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2016.11.02

特集

「日本」はいつ生まれたのか? 古事記にないのはなぜか? 国号の謎を追う

わたしたちは日常生活において、「日本人」や「日本語」「日本文学」「日本料理」など、「日本」という名のつく言葉をよく使い、それに疑問を抱くことはありません。しかしこの名称について改めて振り返ってみると、国家、国旗、国号は制度として定められていますが、「日本」という名称の成り立ちや意味について、小学校や中学校などで教えられることはなかったはずです。
今回は、この非常にあいまいな「日本」という国の名前がいつからあるのか、後漢の時代にまで遡り、時代の流れとともに変わっていく意味を追いかける、ロマンあふれる1冊をご紹介します。

初出は「倭」。それが「日本」となっていくターニングポイントは?

「日本」という名の意味はとてもあいまいといえます。実は明治以来の国定教科書に、「日本国」という国号を教えたものは見られません。昭和戦前期に天皇を中心とした国体が強調されたときも、国号の意味が正面に押し立てられたことはなかったのです。

では、「日本」という名が初めて歴史に登場するのはいつのことだったのでしょうか。

中国の正史のなかでは、後漢(25~220年)の歴史を記した『後漢書(ごかんじょ)』に初めて「倭」についての記述があってから、隋(581~618年)の歴史を述べる『隋書(ずいしょ)』に至るまで、ずっと「倭」だったのです。

ヒミコについて掲載されていることで有名な『魏志』倭人伝がありますが、これは、三国時代(220~265年)の歴史を扱った『三国志』のなかで、魏の東夷伝として「倭」のことが記述されたものです。

ヒミコは中国から「親魏倭王」に任じられ、金印を授けられています。中国から「倭」と呼ばれ、自分たちもそう自称していたことが分かります。

また、推古天皇が隋への国書に「日出づる処の天子」と自称したと言われるエピソードはたいへん有名ですが、隋の皇帝を怒らせただけで、少なくとも隋としては「倭」や「倭王」以外は認めていなかったようです。

それが、唐の歴史を記した『唐書(とうじょ)』の時代に、初めて「日本」に変わり、以降、「日本」として登場することになったと見られています。

当時の唐は則天武后の時代でした。則天武后はさまざまな制度改革を行った人物でしたが、唐から国号を周に改め、またこのときに日本国として呼称を改めたようです。

則天武后は中国の長い歴史のなかで唯一の女帝ですが、中国の三大悪女とも呼ばれ、壮絶な伝説を数多く残す人物。彼女のエピソードはまた別の機会に。

古代文献にある「日本」という名前に変えた経緯

前述の『唐書』には、『旧唐書』と『新唐書』の2種類があります。そのなかの「日本」への変更のくだりはどうもすっきりしていません。

A.旧唐書の説明

日本国は、倭国の別種なり。その国日辺(につぺん)に在るを以ての故に、日本を以て名となす。あるいは曰く、倭国自らその名の雅ならざるを悪(にく)み、改めて日本となす、と。あるいは云ふ、日本はもと小国なれども、倭国の地を併せたり、と。

B.新唐書の説明

後(のち)稍(やうや)く夏(か)の音を習ひて倭の名を悪み、更(あらた)めて日本と号(なづ)く。使者自ら言ふ、国、日の出るところに近ければ、以て名となす、と。あるいは云ふ、日本は小国にして、倭のあはすところとなるが故にその号(な)を冒(をか)す、と。

「日本」がどういう意味をもつ称かということに関しては、『旧唐書』も『新唐書』も「日のあるところ」(『旧唐書』)ないし、「日の出る地に近い」(『新唐書』)という表現で一致しています。

なぜ変更するかについては「倭」の名を嫌ったと書いてあります。また、代える理由づけとして、もとより「日本」もあったといいます。『旧唐書』では「倭」を併合したのが「日本」だといい、『新唐書』では「倭」に併合されたのが「日本」であるとしており、もとから「日本」というものがあったという説明は同じですが、逆の意味で説明をしています。

古代帝国時代から近代の日本にそのルーツを探るロマンの旅

隋の時代まで「倭」と呼ばれていた我が国が「日本」を名乗った時代のさわりを見てきました。この後の時代では、当時の中国や朝鮮との関係性における「日本」の位置づけができあがったことがうかがえる文献があり、外から見た「日本」という呼称が、国号の定着に与えた影響について知ることができます。

本書『「日本」 国号の由来と歴史』は、「倭」から名称が変わり定着していく「日本」という名称について、『日本書紀』やさまざまな歴史的史料を読み解きながら、誕生と、時代を経るごとに変わる意味あいを探っていきます。

いまこの時代だからこそ探りたい、日本のルーツに出会えることでしょう。また、『日本書紀』『古事記』といった歴史書にピンとくる方にはたまらない1冊となるはずです。

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