ロングセラー『思考の整理学』の著者・外山滋比古さんが人生について語ったエッセイ集です。私たちが“元気に生きる”にはどうすればいいのか、外山さんの体験・個人史をもとに綴った心温まる、そして力強いエッセイです。
──人生に、美しく生きる人生に、“どうせ”はない。よく考えもせず、さかしらに、タカをくくって、なすべきことをしないのは怠慢である。(略)“どうせ”がいけないのは、年寄りだけではない。若い人でも同じことである。ロクに考えもしないで、先々のことをわかったような気になって、すべきことを怠るの心は、年齢を問わず人間につきまとう。──
うまくいかないことが続くと、気持ちも萎(な)え、意欲がなくなり、いろんなことがどうでもよくなりがちです。そんな時に、つい口に出してしまう言葉が“どうせ”というもの。やりきれなさと同時にあきらめとなげやり、そこには怠惰も含まれがちです。
そうならないためにはどうすればいいのでしょうか……たとえばこんな1節があります。
──人間、敏感であるのは考えもので、つまらぬことにいちいち反応し、いつまでもそれにこだわって悩み苦しむのは賢明だとは言えないだろう。それに引きかえ、鈍根はよろしい。たいていのことは反応しない。くよくよ心配するなどということは無縁である。感知しないものは知らないのと同じである。どんな大きな不幸でも、病苦でも、反応しなければ、かなり毒が消えるのである。──
「敏感」であるがゆえに、かえって自分の置かれた状況を悪化させてしまう。そのようなことはしばしば見られます。けれどついつい「敏感」になってしまう、そこに大きな落とし穴がある……このあたりが書名の“逆説”たるゆえんのひとつでしょう。
「つらい境遇」だけが続くわけではありません。「禍福は糾(あざな)える縄の如し」でもあり、「塞翁が馬」ということがあります。あるというより「そういうもの」なのでしょう。禍福どちらであっても(といっても当事者から見れば同じでないことはわかりますが)、その状態がずっと続くわけではありません。というよりも同じ状況が続くはずはありません、“万物は流転する”という言葉どおりに。
「塞翁が馬」の実例(?)として受験や仕事の場においてプラスがマイナスになったり、逆にマイナスがプラスになった人たちの話が綴られています。若いうちの成功がその後の伸び悩みを生んだり、またかつての敗者が勝者になる話などからは外山さんのユーモアを感じます。さらに外山さんはこう提言します、「マイナスで始まれば、プラスへと続く確率が高い」と。この言葉を律儀に(?)語るのも外山さんのユーモアと温かさでしょう。
ここで求められるのは“信念”と地道な“積み重ね”なのだと思います。自分の目標・目的を失わず、それに向かって地道な活動を行うからこそ、状況に左右されない生き方ができるのでしょう。
外山さんが認めるのは「桃李主義」者という生き方です。
──桃李不言、下自ずから成蹊(桃李もの言わざれども、下自ずから蹊(みち)を成す)ということばがある。有徳の人のもとへは自然に人が集まることを言ったものである。(略)桃李主義は実力にものを言わせ、空虚な自己顕示を恥じる。──
先の“どうせ”をいわない心性を持つこと、それを身につければ世界は違って見えるようになり、また強い生き方ができるのではないでしょうか。
──つらい境遇に耐えている間に、いわゆる幸せな人間が身につけることのできない多くの力を身につけることができる。なかでも目ざましいのが忍耐、我慢で、順調な生活の中では、身につけることが難しい。(略)我慢しなければならないものが多ければ多いほど、人間はよい方向へ向かってつよく進むことができる。──
プラスとマイナスが織りなす人生であるから、夢と幻滅、希望と絶望、どちらにもとらわれたままではいけないものだということが分かります。魯迅の言葉「絶望の虚妄なることは、まさに希望と相同じい」を思い出します。
──朝、目をさましたら、すぐ起きないで、ぼんやりする。なるべく過ぎ去ったことは頭に入れない。浮き世ばなれしたことが頭に浮かんだら、それを喜び、忘れてこまるようなことだったら、メモする。毎朝十分か二十分、こういう時間をもてば、誰でも思考家になれる。考える人間になれる。──
この本の最後のエッセイの1節です。「思考力をつける」について書かれた中にあります。
──なにごとによらず、新しいことがあらわれたら、「これ、なに?」と自問する。「どうして?」と問うこともあろう。常識になっているようなことに対しても、「ホントにそうだろうか」と問うてみる。これらはしかし、やや具体思考である。さらに高度の自由、純粋思考の道に入るには、「なに?」「なぜ?」を問うだけではいけない。未知を考える。まったく新しいことを考え出す思考力をはぐくむ。人類の進歩はそういう思考によってのみ可能である。──
ここにはプラスやマイナスという「具体思考」をくぐり抜けた自立した人間の姿があります。「純粋思考」という自由な精神のあり方を持つ、この自立した人間は少しも浮き世離れした、抽象的な人間ではありません。知識を溜め込むだけではかえって「頭の働きが悪く」なるということを知っているリアリストなのだと思います。しっかりと実生活を見据えています。
──自立を得るために、節約、貯蓄ということが美徳になる。──
外山さんは人間の生き方を探究する“モラリスト”なのだと思います。“滋味”という言葉がこの本ほど似合うものはありません。生きるのに迷った時、ページを繰ってください。自分らしく生きるとはどういうことなのか。強く生きるとはどういうことなのか。くじけない勇気とはどのようなものなのか。それらすべてを語りかけてます。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。
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