日本の神話がどのように時代によって変容され受け入れられてきたのかを追った極めて興味深い本です。
冒頭、思いがけない事実に出会います。私たちがふつう神話の宝庫と考えられいる『古事記』が近世以後に重要視されたということ、いわば“発見”されたということです。実は『古事記』が発見されるまでは中国の正史『漢書』『後漢書』を手本として作られた『日本書紀』が日本の神話世界においても大きな位置を占めていたのです。
──『日本書紀』の編纂は、天武朝以降、日本が律令制国家を形成していく、その事業の一貫としてあったことだ。『日本書紀』とは、「帝国」中国と肩を並べる帝王・天武までの神話・歴史を語る書物であった。だから中国からもたらされた律令を基盤とした、国際的な国家としての「正史」をめざす。『日本書紀』は、当時の「世界共通語」である漢文体で書かれていたのだ。──
グローバル・スタンダードの「正史」として編纂された『日本書紀』は中世日本において独自の役割を担うことになります。それが「日本紀」と呼ばれるものの出現です。「日本紀」と総称されますが、そのような書物があるわけではありません。「『日本書紀』を読み、注釈し、そして独自に解釈された神話世界」を「日本紀」の名で呼んでいたのです。
──「日本紀」とは、古代のこと、神代のことが伝えられている書物という、一種のシンボルとなっていた。その基底には、『日本書紀』が宮廷・国家で尊重され、注釈や講義が行われてきたという歴史がある。中世において、「日本紀」は起源を伝える書物として、いわばブランド名となるのだ。──
あの『竹取物語』も「日本紀」に含まれていると考えられていましたが、それ以外でも次のような説話・神話・伝承が含まれていました。
・イザナギ・イザナミの捨て子であるヒルコはその後、エビス神となった。
・壇ノ浦で失われた宝剣の行方。竜宮の伝承や八岐大蛇により奪い返された。
・アマテラスが大日如来を一体化して仏教擁護の神になる。
いずれも『日本書紀』に記された神話から大きく離れていることに気づかれると思います。『日本書紀』から「日本紀」に変貌することで、神話世界は変容し、さまざまなものを吸収、あるいは一体化することによって大きく広がっていったのです。
──平安時代から鎌倉時代に入ると、俄然『日本書紀』への熱いまなざしが蘇ってくる。たとえば和歌を研究する歌学者、あるいは皇祖神を祭る伊勢神宮の神官たち、宮中神祇官の神官の一族、さらには仏教寺院の僧侶たちさえも、『日本書紀』を読み、注釈し、そして独自に解釈された神話世界をも「日本紀」の名称で広めていく。最近の研究では、それを「中世日本紀」と呼ぶ。──
これら「荒唐無稽、牽強付会とレッテル」が貼られきた「中世日本紀」は、なぜ作り続けられてきたのでしょうか。そこには政治的経済的な意図があったのです。
──荒唐無稽と思えるような中世日本紀や中世神道の世界は、朝廷にたいして幕府という、古代国家とはまったく違う権力システムの成立や、蒙古襲来というあらたな「国際社会」との接触という歴史的な現実と無縁ではありえなかった。──
神道と仏教が融合した天照大神の本地垂迹説には「在地信仰」の頂点にアマテラスを位置づけ、それによって中世王権を「精神的に再編成」したいという思想がうかがえます。それだけでなく、中世の日本が、天竺・中国・日本という3国を意識するようになったことをも意味しています。グローバリズムへの対抗といえるでしょう。
神話(的なるもの)によって民族のアイデンティティを確立するということは歴史上でしばしば見られるます。この「中世日本紀」の神話世界もそのような面があることは確かです。けれど斎藤さんはここに、偏狭なナショナリズムを超えたものを見出します。
──中世日本紀の、その奔放なまでの神話の読み替え、神話創造のムーヴメント(運動)は、近代的なイデオロギーという枠組みではとらえられない可能性を「日本神話」のなかに発見しうる、重要な知の現場であったのだ。日本列島に生きた人々が「神話」ということを素材にして、それまでには考えられないような「超越性」や「根源性」「唯一性」をめぐる抽象的な思想を展開しえた、思考の実験場がここにあったのだ。──
