ブラジルと聞くと、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。サンバ、2016年のリオ五輪、あるいは肉料理のシュラスコ?
僕の場合はサッカーですが、オリンピックが開催された昨年秋頃から今年のはじめにかけて目にした報道では、それらとは異なるブラジルが伝えられていました。刑務所内で囚人たちが暴動を起こし、大量の惨殺死体が見つかった、というものです。麻薬組織の抗争が原因だそうですが、『カルナヴァル戦記』に登場するブラジルも、それに近い無慈悲で陰惨なブラジルです。
さんさんと照りつける陽光と、その陽差しによってできた暗い影。陽の光のまったく届かない暗がりの奥に行けば行くほど、性と暴力のにおいが漂っている。そんなブラジルが舞台の短編集。著者は、早稲田大学探検部出身の冒険小説家、船戸与一(ふなど・よいち)さんです。
7篇からなるこの短編集は、1986年に上梓され、89年に文庫化。本書はその新装版です。各篇の主人公は日本人男性で統一されていますが、名前は明かされず、7人とも「おれ」。
その7人の「おれ」たちからは、根無し草で無頼な感じがします。彼らが一人称視点で語る短編集ですから、雰囲気としては、どれも乾いている。差別と貧困、背徳と暴力が渾然一体となり、殺伐としたブラジルの空気の中で、刹那的に生きている。そのことは、表題作でトップバッターを務める「カルナヴァル戦記」を読めば、すぐにわかります。
性交を終えたばかりの「おれ」が、殺しの仕事に取りかかるシーンで幕を開け、虎視眈々とターゲットに狙いを定めますが、そう簡単に事は運びません。
「ジャコビーナ街道」や「バンデイラ」に出てくる仇討ち──東北部(ノルデステ)の掟などは、現代人の感覚からすればとても信じられませんが、「バンデイラ」では、その仇討ちに熱狂する市民たちも描かれている。殺しの大義名分をえたと信じて狩りを楽しむ当事者たち。彼らを応援する共犯者たる傍観者たち。熱に浮かされたように凶行に及ぼうとする様は、遠い昔の異国というよりも、常識の通じない異世界のようです。
その異世界の物語の最後を務める短編「アマゾン仙次」では、ある若い夫婦が悲惨な目に遭います。読むのが辛くなるような描写も出てくるのですが、それでも読まされてしまう。本書が小説として面白いからにほかなりません。
ど派手なアクションシーン、人の尊厳も倫理も踏みにじるバイオレンス、春を売る女たち。薬、裏切り……。もちろん本書はそうしたものを肯定しているわけではないのでしょうが、断固として拒絶する説教臭さもない。
他者を慈しみ、優しくできるのが人とケダモノをわかつ美点である一方、いかに社会規範の分厚い蓋で覆い隠したところで、人には動物的で無慈悲なところがある。一方通行の暴力を楽しめる嗜虐的な一面を併せ持っているのだと、本書を読んでいると、痛感させられます。
そのため、著者にそのつもりはなくても、警句、アレゴリーの小説と読むことも可能でした。僕などはそうだったのですが、読書中はそうした考えを明確に言語化できないほど、船戸さんの筆力にただただ呑み込まれていた。それぐらい、やっぱりこの小説は面白いのです。
ささいなことで喧嘩をし、軽はずみな動機で人を傷つけ、殺し、何より尊いはずの人間の価値が、喋る肉塊程度に思える世界の中で展開される物語は、底抜けにスリリングで、作品によっては意外性もあり、息もつかせないほどの魅力であふれています。
著者の船戸与一さんは、残念ながら2015年に逝去されましたが、その著者を知る1冊として本書を手に取ってみてはいかがでしょうか。物語の舞台は1980年代のブラジルですが、時代を問わない抜群の面白さが、あなたを魅了してくれるはずです。
レビュアー
1983年夏生まれ。小説家志望。レビュアー。ブログでもときどき書評など書いています。現在、文筆の活動範囲を広げようかと思案中。テレビ観戦がメインですが、サッカーが好き。愛するクラブはマンチェスター・ユナイテッド。