとわりついてしまったであろう、死怨(しおん)、穢(え)を、家の中に入れないようにその場で落とすためです。
それから、昔はお店で嫌なお客さんが帰ったときに「そのあたりに水まいとけ!」と言って、本当に水を撒いていました。
また「冷や水を浴びせる」というのは「意気込んでいる人に、傍らから元気を失わせるような言動をする」という意味です。
しかし神輿には、自分たちの祖先、もしくは地主神(じしゅしん)など村の守り神が飾られています。
どうして我々はその神輿に向かってそんなことをするのでしょうか? 神輿や神々というのは、それほどまでに、穢れているというのでしょうか? では何故それをみんなで担いでいるのでしょう?
これは非常に深い意味を持っています。
「担ぐ」という言葉は広辞苑にはこう書かれています。
「肩にかけて担う、まつり上げる・推し立てる、身に引き受ける、欺く・だます、縁起を気にする」
問題は、「まつり上げる」ということと、「だます」、ということですね。まさに、神輿にのられた神々はこの状態にされてしまってるのではないでしょうか?
ある作家の方が言いました。「あの担ぎ方は今も伝えられているがよく見ると、ワッショイワッショイと掛け声だけ勇ましく、担いだ人間の足は足踏みだ」
果たしてこれが、神聖であるはずの神に対する態度なのでしょうか? これも非常に深い意味が隠されていると思います。
こんな話題に興味がある人はぜひ「神の時空」シリーズをご一読ください!
次回(4月20日)は、「豆まきは変?」編と「禁足地ってどういう場所?」編、2作一挙アップです!
お楽しみに!