最近出版された田中角栄の本は、角栄の“情”にウエイトを置いた“知られざる素顔と心情”というものが多いようです。服部さんのこの本は、人間・田中角栄を基本としながらもそれに止まることなく戦後日本政治史に広く目を配って書かれたものです。“今太閤”“庶民宰相”として歓迎された総理就任、一転してロッキード事件後の“金権政治家”“闇将軍”というレッテル(先入観)を貼られた田中角栄ですが、それだけでなく彼が中心となっていた“田中角栄の時代”の全体像を描き上げている力作です。これを読むと私たちの周りでなぜ角栄待望論というものが繰り返し起きるのがわかります。
“田中角栄の時代”というと、佐藤政権の後を受けてライバル・福田赳夫との争いに勝利し、総理の座をいとめてからロッキード事件での失脚、創政会発足までの13年あまりだと考えられています。輝かしい2年と闇の11年です。ですがこの本を読むと“田中角栄の時代”というのは実は池田政権で自民党政調会長になった1961年、あるいは大蔵大臣に就任した翌1962年から始まっていたことがわかります。
──田中は、「小さな産業都市がたくさんできて、夫は家庭から通勤し、勤労の余暇に妻とともに農漁にいそしむ、そんな理想的な姿こそ農山漁村の所得倍増政策でもあり、愛の政治だと存じます」。池田内閣の看板たる所得倍増計画について、農山漁村の振興という持論に引き付けて解したのである。それを田中は「愛の政治」と称した。「小さな産業都市」は、のちの「日本列島改造論」につながるアイデアでもある。──
池田の所得倍増計画には後の田中の「日本列島改造論」に繋がるものがあります。この池田の政策を見ながら自分の政策(政治)構想を固めていったのです。後はそれを実現する道筋を立てるばかりです。田中は大蔵大臣(池田政権下)として官僚たちの人心掌握をはかります。その時にあの有名な訓示が発せられました。
──「われと思わん者は誰でも遠慮なく大臣室にきてほしい」、「すべての責任はこの田中角栄が負う」と述べた。──
さらに官僚たちに「この政策をやりましょう」という提言を求めました。官僚出身の政治家たちと違う党人派政治家、それも新しい姿の党人派政治家としての姿を見せたのです。今までにない政治家の姿に官僚たちは田中に一目置くようになったのです。こうして次第に政策実現への第一歩として官僚の掌握が進められました。もっともこの大蔵大臣は大蔵官僚への中元、歳暮に現金を贈ることも始めたそうです。これにもまた田中政治の原型がうかがえるというべきでしょうか。
次の政治行動は党内活動(党内政治)、つまり多数派を作るということでした。田中自身も一役買った池田政権から佐藤政権への禅譲、その功績で就任した党幹事長で田中は一歩ずつ実現していきます。
──田中は党務に向いており、後年、「政治の醍醐味は総理になることではない。政権政党の幹事長になることだ」と小沢一郎に語っている。──
幹事長が実質的には党の権力を握るというのは見やすい道理です。中選挙区制では“調整”という権力を、小選挙区制では調整ではなく、“認可(公認)”という権力を振るうようになります。自派を拡大するにはうってつけの役職が幹事長でした。もうひとつ、後年キングメーカー、闇将軍という位置を重要視したのは、自ら再度、総理になることを考えていたとはいえ、この実権を握るという幹事長重視観(自派拡大できる立場である)があったのかもしれません。
総理就任後の田中の最大の功績は、苦手だと思われていた外交でした。日中国交正常化であり、資源外交、東南アジアとの協力体制の構築、そして北方領土交渉でした。田中政治というと日本列島改造論を中心とした国内政治についてはさまざまに語られていますが、外交については日中国交正常化以外はあまり語られることはありません。この本の特長のひとつは田中外交の詳述にあります。日ソ交渉などで実に精力的な田中角栄の姿が描かれています。この部分は新しい角栄像や田中政治の再検証をする上で必読だと思います。
では国内ではどうだったのでしょうか。もともと日本列島改造論は地方と大都市(とりわけ東京、大阪など)の生活格差、生活環境の是正というものがありました。新潟の閉ざされた冬の豪雪からの解放がその象徴です。田中は服部さんが記したように確かに「東京一極集中を抜本的に是正しようとしたほとんど唯一の政治家」だったのです。
──「新潟県の人たちは一年のうち三分の一は雪の中、豪雪の中に埋もれている。働く場所もない、出稼ぎに出なきゃいけない。それをまずなくさなければいけない。それでこそ家庭の幸せがあるんだ」というのである。太平洋側との格差は、あまりにもひどい。それを是正するには、まず工場誘致などで雇用を増大させ、交通網を整備せねばならない。それが田中の原点だった。──
ではこの田中の“夢=政策”はどうなったのでしょうか。田中角栄の“夢=政策”は田中の目論見とは違った形で現実化しているといえます。たとえば今も続いている高速道路建設、整備新幹線、そして1県1空港という空港整備法などは日本列島改造論の影響(現実化)にあるといえます。
田中の構想は続けられているともいえます。しかし田中の“夢”は実現しているとはとてもいえません。
本来は大都市から地方との「格差」をなくすはずだった交通網の整備が、おそらく田中が想像していたのとは逆の地方から大都市への流出という現象をもたらしたのです。また情報の高密度化が都市の情報を身近なものとし、東京への集中化に拍車を掛けています。東京の一極集中と地方の疲弊(過疎化)は止まることを知りません。しかもそれは田中が進めた道路、幹線の高密度化によってもたらされたともいえます。選挙演説で「雪の克服と格差是正」を訴えていたのが田中角栄だったはずでしたが……。
なぜこのようなことになったのでしょうか、ここには“目的”と“手段”の混同があります。開発という“手段”が利権をはらんでいるだけに、本来(当初)の都市・地方格差の解消という“目的”を見失い、“手段”が自己目的化したのです。経済発展(=開発)は目標ではありません。社会的不平等を解消するという目的を達するための手段です。いつの間にか目的は置き去りにされました……。
緻密に田中角栄の政治生活を追ったこの本が教えてくれることは数多くあります。ですが肝心なのは田中角栄の“人間的魅力”を語だけでなく、田中角栄を知った上で、正当に田中の夢を継ぎ、彼が挫折、あるいは転向した(“目的”と“手段”の混同)地点へ戻り、そこから改めて歩み始めることを考えることではないでしょうか。未完に終わった角栄の“夢(=目的)”の検証こそが必要です。それは私たちがいまだに田中政治の影響下にいるということ、少しも「昭和」を超えていないことなのでしょう。自分たちの足元を気づかせてくれる1冊です。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。
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