この“豊穣な中世”を「忘却の彼方へ」追いやったのが『古事記』の発見から始まった「近代」でした。発見したのは本居宣長でした。宣長は、周知のように「中国風の色づけがなされた」『日本書紀』よりも『古事記』に日本の古代神話の正確な姿が伝えられていると考えたのです。
──こうした『古事記』の価値付けは、近代においても引き継がれる。『古事記』は「最古の日本の古典」として不動の地位を得ることになるとともに、それが明治の国民国家のイデオロギー(国民文化)へと直結していったのである。──
『古事記』の神話解釈でも宣長と、その後の平田篤胤ではいささか異なっていました。宣長の死後の弟子と任じていた篤胤は「死後の魂の行方=霊の行方」へ徹底してこだわりました。ところが「死後についての観念的な教説を一切拒否した」宣長に対して、篤胤はオオクニヌシを「人間の死後の魂を管理する幽冥界の神」と解釈し直したのです。
──篤胤が見出したオオクニヌシは、現世における生活の善悪を審判し、死後における魂の救済を司る神であった。その霊魂観=霊学は、現世の生活倫理と不可分に結びつく。そしてその現世の生活倫理は、近世の幕藩体制のもとにある権力から「農民」を守ろうとする有力農民層=庄屋たちの姿勢に繋がりつつ、他面では「神州」防衛のパトリオティクな思想にも結びつくのであった。それは篤胤が、「国体論」的な神話解釈も共有する一面をもつことを意味しよう。──
ではこの篤胤流の考え方が明治以降の神話解釈の正統となったのでしょうか。そうではありません。明治になって篤胤同様にオオクニヌシを重要視する(出雲派)とアマテラス(伊勢派)との論争が起きたのです。死後の世界を重要視し「より宗教的」といえる出雲派と現世志向で「神秘主義的な色合いを捨て去った」伊勢派との「祭神」をめぐる論争でした。経緯はこの本を読んでいただきたいのですが、出雲派は破れました。その結果なにが起きたかといえば「近代が作り出す『日本神話』が、その内側から宗教的な色合いを消し去っていく」という事態でした。
そこに「『宗教』であることを否定する擬似宗教としての『国家神道』という特異な世界が成立」したのです。「国家神道」は、いうまでもなく「宗教」のひとつとして他の宗教と相対化されてはならないものです。つまり宗教を超えた「メタ宗教」でなければなりません。
──神道が「宗教」でなければ、明治国家は堂々と「神道」を国民国家形成のイデオロギーとして活用することができる。──
この「国家神道」は、中心となるべき神話を喪失したのです。そして空虚となった中心に「教育勅語」を据えることでメタ宗教としてその姿をあらわしました。
──「教育勅語」とは国家神道によって作られた「国民神話」にほかならない。「勅語」は、神たる天皇が発した神話であった。──
幽明界や異界というものは捨て去られました。かつての豊かな神話世界はどこにもありません。「生と死、超越的なものへのイマジネーションが枯渇した近代的な神話」だったゆえにのちにウルトラナショナリズムを生んだのです。
日本のナショナリズムは一見古代からの意匠のように思えますが、実は極めて近代的なものでした。神話世界のもととなった『記』『紀』や豊穣なイマジネーションを生んだ「中世日本紀」とも、さらには宣長の「開放」とも無縁なものとして「近代日本の神話」は作られたのです。そしてかつての神話世界のイマジネーションはわずかに折口信夫の民俗学の中などに残り、戦後を迎えたのです。
この本の叙述はどこもスリリングで読み出したらとまらないおもしろさに満ちています。神話はさまざな解釈を“付け加えること”で豊かさを生み出していきました。戦前のように“純粋日本”を求めることでは決して豊かにはなりません。豊かさを持った神話世界を知ることは偏狭なナショナリズムに陥ることから私たちを守ることになるのではないでしょうか。伝統を考える上でも大きな助けになる1冊です。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。
note
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