この本に収録された3つの論文に共通しているのは「自由(=政治的自由)」と「平等(=格差是正)」の相剋です。とはいっても必ずしも「自由」と「平等」が矛盾しているというわけではありません。それにもかかわらず“相剋”となってしまうのが戦前の(あるいは現在でも続く)日本の政治の大きな悲劇です。
この本で「自由」を代表する人物として馬場恒吾と斎藤隆夫が、「平等」を代表する人物として蝋山政道と永井柳太郎が取り上げられています。
この本で坂野さんは極めて重要な指摘をしています。それは日本政治における「立憲独裁」というものの出現です。一見“矛盾”した概念に思える「立憲」と「独裁」ですが、これは私たちが思うより以上に相互に親和性があります。第2次大戦前夜のドイツ、最も民主的な憲法を持っていたワイマール共和国がナチス政権・ヒトラー独裁をもたらしたことを考えれば分かると思います。このあたりのことは橋爪大三郎さんの『政治の教室』に詳しく書かれています。
さて、自由主義者をもって自認していた馬場恒吾でしたが、二・二六事件は彼の自由を求める主張に変調をもたらしました。
──それまで執拗なまでに、既成二党(政民=政友会と民政党)による二大政党による二大政党制を主張してきた馬場は、二・二六事件を機として政民連携論に立場を変えた。陸軍内の穏健派と政民両既成政党の協力による議会政治の復活という主張に変わってきたのである。──
陸軍という権力(暴力)を前にして馬場は方向(政治的目標)を転換します。「物わかりの良くなった陸軍」と「既成政党」との協力で議会制を維持するという方向にです。馬場にとっては議会制が象徴する「政治的平等」、「立憲主義」を守ることがなにより重要だったのです。しかし女性参政権はいまだなかったとはいえ、普通選挙となっていた議会の喫緊事は「政治的平等」、「立憲主義」だったのでしょうか。そこには馬場の誤算(錯覚)がありました。
──陸軍が両既成政党の意向を尊重するのだから、両党を通じて議会の意向をも尊重することになる。その点では、この体制は明らかに「立憲的」である。しかし、他方で、衆議院の八割以上を占める両党が協力して陸軍の対ソ戦準備を支持することが、この体制における政党側の譲歩である。たとえもう一度総選挙が行われて、国民がその好みに従って、あるいは政友会に、または民政党に投票したとしても、出来上がるのが「政党が連合した内閣」である以上、国民の意向は政権選択にも基本政策にも反映されない。この点で馬場恒吾は明らかに「独裁的」だったのである。馬場恒吾は、「立憲的」であると同時に、「独裁的」だったのである。──
馬場の最大の敵はファッショでした。それは「皇道派や政友会のような日本主義的なファッショだけではなく、陸軍統制派と政治化した官僚(新官僚)と社会大衆党が結んだ合法ファッショ」というものだったのです。
けれど二・二六事件を契機として現れた議会の姿は、言論の機能を喪失し形式化した議会、行政権力の手続きを黙認・追認するだけの形骸化した議会の姿でした。
なぜこうなってしまったのでしょうか。ひとつには「格差是正」を求めた社会大衆党を嫌ったことにあります。なぜなら、既成政党に反対する社会大衆党は一部の軍部と親和性を持っていたため、馬場のいう「合法ファッショ」と見なされていたからです。馬場のいう「二大政党」とはあくまで政友会と民政党です。いうまでもなくこの「二大政党」はその出自から、政友会は地主層を、民政党は資本家を支持基盤としていました。
この2つの政党はどちらも「労働者や小作人や中小企業者」が直面している「社会的、経済的な不平等」には積極的な関心を払いませんでした。
──「自由」とか「自由主義」とかいう言葉は、無条件で素晴らしいものとされ、資本家や大地主の「自由主義者」が軍国主義に反対する傍らで、労働組合を否認したり、小作人から耕地を取り上げている姿は、ほとんど振り返られなかった。──
既成政党に望みを託せなくなった人々はどこを目指したのか、ここに重要な問題が横たわっています。
──軍部による既成政党攻撃は、ファシズムによる自由主義への挑戦と位置づけられ、労働者や小作人や零細企業家による「自由主義」もしくは「既成政党」への挑戦という側面は、当時にあっても、また戦後の昭和史研究においてもほとんど忘れ去られてしまったのである。──
一方、蝋山政道は馬場と異なり、既成政党こそが「労働者や小作人や中小企業者らの不満を背景とした」社会大衆党に歩み寄れと主張していました。「格差是正」に目を配れと主張していたのです。それは社会大衆党を中心とする「政・民両政党内の新世代の結集」、政界再編を意味していました。しかし既成政党の再編は至難を極め、「蝋山は自己の援軍を官僚や軍部の中」に求めるしかありませんでした。国家社会主義、あるいは「合法ファッショ」と呼ばれるものとなっていったのです。
──行政学者としての蝋山は、行政各省の割拠性にもとづく総花的な国策の決定と相互連携を欠いたその遂行には、当然批判的であった。その観点から、陸軍や新官僚がめざす、国策の一元化と省庁の統廃合には賛成であった。──
これが行政権力の強化と議会の空洞化に繋がることを蝋山は見抜いていました。ですからそれを避けるために彼は社会大衆党と政民反主流派の連携に望みを託したのです。
──議会における社会大衆党と政民反主流派の勢力拡大が可能ならば、「行政機構改革」は「議会改革」を通じて「国民大衆」との関係を再構築できる。この場合には、馬場とは別の意味での「立憲独裁」が成立する。国策の立案は「改革」された一元的な「行政機構」(総合国策機関)に限られるのであるから、それは明らかに「独裁的」である。しかし、この一元化された「国策」は、議会内における社会大衆党と政民反主流派という「与党」を通じて「国民大衆」と結びつくのであるから、「立憲的」側面も残している。──
まったく異なった方向からここにも「立憲独裁」というものが現れました。
──悲しいまでの「自由」と「平等」の正面衝突である。馬場は「自由」の旗手であったが、「平等」については驚くほど無関心であった。他方、蝋山が「自由」を嫌ったとまでは言わないが、彼は金持の「自由」よりは貧窮する大衆のための「平等」の方をはるかに重視した。──
「自由と平等」をめぐるこの歴史はさまざまなことを教え、また考えさせます。なによりも重要なことは自由と平等を「相剋」させてはならないということでしょう。「平等」を手放した「自由」至上主義は格差の拡大をもたらします。また「平等」至上主義もまた強権を生むことがあるのは歴史が証明しています。蝋山が軍部と結ぼうとしたのには軍部の持つ「強権」が「平等」を推し進めるには必要だと考えたからです。
この「強権」を防ぐためには「自由」が必要なのです。「自由」は「経済的自由」だけではありません。言論の自由に象徴される「社会的自由」があります。これこそが強権を押さえるための“手段”として「自由」が必須とされる理由です。この「社会的自由」のないところではすべての権力は「独裁化」する、「立憲的」に見えても、「立憲独裁」となっていきます。
「自由と平等」をめぐるドラマを追ったこの本は私たちの現在を浮かび上がらせてくれます。戦前の帝国議会は空洞化し無力となり行政権力のもとに置かれました。この状況が私たちに無縁なものとは思えません。それどころか今の国会もまた議員劣化、政治家の劣化が進む中で行政権力を追認する(正統化する)だけの議会になっているように思えます。それが私たちをどこへ導くのか、それを照らし出すかのようにこの本が存在します。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。
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