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2017.01.16

レビュー

「富裕層優遇」を決めた、あの日。格差社会のとんでもないルーツ!

階級という言葉が聞かれなくなって久しくなります。かつては一億総中流ということがいわれ、階級という言葉が意味をなさなくなったような風潮が日本にありました。そして今、階級という言葉が新たな相貌のもとにあらわれてきています。格差です。社会的不平等が厳然として存在する現代日本の格差社会は階級社会そのものです。

坂野さんがこの本で解明したのは日本に階級社会がいかにして生まれたのかです。分析の俎上にのせたのは極端な階級社会であった戦前日本の姿です。厳然たる不平等があったのになぜこの階級社会=社会的不平等の解消に社会運動が進んでいかなかったのでしょうか。それどころか「総力戦体制による格差是正」といえるような現象が起きたのはなぜなのかを問い直したのがこの本です。

この近代日本にはもう一つの重要な流れがあります。「政治的平等」というものです。「政治的平等」は制限選挙から普通選挙へいたる流れを生み出しました。その結果、成立した(帝国)議会はなにを目指し、なにを実現したのでしょうか。そして近代日本において「社会的平等」と「政治的平等」とはどのような関係にあったのでしょう、あるいは関係がなかったのでしょうか、それを緻密な筆致で坂野さんはこの本で問い続けたのです。

さて「総力戦体制による格差是正」とはいったいどのようなことだったのでしょう。
──政党政治の下では選挙権を与えられただけの小作農が、一九三七(昭和一二)年七月の日中戦争の勃発にはじまり、一九四五(昭和二〇)年八月の敗戦まで続く総力戦体制の下で、次第に副業が不要になり、ついには自作農になったのである。政党政治の下では政治的民主化しか与えられなかった小作農が総力戦体制の下で社会的民主化の恩恵に浴したのである。──

皮肉なことに総力戦体制によって社会的不平等は一定程度解消されたという現象が起きたのです。だからといって、坂野さんは総力戦体制を肯定しているわけではありません。
──言うまでもなく、日中戦争と太平洋戦争の日本の内と外での犠牲を考えれば、その戦時体制の下で小作農が解放されたことを素直に喜ぶわけにはいかない。──

この歴史の“逆説”とでもいうようなことがなぜ起きたのか。坂野さんの分析は明治維新まで遡及して日本近代の実相を明らかにしていきます。

明治維新は士族による社会革命でした。幕藩体制下では「士」は、「門閥」や「格式」によってその身分が何段階にも分けられていました。そして「士」の特権を廃止した、「一大社会革命」が明治維新でした。廃藩置県、秩禄処分によって士族の特権は廃止されていきました。そして明治政府が次におこなったのが地租改正です。この地租改正でなにが起こったのでしょうか。詳細な社会分析は読んでいただきたいのですが……。
──明治維新は一方で「士農工商」から「士」をなくした一大社会革命でありながら、他方では五〇〇万を超える農民の間に、とんでもない格差を固定化したのである。明治維新がこの格差をもたらしたとまでは言わないが、地租改正がこの格差を制度化したことは確かである。──

士族が感じていた不平等感は自由民権運動のなかの士族民権という形で解消に向かいました。ところが彼らは豪農層の支持を得るために、豪農層の意向を重視せざるを得なかったのです。豪農層の意向とは「地租の軽減」でした。そして政党(豪農層と士族)が税の減収を解消するために選んだ政策が酒税や煙草税などの大衆課税によって税収を確保する方法でした。富裕層(豪農層と士族)優遇の措置であることは一目瞭然です。政党は富裕層と結びつくことを選んだのです。“格差社会”であることを選んだ(黙認)したといわざるを得ません。近代日本の“格差社会”はここから始まりました。

普通選挙という「政治的平等」は、本来は「社会経済的な格差の是正の手段」だったはずです。吉野作造らの唱えた民本主義には格差(社会的不平等)是正という側面もありました。けれど、それが大きな流れになることはありませんでした。普通選挙が求めたのはあくまで政治的平等であり、それが目的であると政党(憲政会・民政党)幹部は考えていたのです。確かに政治的平等は政治家にとって大きな目的でした。制限選挙下でしたからそれも当然です。しかし、よく考えれば政治は本来目的となるものではありません。何かを実現する「手段」です。政治過程がどれほど「政治的不平等」を解消するものであっても、そこに止まっている限りでは民衆が直面している貧困・格差から目をそらすことになりかねません。

坂野さんはその象徴として粛軍演説で名高い斎藤隆夫を取り上げています。斎藤は軍部や親軍部の政治家の暴走・腐敗を痛烈に批判したことで知られています。この斎藤に向ける坂野さんの舌鋒は鋭いものがあります。
──同じ憲政会幹部でも、斉藤は普通選挙法賛成演説の中で、「日本一の大金持ち」と「其日稼ぎの労働者」の存在には批判の眼を向けず、「政治の前」、「参政権の前」での「平等」に限ることをくりかえし強調している。先の横山勝太郎が「少数の有産階級(中略)の生活を引下」げ、「貧民階級の生活を向上」させることが普通選挙法後の議会の使命であると唱えているのとは、大きく異なっているのである。──

ここの指摘は極めて重要です。政治的平等である「平和」と「自由」の実現には熱心であったにもかかわらず、「平等」という社会的不平等の解消には積極的ではなかった政党政治の実態です。そして政党政治(民政党)による格差是正には期待できなくなった民衆は軍部の台頭を許すことにつながっていきました。

政党政治(民政党)が掲げた「平和」と「自由」は、富裕層が安泰となるための「平和」と「自由」でしかありませんでした。富裕層、民政党の自己保身が優先され、社会的不平等が産み落とした貧困層(小作農、都市労働者等)への救済は捨て置かれたといってもいいかもしれません。政党政治(民政党)が政治権力の獲得・維持を第一に目指し、富裕層の利益(意向)を重視し、格差是正(社会的不平等)を重要視せず、社会的矛盾から目をそらしていったのです。こうして軍ファシズムへ親和する道筋が開かれていきました。もちろんその道の最後は敗戦による荒廃というものでした。

大事なのは「平等」というものの重要性を認識することでした。「平等」「自由」「平和」というものを一体として志向することが不可欠だったのです。およそ「平等」のないところでの「自由」「平和」というものなどは長く続くわけがありません。そしてこれは現在の課題でもあります。
──「護憲(平和)」と「言論の自由の擁護」だけが民主主義の課題だと思い込んできた「戦後民主主義」は、いま崩壊の寸前にある。しかし、戦前日本では、「民主主義」は実際に崩壊した。その最大の原因が、「平和と自由」だけで満足して「平等」という民主主義のもう一つの要素を無視した民主主義陣営の偏向にあった(略)──

「自由」「平和」、それは「平等」があるからこそ輝くものです。社会的不平等(=格差)の解消こそが政治の最大の目的でなければなりません。あの過ちを繰り返さないためにもそれが喫緊の課題なのです。この本は極めてアクチュアルな問題意識に溢れた1冊です。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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