「贅沢」とは何かを問う本城雅人さんの連作短編小説です。
投資銀行の入社試験に落ちた古武士哲也(こぶし・てつや)は、そのとき面接官だった藤浪亮介(ふじなみ・りょうすけ)に誘われて、ラグジュアリーファンドに入社します。ラグジュアリーファンドは、「銀行や他の投資会社から債券を安く買い、会社を売却して利ざやを稼ぐ」買収ファンド。投資銀行を辞めた藤浪が設立した会社で、社員はたったの3名。「いわゆるハゲタカと揶揄される業種」だそうで、ラグジュアリーの名前のとおり高級品を扱う企業が、彼らの買収の対象です。
「第1話 蘊蓄家のイタリアン」では、高級イタリアレストランの債券をベンチャーキャピタルから買い取って、オーナーシェフに買収を提案します。藤浪は、古武士をその店の従業員として働かせるのですが、それは買収するにふさわしいレストランかどうか調べるためです。
債券を買い取った企業で古武士が働くのは各話共通で、本書はお仕事小説としての魅力も兼ね備えている。ラグジュアリーファンドが狙った企業のオーナーたちは、皆、経営者として何かしら秘密を抱え、頭の切れる藤浪とオーナーたちとの腹の探り合いも面白い。
藤浪に対して作中では、「キザっぽくて、いけ好かない」と捉える人物もいれば、「整った顔をしているせいか、キザというよりは、よく似合っていて伊達に見えた」と受け取る人物もいます。僕の場合は、外見はともかく、ビジネスライクで何を考えているのか判然としない冷たい男、というのが第一印象でした。彼は、物語の最後までそんな人物なのでしょうか。
藤浪は、債券を買い取った会社で働いている古武士にこんな質問をします。
──古武士は、この店を贅沢だと思うか──
ラグジュアリーファンドが狙った企業は高級品ばかり扱っているのに、なぜこんな質問をするのでしょう。まだ若い古武士は、上手く答えられません。藤浪はそんな部下に、続けてこう尋ねます。「値段が高いから古武士には贅沢なのか?」と。
皆さんは、答えられますか。そもそも贅沢ってなんなのか。たいていの人にとって、贅沢とは高級の言い換えだと思いますし、その認識はきっと間違っていない。ですが贅沢の定義は、おそらく人の数だけある。
作中、ある人物にとっての贅沢とは、それがホテルであれ、ワインであれ、とにかく一番であることです。そのように周りから評価されていること。つまり周りからの評価こそが、贅沢を決める基準。非常にわかりやすい贅沢に対する価値観です。
かたや、こんなことを言っている人物もいます。
──少し背伸びして手に入れたものを大切に育てていく。それこそ、人が人生で贅沢だったと思える時間なんだろうな──
本書では、レストラン、シャツ、時計、家具、ワイン、ホテルと、いずれも「贅沢」を提供する会社に、藤浪と古武士が乗り込んでゆきます。そこで藤浪が下す決断には、冷酷なものも少なくありません。オーナーを追い出したり、経営の仕方を大胆に変えたり。
しかしその藤浪の印象も、じょじょに変化してゆきます。キザで冷淡なビジネスエリートから、実はもっと情の厚い人物であると気づき始める。藤浪に会社を追われた経営者も、憑き物が落ちたようになり、読者はきっと人生の幸福とは何かを考えさせられるでしょう。幸せはときに、贅沢という概念と強い因果関係で結ばれています。
そうやってエピソードを重ねるにしたがい、謎めいた藤浪の過去もつまびらかになってゆく。藤浪自身、彼の過去──藤浪と因縁のある人物と、物語の終盤で対決します。それは、贅沢を巡る価値観の闘争でもある。贅沢は必ず人が関係するものですから、贅沢を提供する人々の人生を左右する戦いなのです。
この本を読み終えたとき、おそらくは多くの読者が贅沢とは何か自問し、悩んだり、はっきりとした答えを見出す人もいるでしょう。そして、もっと贅沢をしたい、もっと贅沢にふれたい、と考えるはずです。それはたんに値の張る高級品がほしい、というものばかりでなく、贅沢とは何かを自問自答することで、自分の人生における新たな価値観の創造へと繋がるからです。贅沢とはたしかに、人生を実り豊かにしてくれるもの。そのことを教えてくれる『贅沢のススメ』を、ぜひ手に取ってみてください。この小説もまた「贅沢」な1冊に違いありません。
レビュアー
1983年夏生まれ。小説家志望。レビュアー。ブログでもときどき書評など書いています。現在、文筆の活動範囲を広げようかと思案中。テレビ観戦がメインですが、サッカーが好き。愛するクラブはマンチェスター・ユナイテッド。