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2017.01.03

レビュー

知的な人間が陥る「学び」の罠──それでは人生の可能性は広がらない!

──「学ぶ」という行為の大半はある種の「想定」を持つことと密接不可分の関係にあるのである。「想定」は人間が予見する動物であることと深く関係している。人間は過去の経験に基づき「想定」を持ち、経験を通して再確認することによって「想定」に対する信頼度を高めていく。──

私たちが向き合った3・11の「想定外」の事態、それは「学ぶ」ということのありようが問われた事態だったのです。
──「想定外」という言葉には不可抗力といった免責のニュアンスが含まれている。人間世界では「想定外」の事態に対してさえ、何らかの判断を下さなければならない局面があるのも冷厳な事実である。したがって、「想定外」のことも考えておく必要がある。──

「学び」というものは「学び続ける」ということを抜きにしてはありえないのです。
──「学ぶ」という行いには、「想定」の枠内での積み上げ的な「学び」だけを意味するわけではなく、その枠を超える「学び」の能力も含まれているということである。つまり。それまでの「想定」やその枠内での「学び」を外から眺め、突き放して観察するという知的な行為がそれである。これは自らがこれまで行ってきたことを乗り越える人間の能力といってよいが、これによってマンネリ化しがちな「学び」は「学び続ける」という能動的な知的な行為へと転換していく。──

「学ぶ」ことにはなにより謙虚さが必要なのです。謙虚さを失った「学び」は「過信」、さらに「思い上がり」に通じます。

佐々木さんは「学び」には4段階があると考えています。
1.知る:事実ないし確実とされている知識や情報を「知る」こと、記憶すること。
2.理解する:個々バラバラな事象がお互いに一定の関係を持つものとして見えてくる、あるいは、見えるようにすること。
3.疑う:既存の分析を「疑う」ことから新しい「問いかけ」が生じ、それが「新しい」事実の発掘につながる。
4.超える:「疑う」という段階を超えて、事実や現実に対置される新たな「適切な」可能性を追求し、時には新しい境地に帰依することを意味する。

これは人間の(知的な)生活そのものの運動なのだと思います。であるならば、ある人が見せている「学ぶ」姿というものは、その人の生活そのものを映す鏡なのです。

ですが、この「学び」の運動にはひとつの落とし穴があります。「従僕の目に英雄なし」というものです。
──英雄をつまらない人間に「引き下げ」、それに対する世間の賛同を得ることによって自らの認識を満足させるとともに嫉妬心を満足させ、溜飲を下げるというこの構図はわれわれにお馴染みのものである。──

──自分に理解できないものは「ない」し、「ないに違いない」し、「ないことにする」のは、色眼鏡を通して現実を理解する「ステレオタイプ」型の思考様式の根底に潜んでいる精神的な態度である。──

怠惰な姿勢、また夜郎自大な無知、それに陥ることのないようにしなければなりません。自戒、自省することが肝要なのです。ここにも謙虚さが必要であるという言葉が響いてきています。

「学び」の運動がもたらすものにもうひとつの大きな問題があります。それは「学び」のゴールとはなにか、ということです。

「究極」「絶対」への誘惑と佐々木さんがよんでいるものです。これには「学ぶ」目的も大きく関係しています。ここの論述はプラトン、ヘーゲル、マルクスなどの思考(態度)を踏まえて極めてスリリングなものです。この本の読みどころのひとつです。ここでこそ自分流に考えるべきところだと思います。

佐々木さんは2つの「思考類型」を解明し「絶対性」を斥けていきます。「究極」「絶対」というワナに陥ることなく「より適切なもの」を選び求めていくことこそが重要です。この姿勢の前では現実は「可能性の束」としてあらわれてきます。たえず現実に働きかけて生きることと同義な姿勢だと思います。これこそが、怠惰、臣従という落とし穴におちることなく進んで(=生きて)いける道だと思います。
──絶対的・究極的境地についに到達することはかなわないが、新たな可能性を切り拓いていくことこそ、自己充足的な存在とは異なった「中間的」存在としての人間の定めであろう。少なくとも、絶対的な権威を振りかざす特定の人間に百パーセント臣従することの薄気味悪さからは間違いなく解放されている。そこに漂う「空しさ」や「やり切れなさ」とはむしろそうした薄気味悪さからの解放感の裏返しであろう。──

「空しさ」や「やり切れなさ」はマイナスだけではありません。そこには未知の可能性もまた潜んでいるということなのでしょう。「学ぶ」ことはそのまま「人間の存在」の証を意味しています。そうであるからこそ「想定外」のこと、「これまで学んできたことの権威が大きく動揺する事態」に遭遇しても、人は「学びなおすこと、さらに新しい生き方を模索する」ことができるのです。

──人は否応なしに「学ぶ」ことを始める。これは生きるということと不可分である。──

「出来合いの色眼鏡で“見たいものを見る”」というようなことでなく、あるいは「ステレオタイプ」に埋没することなく、「それから自由になる知的な空間を追求する」ことが「学ぶ」ということです。

なにかを「学ぶ」ことは同時に謙虚さ、自由さを身につけることにもなります。知識は“量”ではなく“質”というものが大事なのです。福澤諭吉の名著『学問のすゝめ』や『文明論之概略』を主軸として、さらに哲学者たち、思想家たちの言説を織りなしながら綴ったこの本は、この本自体が「学び=教養」のありかたをしめしているように思いました。だれでもが手にとってほしいと思う素晴らしい1冊です。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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