──おれほどの馬鹿な者は世の中にもあんまり有るまいとおもふ。故に孫やひこのために、はなしてきかせるが、能(よく)ゝ不法もの、馬鹿者のいましめにするがいゝぜ。──(本書より)
抱腹絶倒の書き出して始まるこの自伝、著者は勝小吉、幕末の英傑勝海舟の父親です。書かれたのは江戸三大改革のひとつ水野忠邦の天保の改革の時代(ちなみにあとふたつは徳川吉宗の享保の改革と松平定信の寛政の改革です)。
天保の改革は疲弊した幕府の財政を立て直すべく質素倹約を断行した改革でした。そのあおりをうけたのでしょうか、小吉はそれまでの素行がたたったのか、押し込め隠居させられてしまいます。その時に書かれたのがこの自伝(?)です。
では小吉の素行はというと、「十四の年、おれがおもふには、男は何をしても一生くわれるから」と不仲になった養家先から家出、けれど途中で身ぐるみはがされて途方にくれていたところ、小吉の姿にみかねたとある宿の亭主からひしゃくを1本もらいうけて、それだけでものをもらいながら乞食旅を続け、無事お伊勢参りをするという剛胆さ(?)。
放蕩無頼な生活は江戸に戻ってからも変わりません。剣の腕も一流で鳴らしていたようです。多数を相手の大立ち回りもあったと書かれています。ちなみに幕末の剣客、男谷精一郎(下総守)は甥にあたります。
けれど剣の腕があっても役につくことはできません。「能く修行した。今に御番入(ごばんいり)させてやるから心(しん)ぼうしろ」と上役にいわれて、「毎日毎日上下をきて、諸々の権家を頼んで」通ってもかなうことはありません。貧乏旗本を絵に描いたような暮らしぶりです。
しようことなしの遊郭通い、しくじり続きで再度の家出、励んでいた剣の道の余技とでもいうのでしょうか、刀剣の目利きなどをして暮らしていました。もっとも町内の人々には慕われたようで、皆と気が合ったのでしょうか、町の世話役、顔役といったこともして「かねを取って小遣」にしてたそうです。
そんな小吉の唯一の自慢は息子の麟太郎、この麟太郎が「病犬」に噛まれて大けがを負った事件がありました。この時の小吉の振る舞いは読んでみてください。まるで一幕の舞台のように親子の情感が迫ると思います。
幸い麟太郎も快癒したとはいえ、「したい事をして死ぬ覚悟」という小吉の生活は放蕩無頼なまま。遂には37歳で隠居させられてしまいます。そしてこの快著が書かれました。
幕末近い江戸の様子も書かれています。資料的にもとても興味深いものですがそれだけがこの本の価値ではありません。なんといってもこの本の魅力はたぐいまれなる小吉の個性です。その奔放さに惚れ込んだのが坂口安吾でした。
「抱腹絶倒的な怪オヤジであるが、海舟に少年時代のガキ大将は珍しくないが、このオヤジは一生涯ガキ大将であった」。しかも「彼は子孫が真人間になるようにといくらか考えたが、自分自身が真人間になることは考えなかった。まだ天罰がこないのはフシギだといぶかりつゝ純粋に無頼の一生を終ったのだ」(『安吾史譚』より)と。もうひとつ安吾はおもしろい指摘をしています。「孫やひこのために」とわざわざ小吉が書いたのは子どもの麟太郎のできがよかったからだとも。このあたりも安吾の慧眼を感じます。
ともあれ、奔放な人生にふさわしい書きっぷりというべきでしょうか、この本は独特な言文一致(?)で書かれています。あちらこちらに見られる当て字や誤字もまた小吉の個性のあらわれのように思えてなんだかワクワクさせてきます。ある意味で純粋な、無垢な男の一生がここにはあるようにも思えるのです。
勝小吉は子母沢寛によって子の海舟とともに『父子鷹』という小説になりました。また幾たびか映画化、テレビドラマ化されています。そういえば北大路欣也がデビューしたのがこの映画の勝麟太郎(後の海舟)役で、父親の勝小吉は市川右太衛門で、本当の親子が演じていましたっけ。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。
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